スペシャルドラマ『新年早々 不適切にもほどがある!~真面目な話、しちゃダメですか?~』©TBS

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 昭和のおじさんが令和にタイムスリップし、コンプライアンスに縛られがちな現代社会を痛快に斬ったコメディドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)が、新春スペシャルドラマ『新年早々 不適切にもほどがある! ~真面目な話、しちゃダメですか?~』(TBS系)として1月4日に帰ってきた。2024年1月期にオンエアされていた本作。通称「いつでもドア」を完成させた2054年のイノウエ(小野武彦)が顔をのぞかせたところで幕を閉じ、その後が気になる展開だった。

参考:阿部サダヲ、『ふてほど』新作は「お正月から“すごく不適切”」 市郎を演じる喜びを明かす

 ノブの装置に希望の年月日を入力すれば、行きたい時代とつながることができる「いつでもドア」。耳なじみのある「どこでもドア」とはならないのは、行き先が喫茶店『SCANDAL』のトイレに限定されているからだ。とはいえ、もはやバスに乗る必要もなくなったひみつ道具のような発明に、市郎(阿部サダヲ)の胸は高鳴る。未来に残された“懐かしい顔”に会うため、2026年の正月へと舞い戻るところから、物語は再び動き出した。

 2024年を生き抜き、令和の価値観に触れたことで、市郎は“アップデートされた昭和のおじさん”になった……はずだった。しかし、1986年を経由したことで、「女顔負けだな」「早くひ孫の顔を見せてよ」といった“昭和的発言”を連発する市郎に逆戻り。久しぶりの再会にもかかわらず、口を開けば「不適切!」と指摘される市郎が、「お前らこそ、この1、2年で前より過敏になってねぇか!?」と投げかける一言に、ドキリとさせられた。

 『ふてほど』の略称で親しまれた連続ドラマの放送から約2年。その間に、社会はさらに人々の言動に対して神経質になっているのではないか。そんな問いを、視聴者に突きつけてくるようだった。

●省エネモードな現代で感じる、エネルギーの不完全燃焼

 相手の心情を想像し、言葉を慎重に選び、丁寧なコミュニケーションを心がけることは、令和社会における美徳。聖人君子のような裏表のない人間こそが人前に出るにふさわしく、少しでもやましい過去が見つかればすぐさま排除される。そうした厳しい視線は、その言動で傷つく人を救っている側面もある。

 だが、それが過剰になるほど、「何も言わないほうが安全だ」という空気を生みかねない。何も言わなければ、誰かの気分を害することもない。意見を述べなければ、対立も起きない。そうして角が立たないようにと口をつぐみながら過ごしてきた日々は、どこか社会全体が省エネモードになっているようにも思えた。

 振り返れば昭和は衝突の時代だった。大人たちだけでなく、少年少女たちもそれぞれの正義を掲げ、「誰にも縛られたくない」と戦い続けた。そんな「これだけは譲れない」「ここは貫きたい」「このままではいけない」といった思いを抱くことは、もちろん令和の時代にだってある。そうした場面で、衝突の仕方が昭和ほどストレートではないところに、市郎は「気持ちわりぃ」とつぶやかずにはいられないのだろう。

 ネットが発展し、地球の裏側にいる顔の知らない人の主義主張をも知ることができるようになった現在。さらに、SNSによって過去のスキャンダルはいくらでも掘り起こされ、臨場感たっぷりにさかのぼることができるという意味では、ちょっとしたタイムマシンを手に入れたような時代だ。そういう意味では、「おかしい」「変えたほうがいいのでは」と議論する話題は、これまでの時代とは比べものにならないほどある。

 その一方で、毎日顔を合わせるほどに親しい人とは、デリケートな話題を避け続けてきた。意を決して「これはどうにかしたほうがいいのではないか?」と話題にしても、気まずい空気になるばかり。そして協力を求めた相手が「受け止められない」といった態度を取ってしまうと、頑張っているのは自分ばかりだと、孤独感を抱くことになる。

 せっかくより良い未来への理想を抱いたとしても、そのエネルギーをまっすぐに消費できない。もはや、何も頑張る必要はないのかもしれないと改善を放棄する省エネモードに逆戻りし、「どうせ何も変わらない」と無気力になってしまう人もいる。あるいは、有名人の発言を巡る炎上騒動や、少しでも偏りを感じた放送内容へのクレーム、そしてときにはインモラルな形で発散されてしまったエネルギーもあったのではないかと想像する。

