ヴィニシウス(右)との確執が取り沙汰されたシャビ・アロンソ前監督(左)。(C)Getty Images

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「兵をあらわすの極みは、無形に至る」

 世界で最も著名な軍事理論書『孫子』の虚実篇には、そう記されている。

 相対する軍は、戦いの形を作ることによって対抗するのが定石だが、無形の場合、敵の間諜(スパイ)も態勢やパターンを読み取ることができない。その時点での形を知ることができても、戦いが始まったら変化する。無限に対応できる形こそが最強という寸法だ。

 この点を極めたのが、ビセンテ・デルボスケ、ジネディーヌ・ジダン、カルロ・アンチェロッティなどレアル・マドリーで長く威光を放ち、栄光をつかみ取った名将たちだろう。戦術を植え付けることによって、パターンとして「勝つべくして勝てる」再現性を高められるが、戦いは硬直する。彼らは無形であることで、何者にも変れた。

 2021-22シーズン、アンチェロッティが率いたマドリーは象徴的だった。

 プレッシングやリトリートは戦術的に整備されたものではなく、攻撃戦術も今や流行りの「ポケットを取れ」などという安直なものでもなく、個人の力を自由に引き出すことに特化していた。おおざっぱに見た場合、ティボー・クルトワが守って、カリム・ベンゼマが決めるものだったが...。
 
 アンチェロッティ監督は、その采配で気付けば試合を優位に動かし、マドリードを欧州王者に導いた。ラウンド16のパリ・サンジェルマン戦、準々決勝のチェルシー戦、準決勝のマンチェスター・シティ戦と悉く戦術的には劣ったが、個人がチームを旋回させている。劣勢をものにした点で、決勝のリバプール戦は最たるものだった。

「撓む」

 マドリーの陣形は“後の先”を取っている。「撓む」は、「他から力を加えられて弓なりに曲がる、しなう」を意味し、折れそうで折れない。有力選手を集めたからこそだが、力の作用をうまく逃し、形を変えて耐えて挽回できた。戦場では、軍勢が相手の勢いを殺しながら守り、猛烈な反転攻勢を仕掛ける状況を表すが、ピッチでは、相手の攻撃を読んで防ぎ、カウンターで仕留めることだ。

 仕組みは作りながら、戦術システムを作り込まず、臨機応変に動ける選手たちを配置。あくまでディテールの戦術判断は現場に任せる。アメリカ軍の軍事作戦の基本「ミッション・コマンド」と同様で、局面においては各自が迅速に最適な判断をし、有利に戦況を動かす。

 翻って、先日解任されたマドリードのシャビ・アロンソ監督は、その伝統の中でジレンマを抱えていた。ヴィニシウス・ジュニオールのような個人の発言力が強かった。戦術面では現代最高の指揮官と言えるアロンソは、マドリー内の“慣性の法則”で弾き飛ばされた格好か。

 正しい戦い方は一つではない。

文●小宮良之

【著者プロフィール】こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

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