オードリー・タン氏は「たっぷり睡眠をとれば、目覚めるたびに脳にスペースが生まれ、新しい情報を取り込めるのです」と語ります(写真:ロイター/アフロ)

台湾のデジタル相も務めたオードリー・タン氏は、多忙な中でも8時間の睡眠を確保し、その睡眠を膨大な情報を処理し記憶する時間として活用しているそうです。同氏の実践する「睡眠記憶法」とはどのようなものか、約2年ぶりの最新刊『オードリー・タン 私はこう思考する』よりピックアップして解説します。

※本稿は『オードリー・タン 私はこう思考する』から一部抜粋・再構成したものです。

毎日8時間の睡眠を確保する

オードリーは自分の体をよく理解している。毎日8時間は睡眠をとらなければ、翌日、精力的に仕事をこなすことや、一人ひとりの話を理解することが難しくなるという。ハイパフォーマンスの仕事は、十分な睡眠なしにはありえないのだ。

2時間しか眠れなかった日は、40分どころか4分も話を聞かずに意識が朦朧としてくる。「たっぷり睡眠をとれば、目覚めるたびに脳にスペースが生まれ、新しい情報を取り込めるのです」。

毎朝7時に起きるオードリーが8時間の睡眠を確保するためには、前日の夜11時までに眠りにつかなくてはならない。さらに、眠る前と目覚めたあとには自分のためだけに過ごす時間が必要なので、毎日およそ10時にはベッドに入り眠る準備をしている。

仕事面も感情面も完全にリセットされた状態で眠りにつき、すがすがしい気分で新しい1日を迎えるために、就寝前に必ず次の4つを実践する。

➀夜10時を過ぎたらスマホを切る。サイレントモードやバイブレーションに切り替えるのではなく、電源からオフにする。就寝前は意思が弱くなるため、無意識にスマホをいじり続けてしまい、寝るのが遅くなりがちだ。

➁眠る前にすべてのメールボックスとタスクリストを空にし、発信すべき情報はすべてネットにアップロードしておく。

➂翌日に使用する大量の資料や書籍を30分かけて読む。小説ではなく、論文のように事実が整然と記された、知識を得るための文章が中心だ。1ページにつき2〜3秒のペースで読んでいくので、30分で600ページほど読み終える。読むべき資料が多い場合は1時間長く眠る。眠っている間に情報を消化し、翌朝目覚めたときには前の晩に読んだ資料をすべて記憶している。

➃20分間の座禅を組んで、今日1日のストレスを洗い流す。よい感情も悪い感情も一緒に解き放つことで、前日の感情を翌朝まで引きずらなくなる。体内の感情をゼロリセットすれば、すっきりした気分で朝を迎えられる。これは、4歳か5歳のころに両親から教わって以来の習慣だ。

夜に取り込んだ情報を眠っている間に消化する

このうちの3つ目がオードリーの睡眠記憶法だ。ストレスの多い現代人には睡眠時間をコントロールすることさえ難しいのに、眠る前に読んだ資料を眠っている間に消化するなど、実に不思議な話だ。どうやったらそんなことができるのだろうか?

睡眠が記憶力の強化に役立つことは、脳神経科学の医師も認めている。日本の心理カウンセラーでベストセラー作家の石井貴士氏は、『本当に頭がよくなる1分間記憶法』(SBクリエイティブ)のなかで、「短期記憶から長期記憶に移していく過程で必要なもの。それは、実は『睡眠』なのです」と指摘している。

徹夜して勉強してもすぐに忘れてしまうのは、睡眠不足が関係している。睡眠時には脳の神経細胞をつなぐ「シナプス」の結合が起こりやすくなり、記憶の整理が行われる。睡眠の過程のなかで短期記憶が長期記憶へと変換されるのだ。

だから眠る前に資料を読み、ひと晩ぐっすり眠って目覚めたら、セロトニンの分泌が盛んな朝のうちに昨夜読んだものを見直すという方法は、効率的で効果の高い方法だ。

また、正しい時間帯に睡眠をとることも重要だ。石井は、記憶を増強するには夜10時に就寝し、朝5時半に起きるのが最適だとしている。彼が提唱する「サンドイッチ記憶法」は、寝る前の90分間に本を読み、夜10時に就寝、起きた直後の90分間で前日に暗記したことを復習する、という3つのステップを踏む。

読みながら判断を下さないことが重要

オードリーの睡眠記憶法でカギとなるのは、眠る前にどれだけ正確に読めるかだ。彼女の場合、眠る前には知識系の文書、たとえば明日の会議の議題に関する資料や研究論文などを大量に、高速で読む。小説や詩集のようなものは、睡眠記憶法で消化したり記憶したりする必要はない。

それらはゆっくり味わうほうがいい。特に、長い詩歌など声に出して読みたくなるようなものは、じっくりと噛みしめるように読むべきで、大量に高速で読む方式には向いていない。音の一つひとつに込められたさまざまな意味を、すみずみまで味わい尽くしたいからだ。

