「"自死遺族"の苦しみ」24歳アイドル、告白の真相
「アイドル✕気象予報士」として活躍する椿野ゆうこさんが語る、今は亡き父との約束、そして「自死遺族としての苦しみ」とは(写真:今井康一)
気象予報会社の大手ウェザーマップ所属、気象予報士・椿野ゆうこ。
今年、気象予報士試験に合格し、この秋、本格的に活動をスタートさせた新人気象キャスターである。
同時に現役のライブアイドルでもある。
彼女がライブアイドルとしていかにして気象予報士試験に合格したのか。
そこには今は亡き父との約束、そして「自死遺族としての苦しみ」が存在していた。
*この記事の前半:24歳「現役アイドル✕気象予報士」大胆すぎる挑戦の裏側
アイドルが告白した「自死遺族」としての想い
ずっと隠し続けてたことなんですけど、実は私は自死遺族です。
2年半前にお父さんを自死で亡くしてから、自分も同じ道を辿ってしまいたい気分になったり、自分を責め続けて苦しくなったりしてしまった日もあります。さみしさや後悔、もっと愛したかった、もっと愛されたかった。色んな感情がごちゃごちゃで、よく思い出しては、泣いてしまいます。
でも、今、私は生きてて本当によかったし、今が幸せだし、生きてなきゃ出逢えない素敵な出逢い、素敵な経験が沢山あり、日々笑顔で生きられています。
ファンの方で同じ境遇の悩みのある方をみかけて、少しでも力になれたらなと思い公表しました。私、誰かの力になりたくて、誰かの笑顔の理由になりたくてアイドルをしています。すごくおこがましいですが、私が元気にアイドル活動することで、少しでも明るい気持ちをお届けできたらいいな。この公表で嫌な気持ちになった方がいたらごめんなさい。
今みてくれてる方のなかにも、大切な人との別れに苦しんでる方もいるのかも。もしも一人で悩んでる方がいたら、「一人じゃないこと」伝えたいな。幸せになっていいんです。みんなで一緒に長生きしましょう。
2024年6月21日、SNSに投稿された椿野ゆうこの想い。
アイドル、気象予報士として活躍する彼女が書き上げた想いは、突然ながらも人々の心を揺り動かすには十分だった。
普通、アイドルという立場でははばかられそうな内容だが、その真っ直ぐな想いはそれすらも意に介さないほどに強いものだった。
そして、そこにはファンへの想い、亡き父との約束、椿野の決意などさまざまな想いが込められていた。
自死遺族のポストは、アイドルファン以外にも反響を呼んだ
「それまでは言わずにいたんですけど、私のファンの方に同じ境遇の方がいて、『自分が発信することで同じ立場の方々が少しでも救われることがあるといいな』と思って投稿しました」
この事実を明かしたのは、ライブに来てくれるファンが自死遺族としてツラい思いをしているのを知り、少しでも力になれればということがきっかけだった。
なぜならその痛みやツラさを椿野自身が本当によくわかっていたからだ。
ブログやSNSで同じ境遇の投稿を見つけては読み、共感し、そのツラさを紛らわせ、元気づけられていた。
「もともとアイドルをはじめたきっかけも、自分がツラいときに元気づけられていましたし、自分も誰かに力を与えられるようになりたいと思ったのがスタートなので、少しでも自死遺族の方々の力になりたいと思っていました」
アイドルだからこその発信。誰かに力を与えられる存在になる。言うのは簡単だがなかなかできることではない。
この投稿で椿野自身も気持ちの整理がつき、いい意味で大人になれた気がしたという。
自死遺族であることを告白するまでには、気持ちを整理する時間を要した(写真:今井康一)
「2週間で復帰する」と決めていた
椿野が自死遺族となったのは2022年。
それから2年間、椿野自身もこのツラさと戦い、乗り越えねばならなかった。
「それまで多少体調が悪くてもステージだけは休むことはなかったのですが、父が亡くなりはじめて2週間お休みをいただきました。でも2週間で絶対に戻ると決めていました」
まさにプロのアイドル根性ともいうべき姿勢だ。
そしてもうひとつ、椿野には亡き父との約束があった。
それが気象予報士試験に合格するということである。
はじめにアイドルになるとオーディションを受けたときは反対していたが、その後はずっと応援してくれていた。そして、誰よりも気象予報士になることを応援してくれていた。
そんな父に合格の報告を果たせないまま旅立たれてしまった。
だからこそ、なんとしても気象予報士になりたかった。
アイドルの武器としてというのはもちろんあるが、それ以上に父との約束を果たしたかった。
「アイドル」と「受験勉強」は絶対に両立させたかった
その日から2年間、椿野はあらゆる隙間時間を見つけては気象予報士試験勉強を行った。
