今どきの若者・Z世代は、なぜ言われたこと以上はやらないのか。組織開発専門家の勅使川原真衣氏は「大人の行動をよく観察しているZ世代らしい、合理的な考えが彼らの中にはある」という――。

※本稿は、勅使川原真衣『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと 仕事にすべてを奪われないために知っておきたい能力主義という社会の仕組み』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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■Z世代における「失敗」の定義

失敗とは何か。

・戦線離脱すること
・褒められたとて目立つこと
・成長している感じがしないこと

このあたりを私は思い浮かべたが、失敗こそ生まれ育った世代の空気感次第で変わるらしい。

たとえば、日本能率協会マネジメントセンターが2020年に行った「イマドキ若手社員の仕事に対する意識調査2020」が、2019〜2020年に入社した新入社員(=Z世代)、ミレニアル世代、就職氷河期世代、バブル世代で分けると、Z世代社員には明確に、

「失敗したくない」「恥をかきたくない」「他人からの評価が気になる」

という意識が調査結果に表れるという。

出典=『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと』

では一体「失敗したくない」の失敗とは何か? 前述の結果をみると、「目立つこと」「自己主張すること」「粘ること」「創意工夫すること」は、結果がわからないなかで粉骨砕身すべきことではないと考えられているようだ。

つまり、うまくいくか、評価されるかもわからないのに、全身全霊で、粘り強く、工夫に工夫を重ねて、熱意を他者に伝え……なんてムダなことはしませんよということだ。逆に言えば、未来の確約もないのに、自分をさらけ出すようなことをしてしまうのは、「失敗」だと言う。

■「いい子」の行動原則

金間大介氏は『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』(東洋経済新報社、2022年)のなかで、今のZ世代の特徴を「いい子症候群」と名付けて次のような整理をしている。

いい子の行動原則
◆ 周りと仲良くでき、協調性がある
◆ 一見、さわやかで若者らしさがある
◆ 学校や職場などでは横並びが基本
◆ 5人で順番を決めるときは3番目か4番目を狙う
◆ 言われたことはやるけど、それ以上のことはやらない
◆ 人の意見はよく聞くけど、自分の意見は言わない
◆ 悪い報告はギリギリまでしない
◆ 質問しない
◆ タテのつながりを怖がり、ヨコの空気を大事にする
◆ 授業や会議では後方で気配を消し、集団と化す
◆ オンラインでも気配を消し、集団と化す
◆ 自分を含むグループ全体に対する問いかけには反応しない
◆ ルールには従う
◆ 一番嫌いな役割はリーダー
◆ 自己肯定感が低い
◆ 競争が嫌い
◆ 特にやりたいことはない
(『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』22〜23頁)

逆に言うと、彼ら・彼女らの「悪い子」「ダメな子」、すなわち「失敗」は、先の行動原則を反転させればよい。

うまくいくかもわからないのに、やりたいこと、なんかを語り、納得いかないと上にたてついて、ルールの無意味さを説き……なんてのは、言い方は悪いが「バカを見る」と。

■彼らはただ「学習」しただけ

この学習性無力感とも言える状況。念を押しておきたいのは、Z世代が姑息(こそく)で勝手にやっていること――ではまさかない点だ。

彼らは、せっかくやっても見てもらえない、なんなら余計なことをするなと言われたり、出過ぎた真似をして総スカンを食らうなど、

「迷ったときはやらないに限るぜ」

と学習するに至っただけである点だ。学習した、とはつまり、そう教わったも同然だったということ。誰もが自分の合理性に従っているのだ。

思うにこの流れを暗に下支えしているのは、SNS文化の存在がありそうだ。SNSは究極のセルフプロデュースの場であり、瞬時にことばにし、適切な反応が四六時中問われる代物である。

