彼との「行為」のときも何者かの視線を感じるようになった

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【前後編の前編/後編を読む】帰宅すると人の気配…部屋にいるのは恋人?それとも… 20代女性が意図せず送っていた「同棲生活」の相手とは

これまでに6,000件以上の怪異体験談を蒐集し、語り部としても活動する川奈まり子が世にも不思議な一話をルポルタージュ。今回は、浮気男と付き合ってしまった美大生が移住先の住まいで体験した奇妙な出来事を紹介する。

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 情熱を燃やし尽くす大恋愛なるものが、本当に存在するのか否か――。

 たとえば駆け落ち。はた目には燃えるような恋をしているように見え、本人たちもそのつもりで盛り上がっていても、時が経って状況が落ち着いてみれば、後悔するはめになる場合は少なくなかろう。

彼との「行為」のときも何者かの視線を感じるようになった

 あるいは不倫。当事者たちが揃って「これぞ純愛」と信じ込んでいられるのは、いつまでか? 永遠だと思うそばから不貞行為の烙印が押され、慰謝料などが請求されるうちに、憎み合う仲にならないとも限らない。

 大阪の郊外出身のリエ(仮名、年齢)さんも激しい恋愛を経験し、そして失敗したひとりである。

恋人の正体

 東京の美術大学に進学するために上京して間もなく、同い年の恋人ができた。

 専門学校に通いながら都内のライブハウス中心に音楽活動をしている彼は、ライブハウスのラの字も無い田舎育ちの彼女の周辺にはいなかったタイプ。

 彼の自由奔放な言動は、その音楽関係の知識の豊かさとあいまって彼女には非常に魅力的に思えた。ファッションセンスや交友関係も都会人らしく洗練されているように感じられてしまい、たちまち彼に夢中になった。
 
 彼の方でもリエさんを愛し、すぐに相思相愛の関係になったのだが、残念ながら、深い関係になってから、たびたび彼は浮気をした。

 彼のバンドのファンは大半が女性であり、彼女たち全員がリエさんと同様に彼に恋していた。

 そして彼は良く言えば優しく、悪く言うなら優柔不断なたちだったのだ。

 リエさんが都内の美大を卒業するまでの四年間というもの、彼はさまざまな女の子をつまみ食いし、しかし必ず最後には彼女のもとに戻ってきた。

名古屋の男

 リエさんの大学卒業が間近に迫ったある日のこと、

「俺は名古屋に帰ろうと思う」と、突然、彼が宣言した。

 彼と交際するうえで、リエさんが目をそむけてきた事柄がいくつかあった。

 ことあるごとに「東京の男」ぶっていた彼の実家が愛知県名古屋市にあるというのも、そのうちの1つ。

 リエさんが動揺のあまり絶句していると、彼は続けて「名古屋に拠点を移して音楽活動に専念したいんだ」と帰郷の言い訳を述べた。

 それから、いかに名古屋のクラブシーンが進んでいるか、地方発で生まれた最先端の文物がどれほど多いかなどを、彼女に向かって熱く語った。

 それを聞いて、リエさんは戸惑いながら口を開いた。

「私が広告代理店のA社から内定を貰っていることは知ってるよね?」

 A社は大手の広告代理店で、リエさんが配属されるであろうデザイン関連の部署は都心にオフィスを構えている。

 就活事情も逐一、彼に報告していたリエさんだった。

 それに対して彼は「ああ、そんなことを言っていたね」と述べた。

「そんなことって……。大事なことだよ? 遠距離恋愛するしかなくなるよね?」

「いいや! 一緒に暮らそう!」と彼は言った。

「え? でも名古屋に帰るんでしょう?」

 キョトンとしたリエさんに、彼は極上の微笑みを投げ掛けた。

「わからない? ……俺たち結婚しよう、名古屋で!」

内見

 ――誠に、若さとはバカさなのかもしれない。

 筆者自身も若い頃に数々の愚かしい真似をしてきたので、そう思うのだが。

 当時22歳のリエさんは、結婚の2文字に彼の覚悟を見た。

 このとき彼女は、彼がミュージシャンとして東京で鳴かず飛ばずだったこと、専門学校在学中に真面目に勉強せず彼女と違って就活もしなかったこと、ファンの女の子たちとの浮気が日常茶飯事だったことなど、その将来性と人間性に疑念を抱かしめるすべてを乗り越えてしまったのである。

 そこで彼女は、内定したA社の担当者に正直に事情を打ち明け、名古屋市内にあるA社の下請け会社にあらためて就職し直した。

 そして名古屋に出向くと、彼の幼なじみが勤務する不動産会社で勧められた部屋を内見した。

 そこは職場までは徒歩圏内で、名古屋駅まで運行する定期バスのバス停が目の前という好立地の中層マンションだった。

 4階の角部屋で間取りは2LDK。家賃が3万2000円。

 この金額を聞かされてリエさんはちょっと驚き、いぶかしく思った。

「あのぅ、実は事故物件なんてことは……?」

 不動産会社の担当者は、ややわざとらしい笑みを浮かべて、「なぜですか?」と彼女に問い返し、間髪入れずに「お家賃が安いからですね」と言った。

 自問自答されて、リエさんは「はい」と苦笑した。

「こんなに便利で好い場所なのに、今まで住んでいた下宿の方が高かったので」

ワケアリ物件

「心理的瑕疵があるか否かということでしたら、違います。名古屋は東京より多少お安くなりますし、それにまた、前のオーナーさんの趣味で、かなりユニークなお部屋になっておりますから……」