では、知識系の本が睡眠記憶法に適しているのはなぜか? ここでの知識系の本とは、論文・ストーリー性のない読み物・教科書・歴史書など、事実を整然と描写したり記録したりするためのものを指す。こうした文章に使われる言葉は特定の意味しか持たず、読者は行間からさまざまな意図を汲み取る必要はないため、高速で読み込むのに適している。

眠る前に読んだものをすべて頭のなかに取り込むには、非常に重要な前提が一つある。それは、知識系の本を読むときには気を散らすことなく、最初から最後まで集中して読むことだ。読みながら内容について判断したり、頭のなかで自分の観点を整理したりしてはいけない。だが実際には、そんな読み方をするのは決して簡単ではない。

「『判断を下さない』ことが一番難しいです。つねに立ち止まって考えながら読んでいたら、ほとんどページが進まず、睡眠中に学べる可能性は限りなく低いでしょう」

睡眠記憶法の成功には、流れを止めずに一気に読むことが条件となる。だが、このような読み方をするには訓練が必要だ。なぜ流れを止めてはいけないのか? 読みながら判断してはいけない理由とは何か?

本を読んでいる途中で、筆者の論点には賛成できないと感じることがある。しかし、この時点で筆者はまだすべての論点を語り終えていないかもしれない。論点がすべて明らかになるのは一つの章、あるいは1冊の本を読み終えてからだ。

本を読みながら頭のなかで筆者に反論し、数ページ読む間にも批判を繰り返したとしても、結局はもともと自分が持っていた考えを強化しているにすぎない。読めば読むほど主観が強まっていくのだ。

夢の中では物事を多角的に見ることができる

読みながら筆者に反論することで、逆に自分なりの考え方が強化されてしまう。その本に関することを人から質問されても、やはり自分の観点から答えてしまうだろう。

しかし、読みながら頭のなかで批判するのを我慢し、ひたすらインプットに徹することで、本と筆者を心のなかにとどめることができる。人から質問されても、本の観点と新たに生まれた自分の観点の両面から、より多角的に答えることができるのだ。

知識系の本、特にページ数が多く事実を整然と描写するタイプの本は、通常なんらかの観点に基づいて記述されている。もし一字一句に主観で反論していたら、最後まで読んでも本の観点は頭に入ってこない。いくら読んでも自分の養分にはならないし、睡眠を通じて読書の記憶が強化されることもない。

「筆者の観点でものを見ることをせず、自身の論点の確認に終始するのは、砥石で主観に磨きをかけているのに等しいことです」

本を相手に論争すれば、筆者がそこにいない以上、必ず勝てると決まっている。

「自分とは異なる観点でものを見る力があれば、複雑な論点もより深く理解することができます」

眠る前に知識系の本を集中して高速で読む。途中で読むのを中断して考えることはしない。判断も批判もせず、一気に大量の情報をインプットしてから十分な睡眠をとる。そうすれば、目覚めたときに「筆者は筆者、自分は自分」と感じることはない。本の内容は自ら使いこなせる知識として取り込まれ、自分自身の思考の一部となる。これが最大のポイントだ。

目覚めている間の私たちは、特定のやり方やいつもの行動に固執し、自分なりの観点で物事を見てしまいがちだ。しかし、夢のなかでは自我が比較的弱いため、一つの物事を多角的に見ることができる。

批判せずに読むためのトレーニング法

とはいえ、批判せず集中して読み続けるには訓練が必要だ。では、どう訓練すればいいのか? オードリーが提案する練習方法は、日中ほかの人と会話しているときに、相手の話を頭のなかで止めないよう努めることだ。


たとえば、誰かの話を聞いているときには心を完全に開放して聞く。100パーセントの意識を相手に向け、相手が話す内容を先回りして推測しない。最初は自分を制御するのが難しいかもしれない。ならば、まずは一定の時間を設定してみる。

10分間は話を邪魔しないことを相手に約束し、10分が過ぎたら聞いた内容を簡単にまとめて伝える。その間、相手にも話を邪魔しないようお願いする。伝え終わったら、自分のまとめが正しいかどうか相手に尋ねる。いわゆる「積極的傾聴法(アクティブリスニング)」と呼ばれるもので、訓練を通じて習得することができる。

オードリーは最長で1時間、判断を下さず話を聞き続けられるという。これも訓練のたまものだ。「私は超人ではないので、間に休憩したり、飲み物を飲んだりすることも必要です。集中して聞くことにも肉体的には限界があります」。

相手の話す一字一句に共感する必要はない。まず相手の話を最後まで聞き、思考をすべて明らかにしてもらう。聞き終えたら、相手とは経験を共有したことになり、そこから対話を始めることができる。

もし、先に相手を批判したり、特定の言葉を聞いたとたん地雷を踏まれたかのように反論を始めたりすれば、相手からもたらされる情報が自分の養分になることはない。

「ストップウォッチで測ってみるといいでしょう。自分と意見の異なる人と話すことにどれだけ長く耐えられるか。2〜3分しか耐えられなかったら、その結果を睡眠前の読書に生かすのです。3分間は筆者を批判せずに読み、そのまま眠り、長期記憶へと変換させます」

(オードリー・タン : 元台湾デジタル担当政務委員)