「アイドルと受験勉強は絶対に両立させたかったので、早起きしたり、空き時間を見つけては勉強していました。移動の電車の中はもちろん、楽屋にもプリントを持ち込んで勉強していましたね」
ライブ前の楽屋では、メンバーがテーブルを譲ってくれるなど協力してくれていた。そして気になる勉強法はとにかく過去問を解くことだった。
「基礎的なことは大学で学んでいるので、とにかく過去問を何度も何度も問いていました。どんなに忙しくても毎日勉強すると決めて、できるときは10時間以上やっていましたね」
普通にライブアイドルとして日々のライブをこなすだけでも大変なのに、さらに勉強を続けるのがいかにすごいことであるのか、なかなか形容しがたいが、とにかくコツコツと過去問を解き続けた。
朝、気象予報士として活動した後、夜はアイドルとしてライブを行っている(写真提供:ノースサウンド)
最初に受けた試験は大学1年生の夏。
その後、授業が忙しくなり、少し間を空け再び受験を再開させる。そもそも気象予報士試験とはいかなるものか簡単に解説しておく。
気象予報士試験は1年に2回試験が行われ、学科試験が予報業務に関する一般知識と専門知識の2つ、実技試験が2回行われる。
それぞれ一部合格もあり、合格発表日から1年以内に行われる試験においては合格した科目の試験が免除となる。
椿野は最初の受験で一般知識に合格し、順に一部合格を重ねていった。そして2024年4回目の試験で実技試験にも合格し、すべてを合格。気象予報士となったわけである。
嬉しいお知らせ
【嬉しいお知らせ】
気象予報士試験に合格しました
5年間いっぱいお勉強して、いっぱい泣いて
やっと!!やっと合格できて本当に嬉しいです
いつかはアイドルとして大好きなお天気のお仕事にも関われたらいいなって思っています *絵文字省略
2024年3月8日、試験合格の報告をXのポストで行い喜びを爆発させた。
気象予報士試験の受験時は常にファンに向け報告してきた
「SNSでも受験のことを毎回報告していて、落ちたときもファンのみんながずっと励まして応援してくれていて、それが本当に力になりましたね。もちろん両親にも報告しました。父にもようやく合格を伝えることができて嬉しかったですね」
誰よりも楽しみに応援してくれていた父との約束をようやく果たせた。そして何よりもアイドルと受験勉強の両立を有言実行した。
試験合格はもちろん、自死遺族としての悲しみをひとつ乗り越えられた、そんな気がした。
コロナ禍での大学生活だったがオンライン授業はアイドルと両立するうえでプラスの側面もあった(写真:今井康一)
「気象予報士の椿野ゆうこです!」
「気象予報士の椿野ゆうこです! よろしくお願いします!」
2024年10月、椿野ゆうこはTOKYO MXの情報番組『おはリナ!』で本格的に気象キャスターとしてのキャリアもスタートさせた。
現役のライブアイドルとしての気象予報士の誕生である。いわゆる2足のわらじをはいたわけだ。
「まずはキャスターとして一人前になりたいですね。語彙を増やしたり、わかりやすい解説ができるようになりたいですね。それにアイドルで培ってきたことを気象キャスターとして活かせると思うんです」
アイドルとしてはステージで歌い、踊り、笑顔でファンの声援にこたえる。片や気象キャスターとしてはそのアイドルスマイルはもちろん、幼い頃より培ってきた天気に関する知識をもとに、しっかりと気象予報士として解説する。
アイドルか気象キャスターかどちらかではなく、このどちらでもあるわけだ。
そして椿野にはアイドルとして「かなえたい夢」がある。
アイドルとしてかなえたい夢は?
「一番はアイドルをずっと続けたいですね。30歳超えてもアイドル続けていたいです! 気象予報士になったと報告したら『アイドル卒業するの?』って声がたくさんあって。卒業はしません。続けます! またTIFにも出たいですね。そして、アイドルとして大きな会場で全国ツアーに行きたいですね。だからこそ、気象キャスターとしても頑張ります! 私が高校時代に元気をもらったように、次は私が元気を届けます!」
さらに今、椿野はグラビアアイドルとしても活躍している。
ひめもすオーケストラとしてZeppツアーを目指している(写真提供:ノースサウンド)
ただ明るくカワイイだけではない。人の悲しみやツラさに寄り添えるそんな人間性も兼ね備えている。
朝、気象キャスターとして天気と向き合い、夜はアイドルとしてパフォーマンスを披露する。
アイドルと気象予報士。その両立は始まったばかりだ。
彼女の進む先には寒暖差こそあれど、きっと爽快な青空が広がっているに違いない。
*この記事の前半:24歳「現役アイドル✕気象予報士」大胆すぎる挑戦の裏側
(松原 大輔 : 編集者・ライター)