“地震と豪雨”の二重被災 能登の地区唯一のスーパー「皆さんの顔が見たい」 地域のために生きる親子三代の2年間
発生からまもなく2年の能登半島地震や、去年9月の奥能登豪雨の度重なる災害に見舞われた石川県輪島市町野町。町に一軒しかないスーパーマーケットには、何があっても店を開け続けると決めた家族の姿がありました。地域のために生きる親子三代、2年間の物語です。
ここは、能登半島の北端、市の中心部から車で40分ほどの場所にある石川県輪島市町野町。
本谷 悠樹 さん:
「ここからは町野地区周辺の営業情報など、生活に関する情報をお伝えいたします」
パーソナリティを務めていたのは、本谷悠樹さん19歳。
ただ、実は彼、本業は…
「いらっしゃいませ~!」
町に一軒しかないスーパーマーケットの従業員なんです。
昭和21年創業の「もとやスーパー」。
店を営むのは、店の2代目、本谷一郎さんと妻の理知子さん。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「みんなの役に立てれば、もうそれが幸せ」
もとやスーパー・本谷 理知子 さん:
「やっぱり町野の人の役に立ちたい」
そして、店の立て直しに奔走する、3代目で社長の一知さん。
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「将来描いているビジョンとしては、奥能登の人全体、全部、友達になりたい。移動スーパーを通じて」
電気が止まり、店が真っ暗でも…
客:「何時から何時までですか?ちなみに」
理知子さん:「太陽が上がって沈むまで」
客:「あはは」
1日に、数人しかお客さんが来なくても…
元日の震災の後、1日も休まず、本谷さん一家は店を開け続けました。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「今までこうやって育ててもらって、店舗も持てたのは、親父たちの頃から、ずっとこの周りの人に育てられたから。その恩義はもう忘れない」
しかし…
復興への道を歩み始めた矢先。
能登は、未曾有の豪雨に襲われました。
いたる所で河川が氾濫し、もとやスーパーも…
「うわ~、もうすぐそこまで来てる」
近くの川があふれ、商品も、棚も、全てが流されました。
地震よりも深刻な豪雨の被害。
でも、あの人は…
「おお~!あはは」
2代目の一郎さんです。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「ここには昔からのお年寄りから、ずっと世話になった人がいっぱいいるから、その人たちに俺が助けられたと思ってる。だからこれから恩返しだよ。必ず道は開ける」
数日後。
店には、ニュースで甚大な被害を知った災害ボランティアの姿がありました。
そこには、勤務先の会社がある岐阜県から一時的に戻った、一知さんの二男、悠樹さんの姿も。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「まさか地震よりひどいとは思ってなかったので」
この数か月前、輪島市内の高校を卒業した悠樹さん。
実家のスーパーの売り上げが激減する中、経済的な負担は掛けられないと、自ら大学への進学を辞退。
岐阜県でスポーツ関係の会社に就職しましたが…
一知さんの二男・本谷 悠樹 さん:
「やっぱり地震があって、水害があって、連続であって、やっぱりここが一番、このお店の踏ん張り時かわかんないですけど、ここで恩返ししなかったら、のちのち後悔しそうだなというのが、直感ですけど、そんな感じで今、ここにいるべきなんじゃないかなというのが一番ですね」
家族を支えたいと仕事を辞め、もとやスーパーで働くことを決めました。
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「それはもう、やっぱり最終的には自立してほしい。だから、そういう意味でもやっぱり、経営っていうのは勉強させてあげたい」
祖父の一郎さんも、溺愛する孫と一緒なら手が汚れても…
「このカメラにこうやって、あはは」
頬が緩みっぱなしです。
昭和21年創業。
町に一軒しかないスーパーを、親子3代にわたって切り盛りしてきた本谷さん一家。
