(※写真はイメージです/PIXTA)

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日本の社会保障制度は「申請主義」に基づいています。どれほど困窮していても、自ら手を挙げなければ救いの手は差し伸べられません。しかし、支援を必要とする人たちのなかには、あえて支援を拒絶する人々が少なくありません。ある女性のケースを通じ、日本特有の「制度回避型貧困」が招く現実をみていきます。

40代で夫を亡くした女性、65歳で「収入減」。物価高と想定外の支出が襲う

関東近郊の築古団地の一室に住む、佐藤和子さん(68歳・仮名)。40代のときに夫を病気で亡くし、当時は中学生だった息子を抱え、遺族年金を受け取りながら都内の中堅企業で一般事務として働いてきました。しかし、現在、その手元にある通帳の残高は、わずか1,240円だといいます。

「定年まで勤め、自分の老齢年金と主人の遺族厚生年金の差額分を合わせれば、なんとか食べていけると思っていました。でも、65歳になったときに支給額がガクンと減ったんです。それまで付加されていた年金(中高齢寡婦加算)がなくなり、自分の老齢年金に切り替わったためでした。現在の受給額は、すべて合わせて月に約11万5,000円。そこから介護保険料や健康保険料、住民税などが天引きされると、手元に残るのは10万円を切ります」

10万円という数字は、一見すると「生活できない額」ではありません。しかし、佐藤さんの家計を破綻させたのは、予期せぬ出費と物価高の連鎖でした。

「数年前、実母を看取った際の葬儀費用や自身の歯の治療が重なり、500万円ほどあった貯金は底をつきました。そこに昨今の物価高です。かつては1週間3,000円で済んでいた食費が、今は倍近くかかる。1個200円のキャベツを買うにしても30分迷い、結局、何も買わずに店を出ることもありました。夜は電気代がもったいなくて、テレビもつけずにいます」

周囲の民生委員は、彼女の痩せ細った姿を見て、生活保護や介護保険料の減免申請を何度も勧めました。しかし、佐藤さんはそのたびに「まだ大丈夫です」と微笑んでドアを閉め続けました。

「生活保護なんて、本当に身寄りのない、どうしようもない人が受けるものだと思っていました。私はこれまで一度も借金をしたことがないし、女手一つで息子を育て上げた。自分が『救われる側』になるなんて……。もし受ければ、団地の人に『あそこの人は国のお世話になっている』と噂されるでしょう。それに、役所から息子に連絡が行くのも何より耐えられなかった。息子には絶対に心配をかけたくないんです」

しかし、その「意地」が限界を迎える日は、残酷な形でやってきました。

去年の夏、佐藤さんは室内で熱中症からくる脳梗塞を発症。エアコン代を節約するために扇風機だけで凌いでいましたが、記録的な猛暑のなか、室温は40度を超えていました。一命は取り留めたものの、わずかながら右半身に麻痺が残っています。

「結局、無理をしたせいで多額の入院費がかかり、今は拒絶していた生活保護を受けています。意地を張らずに、もっと早く相談していれば、こんな不自由な体にならずに済んだのかもしれません」

「申請主義」の壁と、高齢者を阻む「心理的ハードル」の正体

日本において生活保護の受給資格があるにもかかわらず、実際に受給している人の割合を示す「捕捉率」は、諸外国に比べて極めて低いことが指摘されています。

厚生労働省『被保護者調査』などによると、日本の生活保護捕捉率は2割程度にとどまるとする研究もあり、ドイツやフランスなどの欧州諸国が5割から8割近い捕捉率を維持しているのと比較すると、その低さが際立ちます。

なぜ、これほどまでに制度が利用されないのでしょうか。国立社会保障・人口問題研究所が過去に行った調査や意識調査を分析すると、受給をためらう理由として以下の要素が上位に挙がります。
 

●「家族への連絡(扶養照会)」への抵抗感

●「生活保護=恥」という強いスティグマ(社会的烙印)

●窓口での対応に対する不安(水際作戦への懸念)

特に、佐藤さんのケースでも見られた「家族・子どもに知られたくない」という心理は、日本の高齢者において非常に強力なブレーキとなります。2021年に厚生労働省は運用を一部改正し、「家族に仕送りを期待できない明らかな理由がある場合」などは照会を不要とする通知を出しましたが、現場の運用や当事者への周知はいまだ不十分なようです。

また、住民税非課税世帯に対する各種減免制度(国民健康保険料の減免や介護保険料の軽減など)についても、自治体からの通知を見落としたり、「自分は対象外だろう」と思い込んだりすることで、本来受けられるはずの恩恵を逃している高齢者も少なくありません。

今回の事例から得られる新しい気づきは、貧困の要因が「知識の欠如」ではなく、むしろ「過去の成功体験に基づく自尊心」にあるという点です。

多くの場合、生活困窮に関する相談現場では「制度を知らない層」への周知が課題とされます。しかし、現代の「制度回避型貧困」に陥る人々は、スマートフォンやテレビを通じて制度の存在をある程度知っています。それでも使わないのは、「自分はまだそこまで落ちていない」という一種の現状否認が働いているからです。

「まともな暮らし」という看板を下ろすことに、耐えがたい苦痛を感じてしまう――。しかし、個人の努力で抗える範囲には限界があります。「助けて」といわない美徳は、現代の複雑な社会構造のなかでは、もはや美徳ではなく「自壊への引き金」となり得ます。

国や自治体には、制度のハードルを下げる工夫が求められますが、それ以上に私たち一人ひとりが「制度を利用することは国民の権利であり、再起のためのステップである」という認識にアップデートしなければ、万一のとき、自滅の道を進んでしまうかもしれません。