ぺらぺらの肉寿司、配偶者を「嫁」と呼ぶ同級生……おいしくないけど忘れられない“憂鬱グルメ”を描く異色小説『お口に合いませんでした』先行公開/特別編 お口に合いませんでした
10年ぶりの中学校の同窓会。懐かしい面々が集まるクラスのLINEグループに、幹事から「完全個室創作和食バル★肉寿司食べ放題! 3時間飲み放題付き2980円」の食べログURLが送られてきて……。
文フリやネットプリントで話題の文筆家・オルタナ旧市街の小説デビュー作『お口に会いませんでした』が10月29日に発売される。フードデリバリーの冷めたシチュー、インテリア量販店のミートボール、寂れた遊園地の甘ったるいクレープ……。「おいしくない食事」の記憶から都市生活の孤独を描く、異色の憂鬱グルメ小説だ。
本書の発売を記念して、OHTABOOKSTANDの連載「お口に合いませんでした」では未掲載だった単行本書き下ろしストーリーを特別に公開する。
オルタナ旧市街
(おるたなきゅうしがい)個人で営む架空の文芸クラブ。2019年より、ネットプリントや文学フリマを中心に創作活動を行う。空想と現実を行き来しながら、ささいな記憶の断片を書き残すことを志向している。文芸誌『代わりに読む人』、『小説すばる』、『文學界』などにも寄稿。柏書房よりデビュー・エッセイ集『踊る幽霊』発売中。
Girl meats Boy
すこしだけ固くなった背中の肉に器具をぴたりと当てていけば、本人の意思とはおおよそ関係なく筋肉が飛び跳ねる。こわばっていますから、ほぐしていきますね、とつとめてやさしい声色を使いながら徐々に器具の設定レベルを上げていく。これを繰り返していくと、目の前の施術台に横たわる冷たい肉はだんだんと温まり、やがてもっちりと吸いつくようなやわらかさに変化していくのだ。この瞬間だけは何度やっても気持ちがいい。ぐりん、と器具を背から脇腹にかけて念入りに動かす。またしても本人の意思に反して跳ねる上腕が、あたしの右足にぺちりと当たった。くぐもった息を漏らす桜木さんの背をなでると、部屋中に充満したアロマの香りが強くなった気がしたが、気のせいだろう。ずいぶんやわらかくなりましたよ! と声をかければ、あうう、と鳴き声のような返事だけが返ってきた。EMSと呼ばれる痩身エステは、器具を使ってゆるやかに電気刺激を与えることで筋肉を動かすもので、要するにテレホンショッピングでおなじみのシックスパッドと原理はほぼ同じである。温度を宿した桜木さんの二の腕は、施術前と比べると信玄餅のようなとろりとしたやわらかさをたたえていた。おいしそう。
残り十五分を告げるアラームが鳴ると、器具をしまって、オイルを使ったマッサージでの仕上げにうつる。なめらかになった肌にオイルを染み込ませるように手入れをしていくと、桜木さんはほっとしたように、施術台にうつぶせのままおしゃべりをはじめた。
「なんかあ、この前『ウィズ』で知り合った人と初めて会ったんですけど、カフェ行ったあと『このあと肉寿司食べ行かない?』って言われてマジ萎えちゃいました。しかも勝手に予約してあって、しょうがないから行ったんですけど、も〜安居酒屋みたいなとこで本当最悪で。あ、肉寿司ってわかります? あの、お魚じゃなくてお肉のお寿司。あれ、おいしいと思ったこと一回もないんですけど、夏井さんは食べたことあります?」
現在「ペアーズ」「ウィズ」「オミアイ」というみっつのマッチングアプリを目的別に見事に掛け持ちしている恋愛戦士・桜木さんは、毎月こうしてボディメンテナンスのかたわらに最近のマッチング事情を逐一報告してくれる。肉寿司チョイスの男性はちょっと危険かもしれないですね、と苦笑いで返せば桜木さんは、ですよねぇー? と声を荒らげた。
かくいうあたしも、肉寿司男には二度ほど当たってしまったことがある。初対面の異性との食事で肉寿司、しかもリッチな焼肉コースの箸休め的な肉寿司ではなく、看板メニューに肉寿司を据えた居酒屋みたいな店を選ぶ男というのは、全然趣味に合わないブランドのネックレスをプレゼントしてくる男とか、一円単位で割り勘を要求してくる男とかとほぼ同種の危険な存在である。肉寿司男タイプは危ない度合いでいったら中の下くらいの小物だが、仮に付き合ったとしても十中八九、恋人よりも友達や仕事を優先してすぐ別れる。あと、食べ物だけじゃなくてたぶん聴いてる音楽とか服の趣味もヘン。爪先のとがった靴を履いている。前戯が短い。店員さんに横柄な態度を取る。「人財」って言葉が好き。あとはあとは、と思いつく限りの肉寿司男に対する偏見を桜木さんは繰り出しまくり、施術室に流れるヒーリングミュージックにはおおよそ似つかわしくない笑い声をあげた。
あたしたちはそういった経験則に基づく細かな危機感を働かせながら、恋愛市場に日夜躍り出る。こっちだって、美人だとかブスだとか胸が小さいとか尻がでかいとか、無遠慮にもっと記号的なジャッジを下されているのだ。お互い様である。