いつの時代も、そこには地域への思いがありました。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「私らが頑張って、ともかくしないことには、この近くにいるお年寄りはどうします。できるだけこの近くの人たちの輪を守りたい、それはもう誰だって同じです」
棚を入れ… 商品を並べ… 豪雨から約2か月後には、営業を再開したもとやスーパー。
悠樹さんの仕事ぶりも…
一知さんの二男・本谷 悠樹 さん:
「どばっと売れちゃって数少なくて。あした入れられないかなという相談で、お電話させていただきました」
なかなか、板についてきたようです。
ただ、一郎さんは、移動手段の無い高齢者の暮らしを心配していました。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「この間も仮設のばあちゃん、本谷さんちで刺身を買うといって、車に乗せたんだけど、冷蔵庫の中見たら、ほんとにもう何もない。車が無い人、3人ぐらい乗られたから、それでここに連れてくるかなと思って、今、わしの頭の中それだけや」
すると、ことし4月。
本谷さん一家にある動きが…
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「悠樹がね。今度、5月15日に免許取りに行くんです。七尾自動車学校で合宿で。配達させたい、配達して、御用聞きして町野の仮設なり配達するようにすれば、またちょっと街の活性化になると思う」
移動手段の無い高齢者のために配達を…
その一方で、父としてのこんな思いも。
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「また友達もできるだろうしね。能登の人も結構いるだろうからね。共鳴する仲間って多分出てくると思う。彼女できてきたらどうする?孫でもできたら、うれしいやろな」
かなり、気の早い一知さん。
翌月。
悠樹さんが、入校初日を迎えました。
3週間をともに過ごす合宿メンバーは…
「今、大学4年生の21歳です」
過疎が進む町野町では、ほとんど見かけない同世代の若者たち。
大山 光 さん:
「大山光です。みんなには『ぴっぴ』て呼ばれてます。仙台から来ました。21歳です。おばあちゃんがこっちにいて、ボランティアの活動やってるので、それでこっちに来て、自分も免許取りに来ました」
悠樹さん、始めはよそよそしさもありましたが…
年が近いこともあって、少しずつ打ち解けてきたようです。
中でも、言葉を交わす機会が増えたのが…
「なんで『ぴっぴ』なんですか」
「ピカピカぴっぴみたいな、ピカピカ光るみたいな。誕生日がクリスマスなんですけど」
「へ~すごい」
宮城県仙台市出身の大山光さんです。
これまで、震災があるたびに家屋を調査する祖母について、全国の被災地をまわってきた大山さん。
地元仙台の飲食店で働いていましたが、区切りをつけ、4月から祖母が滞在する能登で暮らし始めました。
「注意力D、判断力D、柔軟性D」
そしてもちろん、運転の教習も…
一知さんの二男・本谷 悠樹 さん:
「難しいです。もう全然慣れずに」
こうして、同世代の合宿メンバーによる約3週間の共同生活が始まりました。
一方、この日、ハンドルを握っていたのはベテランドライバーの一郎さん。
震災直後は、どれだけ住民が戻っているか、夜明け前に家の明かりを数えるのが日課でしたが、最近は、日中に町の様子を見て回るといいます。
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「ここもずっと家が並んでたんですよ。全部なくなってね。見るたびに、やっぱり胸が痛みますね」
公費解体の後、新しい建物は建たず…
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「復旧っていっても、家を再建しようって方はやっぱり資金がいるでしょうし、ほとんどがもう仮設でしょう。育った家でねぇ、生活したいでしょ、みんなはね」
能登半島地震からまもなく2年。
店に支援物資が届くことは、ほとんどなくなり…
ボランティアの炊き出しもごくわずかとなりました。
被災地では今、あの頃とは違った光景が広がっています。
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「ここはもともと町野の中心だったところだわ。本当は宿場町として栄えたところで、ここはうちの本家があって、旅館があったんだわ。で、ここには映画館あったしね。ここだけで旅館が10ぐらいあったんかな。お祭りの時にはここ、ザーッとあの市が並んでね、すごいにぎやかな」
