28歳で逝った阪神・横田慎太郎さんの生涯を描いた映画『栄光のバックホーム』が動員120万人、興行収入16億円を突破!脳腫瘍の手術後に視力を失った横田さんが告げた決意の言葉とは
横田慎太郎さんの生涯を描いた映画「栄光のバックホーム」(監督:秋山純さん)。11月28日に公開されると、26年1月25日までで累計動員121万3135人、興行収入16億4601万5950円を突破したことが公式より発表されました。さらに本作の主演で、新人俳優の松谷鷹也さんも第49回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞するなど、さらに反響が広がっています。そこで今回、映画の原作本『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』(幻冬舎)をもとにした記事を再配信いたします。*******阪神タイガースに14年から19年まで在籍していた横田慎太郎さんは、21歳で脳腫瘍と診断され、23年7月に28歳という若さで亡くなりました。「息子はなんと多くの方から応援され、愛されていたのだろうか」と話すのは慎太郎さんの母・まなみさんです。今回、作家で演出家である中井由梨子さんが、ご本人たちからうかがったエピソードを元に、まなみさんに替わって綴ったノンフィクションストーリーをご紹介します。
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暗いまま
脳腫瘍の手術から約2か月という長い間、慎太郎の視界は暗いままでした。
先生や看護師さんから「時間が経てば見える」と言われ続けていましたが、息子はこの閉ざされた暗闇を彷徨っている間、とても無口で、何を考えているのかまったく分かりませんでした。
食事もトイレに行くのも私が手を貸しました。おそらくそれも最初は嫌だったのでしょう。しかし見えなければそれすら一人ではできません。
このままでは体より先に彼の精神が参ってしまう、と思った私は、風や匂い、音など、より強く感じることができるように、慎太郎を車椅子に乗せて病院内の庭や、展望台にも連れて行きました。
そして歩きながら、「すぐ見えるようになるからね、大丈夫よ」と呪文のように繰り返していました。
そうやって自分を奮い立たせるだけでなく、「見えるようになる」と言霊を使って現実を引き寄せようとすら思っていました。
最初の頃はどこへ連れて行っても慎太郎の表情はこわばったままでしたが、庭で穏やかな風に吹かれるのは好きなようでした。
じっと気持ちよさそうに目を閉じているので、「ここの風は甲子園からの風だもんね」と言いますと、「さすがにそれはないでしょ」とあっさり言い返されてしまいました。
不安と恐怖
術後1か月は傷口がまだ完全にはふさがっておらず、寝ている間に慎太郎が傷口を掻(か)いたりしないように、寝る時は互いの手首を輪ゴムで繋ぎ、鈴をつけました。慎太郎が手を動かしたら、起きて手を傷口から離すためです。最初の頃はしょっちゅう鈴が鳴り、私はまるで夜泣きの赤ちゃんを抱える母親のように、毎晩睡眠不足に陥りました。
しかし傷口から雑菌が入ってしまうとまた手術せねばならないと聞いていたので、もう二度とあんな大変な思いはさせまいと必死でした。

『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』(著:中井由梨子/幻冬舎)
慎太郎がナーバスな状態であることを、球団の方もよく承知していましたので、この期間はお見舞いを遠慮くださっていました。
私のほうには「様子はどうですか」と連絡が入りますし、病院からも随時報告が上がっていたとは思いますが、何も知らされていなかった慎太郎は、球団の人が誰も来なくなったことにひどく不安を覚えているようでした。
「契約、切られるかな」
ある時、ベッドの上でそう呟きました。
「まさか! 治療だってこんなにバックアップしてくださってるじゃないの」
「でも、最近誰も来なくなったし……目が見えなくなってから」
「それは……」
言いかけてハッとしました。このまま本当に目が見えなければ……契約は確実に打ち切りでしょう。もしそうなったら、慎太郎はいったいどうなってしまうのでしょう。
「大丈夫よ」
そう口では言いましたが、不安も致し方ない、と思いました。もう1か月以上も見えない日が続き、最初はあった希望も日に日に削られ、息子の中では「ずっとこのままかもしれない」という不安と恐怖が確信めいたものになってきているようでした。