こんなものがない頃は、ちょっと受け答えが変な子や変なときは、しれっと相手にだけ奇妙に思われたり、何度も続くと「コミュ障」というレッテルがちらついたかもしれない。

が、SNSという、あらゆるやりとりが白日の下にさらされる世のなかにあっては、うまくやりとりできない、コミュニケーションの「失敗」が、自分だけの恥ずかしい経験でとどまらず、周りに「拡散」されてしまう。

「またそんなこと気にしてぇ」

なんてたしなめられても、耳を貸すわけがない。「失敗」の拡散が段違いに速い昨今にあって、「失敗」への恐怖というのは並々ならぬものがあろう。

■なぜ「だんまり」が最善だと思うのか

ただ、ぎりぎり氷河期世代の私としては素朴な疑問がある。なんで、「わざわざ」自分の情動を消すようなことをするのか? と。自分という個性を大事にしろと言われて育った世代だし、自分の家庭も通った学校もそういう方針だったので、私は何か解せないことがあったときには、手を挙げた。

「なんか変だと思うんですが」

と。

「そんなこと言ったら損するぞ? 何があってもだんまりが最善だ」

なんて思ったことがなかった(思ったほうがよかったのかもしれない)。そんな私からしたら、だんまりを決め込むことは相当な苦痛のように思えるのだが、そこんところはどう考えればよいのだろうか。

写真=iStock.com/doomu
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そこでおぼろげに見えてくるのは、

無駄を嫌う
効率至上主義

のような価値観が充溢(じゅういつ)した世のなかだと考える。

ようは、彼らが考えているのは、

○○をして、〈いいことがあるなら〉やるが、往々にしていいことないのでやらない

と言い換えると納得しやすい。

「質問したっていいことないので、それならしません」
「言われたこと以上のことをしてもいいことないので、しません」
「悪い報告を早くすると助けてもらえるならするけど、そんなこともないのでしません」

といった具合にだ。

■明文化されたルールがないときの行動

Z世代になったことがないので自分の素の感覚としてはわからないが、論理的に考えて、その“いいこと”というのは、「正解」として「評価」されることなのではないだろうか。

それをやると「正解」だ、と権威のある人・立場が上の人が言ってくれるのなら、満を持してやる。そうではなく、明文化されたルールのない、

「こうしていいのかな?
ていうか何をやるべきなんだ?
どうやるといいの?」

となるときが問題だ。ルールや想定される帰結が不明瞭な場合、つまり不安が強い場合には、減点評価を受けないよう、何もしないことを選択するというわけだ。

つまり、Z世代の「成功」とは、タイパ・コスパの良いことの選択から成る。

「正解」を選んでいる人、であり、その逆の「失敗」とは、タイパ・コスパを考えない、向こう見ずな考えなし……(私のこと⁉)……と言うべきなのかもしれない。

■自分の感想を述べるのはリスクが高い

減点評価と言えば、学校や会社でれっきとした「業績評価」がされることだけを指し示すのではない。若い方と話していて、こんな話を聞いて妙に納得した。それは、

勅使川原真衣『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと 仕事にすべてを奪われないために知っておきたい能力主義という社会の仕組み』(KADOKAWA)

「本を読んだり、映画を観ても、自分の感想は呟かないです。『間違ってる』かもしれないから。変な感想呟いて、炎上したら最悪ですし」

というものだ。なるほど。解釈や受けとった感情に「正誤」のようなものがあり、自分が感じたことは必ずしも正しくない可能性があり、それなのに大勢の前で言ってしまっては、炎上する恐れがある。そんなリスクの高いこと、つまり失敗はしたくないのだと言う。

私くらいの不惑の年代に入ると、自分が感じたことこそがすべて! と開き直れるのだが、そうはいかない人が多々いるのも想像がつく。

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勅使川原 真衣(てしがわら・まい)
組織開発者
東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイグループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、紀伊國屋書店じんぶん大賞2024 第8位)、『働くということ』(集英社新書、新書大賞2025 第5位、紀伊國屋書店じんぶん大賞2025 第11位)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『格差の“格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)などがある。
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(組織開発者 勅使川原 真衣)