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「街の景色は変わったなぁ。草生えるだけで全然、景色が違うもん。でもよそから来る人は、これがこういう町だったんだって思うんだよね。俺はこの街並みってわかるじゃない。家がここびっしりあったんだけど、こうやって見てしまうと、これって直るんかなと思ってしまうしね。まともに立ってる電柱ないよね。この町はどうなっていくんだろうなと、思ってしまうよな」
そして、町野町を離れ、束の間の合宿生活を送っていた悠樹さん。
他愛もない会話で笑い合い、夢や悩みを語り合った3週間。
そこには、19歳の若者らしい姿がありました。
合宿も、あすで最終日。
この日、幼い頃に東日本大震災を経験した大山さんと語り合ったのは…
「宮城も結構ね、ほんとでかい震災だったから、めっちゃ覚えてるもん」
「その時は東北にいたんですか?」
「うん、いた。崩れた家とか、もう道なんてこんなんなってて、周りでも家族全員亡くしてる子とかいたし」
「僕だってここの震災があるまで、東日本の震災も当時、ちっちゃかったし、阪神淡路も全然生まれる前だし、そういうのも全然頭に入ってなかった、知ってこなかったんで、伝えていくというのは、すごい大事だなと思いますね」
「テレビで見るだけじゃ全然、そんな大変なのとかわかんない。こっち来て珠洲の方とかいって目の当たりにしたら、やっぱ悲惨だなって思ったね」
「珠洲の方も行ったんですね」
「一人じゃ生きていけないっていうのが一番感じますね」
「そうだね。人は一人で生きていけないよね」
大学進学を諦め、人生が大きく変わってしまったこの2年。
それでも悠樹さんが口にしたのは、家族が守り続けてきた店への思いでした。
「やっぱ、あの土地離れられないですよ、僕らの家族は。やっぱり先代からの恩もあるし、やっぱ、どうあがいても好きだから。考えたんだよね、地震災害があって、別の場所でやるって…でも」
「あと、みんなの支えにもなってるってことだもんね」
「ですね。やっぱり町で1個しかないんでスーパーが。やっぱそこ離れちゃうと、食料買えない人だったり、あの町を離れる決意をしないといけないと人が何人もいるんで、やっぱりそういう人たちのつなぎ役になれればなと」
「うん…手伝いたいわ」
「手伝いに来てくださいよ」
「うん」
「従業員募集中」
「ほんとに?」
「3食ご飯付ですし」
「太っちゃう」
家も、道路も、全てが変わってしまった震災の後…
もとやスーパー2代目・本谷 一郎 さん:
「バナナ、これ喜ぶわ。よっ」
少しでも足しになればと、仮設住宅の高齢者に支援物資を届け続けた2代目の一郎さん。
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「え~お仕事中、申し訳ありません。え~、もとやスーパーで炊き出しが始まりました。え~皆さんの顔が見たいです」
少しでも多くの住民に炊き出しをと、車で呼び掛けた3代目の一知さん。
自分も地域のために生きていきたい。
ことし11月。
町野町には、教習所を卒業し、ハンドルを握る悠樹さんの姿がありました。
一知さんの二男・本谷 悠樹 さん:
「いまから、飯田のお菓子屋さんに仕入れしに行きます。行動範囲も広がったし、仕入れとかも自分でできるし、商品も探しに行けるし」
「預かりました。すいません、いつもありがとうございます」
「ご苦労さま」
「またお願いします」
少しずつ、スーパーの未来を形にしていました。
もとやスーパー3代目・本谷 一知 さん:
「名付けてもとやベース。スーパーを3分の1のスペース。あとの3分の2を宿泊スペースにしているんです。イートインだったり、コワーキングだったり、防災公園だったり、いろんな需要をここで取り込むっていう、これが地方再生の一つ、残された一つのヒントだなと思ってるんだわ。これ全体で2億。すごいよ。2億なんて掛けるの初めてだからね。だから不安と闘いながらやってるけどね。でもその覚悟はもうできてんだわ、うん」
手探りで歩み続けたこの2年。
いつもそこには地域を思う家族の姿がありました。
形は変わっても、必要とされる限り店を開け続けたい。
これからも、その思いは決して変わることはありません。