一方、シーズンが開幕してもいっこうに姿を見せない慎太郎について、阪神ファンの間で様々な憶測や心配の声が持ち上がっていました。
依然として球団は情報を外に出さなかったので、SNS上では、精神的な病ではないか、もう引退するんじゃないか、とまで騒がれるようになっていたのです。それと同時に、慎太郎を心配する多くのファンの方々からお見舞いの品やお手紙が毎日のように虎風荘に届くようになりました。
大量のファンレター
ある時、寮長さんがパンパンに膨らんだ紙袋を2、3個抱えて病院まで来てくださいました。
「ファンレターがあんまりたくさん届くんで、たまりかねて持ってきましたわ」
そう言って紙袋から取り出したのは、大量のお手紙やお見舞いの品々でした。
「慎太郎、ファンの皆さんから手紙届いたよ!」
「え……」
慎太郎のベッドに手紙の束をのせて手で触らせてやると、その数に驚いたようでした。
「こんなに……?」
私はベッドサイドに腰掛け、最初の一通の封を切りました。
『一日も早い復帰を祈っています』
私は丁寧に書かれた手紙の一言一句を音読していきました。一通目を読み終わると、次の一通を開封しました。
『どんな状態か分からないけれど、横田さんが帰ってくるのをいつまでも待っています』
一通一通、開いては閉じ、開いては閉じ、声に出して読んでいくうち、胸にこみ上げるものがありました。
手紙のほとんどが手書きで、小さなお子さんから若い女性、ご年配の男性、主婦、高校球児に至るまで様々な年齢層の方々が心を込めて書いてくださっているのが伝わりました。
その文面から、込められた慎太郎への想いや願いがひしひしと伝わってきました。慎太郎の似顔絵を描いてくださる人や、千羽鶴を折ってくださる人もいました。
なんと息子は愛されているのだろう。こんなに多くの方から応援されているのだろうと、胸が熱くなっていきました。
時が経つのも忘れて読み続け、ふと顔を上げますと、目を閉じてじっと聞いていた慎太郎の目からは、静かに涙が流れていました。
「慎太郎」
手を止めて、そっと慎太郎の手を握ってやりますと、涙はあとからあとから流れて頬を伝い、ベッドの布団の上にぽたぽたと落ちていきました。傷だらけで、顔も青白く、次第に痩せ始めている体をさすりながら「良かったね」と繰り返しました。
一日では読み切れない量の手紙を何日もかけて読み、しばらくするとまた寮長さんが新しく届いたものを持ってきてくださる……そんなことが繰り返されました。
目標を成し遂げる力
日が経つごとにファンの方々からのお声は強く大きくなり、お手紙もたくさん届くようになりました。その時は知りませんでしたが球団のSNSやホームページには、さらに多くの声が寄せられていたそうです。

『栄光のバックホーム』全国公開中/配給:ギャガ/(C)2025「栄光のバックホーム」製作委員会
ある日、穏やかに晴れていたので車椅子を押して庭に出ました。季節は5月になっていて、暖かな木漏れ日が風に揺れています。慎太郎は春風に耳を澄ましながら、空に向かって目を開きました。
「お母さん」
久しぶりに息子の声は凜としていました。
「俺、やっぱり野球やる。この目標からは、絶対に逃げないことにした」
私は驚いて慎太郎の顔を見つめました。
「このまま視力が戻ってこなかったとしても、諦めないでいたら、いつか必ずできる日が来ると思う。それが目標。目標は絶対、達成する。ずっとそうしてきたし。病気より、目標を成し遂げる力のほうが強いんだって、俺は実証したい」
風が、慎太郎の言葉をすくい上げて空に舞わせるように吹きました。
病気より、目標を成し遂げる力のほうが、強い。
子どもの頃から一つ一つの目標を着実に達成し、積み上げてここまで歩いてきたことは、誰よりも私が一番よく知っています。慎太郎にとって目標とは、そうなったらいいな、というレベルのものではありません。
必ず達成する、という確実な未来なのです。今、彼はこれまで設定してきた中で最も難しく、大きな大きな目標に向かって、一歩を踏み出そうとしているのです。
きっと息子はやるでしょう。誰が何と言おうと、達成するでしょう。不可能を可能にしてみせるでしょう。
だって、昔からそういう子なのですから。
「慎太郎なら、やるだろうね」
私の言葉に慎太郎は笑いました。そう、笑ったのです。手術以来初めて。暗闇の世界でなお、“目標”を見出して初めて、笑うことができたのです。
※本稿は、『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