 昭和から平成の間に漂っていた「頑張らなければならない」というプレッシャーから解放された結果、もしかしたら令和にかけて、「もっと頑張れる」というエネルギッシュな人の野心をセーブしてきた側面もあったのかもしれない。そんなことを、今回のスペシャルドラマを観ながら感じた。

●未来は、今この瞬間からいくらでも変えられるという希望

 例えば、政治の話。報道局に異動になった渚(仲里依紗)が、都議会議員の平じゅん子(江口のりこ)との出会いをきっかけに、政治についての考えを深めていく。だが、渚が政治を話題にするほどに、夫の秋津(磯村勇斗)をはじめとした周囲の人間は、のらりくらりとしたリアクションを見せる。

 現代では長らく「政治と宗教の話はするな」などと言われてきた。それほど政治と宗教の話はデリケートだということだが、いつしかタブー視すらされている空気感があった。口をつぐむことで異なる主義がぶつかることを避けるのも、日常を平穏に過ごすためのひとつの知恵だが、そこから加速していく良いエネルギーだってあるはずなのだ。

 もちろん、言葉にすれば相いれない主義主張のぶつかり合いが生まれる。どうしたって、ひとつの考えには収束しないのが、この世界から争いがなくならない理由だ。今の日本では、本気で何かを変えようとなんて思わないほうが楽だし、大きな流れに抗うことなく流されてしまったほうが、世渡り上手であるとすら思えてくる。

 だからこそ、何も言わない無難さよりも、物申すことのリスクを取った人たちが苦悩するのだ。そもそも常人ではない“芸”や“能”を持った人が集まった芸能界。そして社会全体を動かそうという人並み外れた活力を持った人が挑むのが、政治の世界なのだ。そう思うと、多くの人ができないことをやり切る気力を持つ人が、プライベートでどんな発散をしていたかについては、もう少し「知らんけど」でいたいところ……と、ここには「※あくまで個人の意見です」とテロップを入れておきたい。

 リスクを徹底的に排除した結果、「オールドメディア」と言われてしまうくらいなら、そろそろ繊細な話題を「避ける」という選択ではなく、「それは不適切!」と言い合いながらも、小さな衝突を笑えるような空気を作りたい。本当はあけすけに言い合える、そんな番組だって作りたいんだよ、という、それこそテレビ業界にくすぶってきたエネルギーが作らせたのが、今回のスペシャルドラマなのだろう。

 しかし、驚かされたのは、市郎が「いつでもドア」で見てきた2036年に、じゅん子が初の女性首相になるという未来だ。しかも「このドラマは2025年4月に撮影されました」とのテロップに、さらに驚かされる。好きな時代を行き来できるようになったからこそ、「未来を変えてはいけない」と言う2026年のイノウエ(三宅弘城)に、サカエ(吉田羊)が「本当にそう? 決まってる? 例えば10秒後、私が何をするか決まってる?」と問うシーンが秀逸だった。目の前にある水の入ったコップを見つけ、「その水を引っかけるつもりだろ」と言ったイノウエの顔に、サカエは躊躇なく水をぶっかける。これは、イノウエがそう言ったからこそ生まれた、新しく変わった未来だ。

 古くから「言霊」や「引き寄せ」といった言葉があるように、私たちの生活は小さな小さな発言の積み重ねによって、未来を作り上げているということが信じられてきた。このスペシャルドラマが制作され、そのなかで初の女性首相が誕生する未来を語ったからこそ、約10年も早く現実がやって来てしまった――そんな見方もできる。

 奇しくも高市早苗首相が発言した「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という言葉も、頑張れる人がもっと頑張れるエネルギッシュな時代の到来を示唆しているように思えた。2026年、もしかしたらこれまで以上にエネルギーがまっすぐに燃焼していく、「いてこましたれ、のいてまえ!」なムードになっていくのかもしれない。丁寧なコミュニケーションを経たからこそ行き着いた、優しくも熱い時代に。そんな幕開けを予感させるスペシャルドラマに背中を押され、誰もがそれぞれのペースでやりたいことに挑んでいくような、意欲的な1年になることを祈っている。

(文=佐藤結衣)