 では、さっそく中へ……と、室内へ案内されてみると、確かに、好みが分かれそうな部屋だった。

 随所に原色の赤や青、黄色、緑があしらわれていたのだ。

 たとえばダイニングキッチンは、ドアには鮮やかな赤が、床には真っ黄色の塗装が施されていた。

 寝室は天井以外、濃密な緑一色。浴室の壁とタイルは、真っ青で統一されていた。

 リエさんはこれを見て前のオーナーについて好奇心がそそられ、「どんな方だったのですか?」と担当者に訊ねた。

「ご年輩の独身男性でした。自営業だったようですが、それ以上のことは……」

 年輩と聞いて、彼女は、派手な家を東京に建てて物議をかもした、とある有名な漫画家の顔を思い浮かべた。強烈な個性の持ち主だったっけ……。

 この部屋の元オーナーも風変わりな天才かもしれない……。

「ちょっとお会いしてみたいな。その方は、ご存命なのですか?」

「いいえ。残念ながら」と担当者は答えた。

「お亡くなりです。そこで、ご遺族からここを買い取らせていただいた次第です」

「亡くなった? この部屋で、ですか?」

「いいえ! 救急搬送されて病院で死亡が確認されたと伺っております」

 尚、心理的瑕疵物件に関する国土交通省のガイドラインでは、今回のケースのように、たとえ屋内で倒れたとしても、救急搬送された後に病院で死亡が確認された物件は事故物件には該当せず、告知義務も発生しない。

 ただし、借り手や買い手から過去の人の死について質問された場合、事実を正確に伝える義務が定められている。

 さらに、搬送後に病院で死亡しても、特殊清掃が必要なほど室内が汚損していたり、自殺も含めて事件性が認められたりすると、告知対象となる可能性があるという。

 亡くなった元オーナーの死因および死亡時の部屋の状態が不明で、家賃が非常に安いことから、事故物件の疑いが若干残ってしまったが、リエさんは納得して、その部屋を借りることにした。

“視線”

 彼も、この部屋を一目見るなり気に入ったようすだった。

「いいね! 俺もときどき泊まりに来るよ」

 実際、彼はしょっちゅう遊びに来はじめた。

 リエさんは、そんな彼を歓迎した。

 しかし、間もなく、会うたびにこんな疑問が胸に渦巻くようになっていったのである。
――私はいつまでここに住んでいなければいけないんだろう?

 実は、結婚の時期を彼に訊ねても、「来年ぐらい?」といったような曖昧な言葉しか返ってこない状況であった。

 それだけでも焦りを覚えはじめる理由になる。

 だが「いつまでここに?」と思うようになった原因は他にもあった。

 リエさんが“視線”に気づいたのは、部屋に運び入れた荷物を片付けている最中のことだった。
 
 ダンボール箱から取り出した物の梱包を解く手もと。

 棚やクローゼットにしまう、一挙手一投足。

 その他にも、何か飲み食いすれば、その口もとを……誰かが、じっと見ている。

 そんな感じがして落ち着かず、この部屋には自分の他に誰もいないことなど百も承知で、つい振り返ってしまう。

四六時中

 嫌なのは、浴室やトイレの中でも見張られているような気がしたことだ。

 寝室も例外ではなかった。

 熟睡できず、夜中に二度も三度も目を覚ましてしまった。

 明け方、眠ることをあきらめてキッチンに行き、コーヒーを淹れていると、例の真っ赤なダイニングドアの辺りに人の気配を感じた。

 ギョッとして見やるとドアが5センチほど開いていて、隙間の向こうで何かが動いたように思った。

 驚いた拍子に手にしていたマグカップを床に落として割ってしまった。

 カップの破片を片付けてから、おそるおそるドアの方を確認すると、隙間は依然として開いていたものの、怪しい気配は消えていた。

 こんなことが日に何度もあり、何も起きない日が一日も無かった。
 
 彼が部屋にいるときは大丈夫かといえば、そんなこともない。

 寝室で睦み合っている最中に第三者に視姦されている感覚が拭い切れず、ワーッと叫んで素足で逃げ出したくなってしまうことも度々あった。

―――
浮気男に結婚をちらつかされ名古屋にIターンしたリエさんは不快な視線に悩まされる。【記事後編】では、視線の正体に迫る。

川奈まり子(かわな まりこ)
1967年東京生まれ。作家。怪異の体験者と場所を取材し、これまでに6,000件以上の怪異体験談を蒐集。怪談の語り部としても活動。『実話四谷怪談』(講談社)、『東京をんな語り』(角川ホラー文庫)、『八王子怪談』(竹書房怪談文庫)など著書多数。日本推理作家協会会員。怪異怪談研究会会員。2025年発売の近著は『最恐物件集 家怪』(集英社文庫8月刊/解説:神永学)、『怪談屋怪談2』(笠間書院7月刊)、『一〇八怪談 隠里』(竹書房怪談文庫6月刊)、『告白怪談 そこにいる。』(河出書房新社5月刊)、『京王沿線怪談』(共著:吉田悠軌/竹書房怪談文庫4月刊)

デイリー新潮編集部