いまどき就職より結婚のほうが難しいとかいう。どこもかしこもマッチングアプリの広告だらけ。ご多分に漏れずあたしも星の数ほどあるサービスの会員のひとりであるけれども、もう正直サービスの違いなんてわからない。何ヶ月か前にマッチした人とは映画の趣味が合って、何度かレイトショーを観に行ったり、少し前には郊外でデートしたりなんてことも重ねたけど、なんとなく好かれていなかったらしく、そこからゆるやかに連絡が途絶えてしまった。まあ、あの人きっちり割り勘だったし、あたしとしてもナシかなと思ってたとこだったから、別にいい。アプリのいいところは、後腐れなく縁を断ち切れるところにあるけれど、それゆえに誰とも長続きしないのもまた難点だった。
誰かを好きになりたい気持ちはあるのに、画面の向こうにその相手は見つからない気がする。左、左、右、左、左、右。写真一枚でその人を瞬時に判断することなんて、本当はできない。ほとんど意味のない指先の運動。ぜんぜん自然じゃない、と思う。道でハンカチを落とすとか拾うとか、小さい頃に遊んだ人が転職先の上司だったとか、好きなバンドのライブで隣同士だったとか、映画や漫画に出てくるみたいな自然な出会いなんてもうどこにもない。恋愛も結婚もしたいくせに、マッチングアプリをやっていることは、どんなに仲の良い友達にも打ち明けるにはまだ勇気が要った。桜木さんのように気取らずに恋愛にのめりこむタイプの人はじつに潔いと思う。事実、あたしと違って桜木さんにはデートの相手が途切れることはないようだった。人生、潔いもの勝ちなのだ。
施術室を出て、着替え終わった桜木さんにハーブティーを差し出す。肌つやとやわらかさを得たものの、桜木さんの客観的な見た目は、初めてここに来た時からおおよそ変わりはなかった。当店はあくまでも「痩せやすい身体を作るための代謝を促す」という方針のエステであるため、ただ通っているだけではほとんど痩身効果は得られないのだが、桜木さんは頑なにこれ以外での運動をしようとはしない。記録のために撮った写真を毎月比べて、特に変化は見られなくとも、ハーブティーを飲み干して、ここに来ると落ち着くの、と笑う彼女はかわいい人だった。あたしも桜木さんのお肉ほぐすの好きです、と思わず言いそうになって口をつぐむ。
桜木さんは来月にお友達の結婚式があるとかで、いつものコースに美肌ケアオプションも追加して次回の予約を入れていった。じゃあまた来月ね、と友達のように手を振りながら帰っていく後ろ姿にお辞儀をする。ヒーリング目的であればもっと適切で安いサロンがあるはずなのだけれど、それでもここを選んでくれるのは純粋にうれしいことだった。別に店を選ぶ目的なんて、人それぞれでかまわないのだ。
十八時。あとは別のスタッフに締め作業をお願いして、今日はもう上がり。施術室の後片付けをしながら、桜木さんとひとしきり盛り上がった話題を思い返して内心冷や汗をかく。盛り上がりすぎて話すタイミングを逃してしまったのだが、実は、今日このあと、行かなくてはならないのだ。まさに肉寿司に。しかも、食べ放題に。
ロッカーからスマホを取り出すと、既に待ち合わせに向かっている面々のトークがグループLINE上でぽこぽこと動いている最中だった。「南中63期」と記されたグループには、三十人ほどのメンバーがいた。今日来るのはそのうち二十人ちょっと。ちゃんとした同窓会は、中学を卒業してから二度目のこと。前回は高校二年の時だったから、あの頃からまた変わった人もいるだろう。あっちゃんにもユカにも久しぶりに会えるし、決まった時から楽しみではあった。大人になってから、人の縁というのは意識的に繫いでいかないと簡単に途切れるということがよくわかったのだ。仲良くしたい人とは、定期的に声をかけあって集まらないとすぐ疎遠になる。だから集まりを企画してくれていると知ったときは心底うれしかった。それから、こういう場にこそ、アプリにはない、自然な出会いってやつがやってくるんじゃないかと思ったのだ。
ただ、幹事のまっつんから会場として送られてきた食べログのURLには『完全個室創作和食バル★肉寿司食べ放題! 三時間飲み放題付き二九八〇円』とあり、いや、マジか、と率直に思ったことは否めなかった。なんか、いや、いいんだけど。三十歳を超えてから、この価格帯の店に行くのはすごく久しぶりのことだった。
サロンのある表参道から、会場の新宿まではそう遠くない。新宿西口を出て雑多な路地をくぐり抜けた先の雑居ビル四階。中に入ればもう乾杯が済んだあとのようで、座敷の大部屋にはぎゅうぎゅうに同級生の面々が集っていた。すごく、暑い。
入り口近くで出欠を取っていた幹事のまっつんにお礼を言い、適当に挨拶しながら奥にいたあっちゃんとユカの隣に座る。それぞれの話し声が反響して、大きな声を張り上げないと、まったく聞こえない。ビールあるよ、と言われてあっちゃんが差し出してきたのは大きなピッチャーに入ったビールだった。うん、まあ、学生に戻った気分で楽しめばいいってことね。お通しのしなびた冷凍枝豆をかじっていると、次々と懐かしい同級生が話しかけにやってくる。みんな見た目は多少変わっていても、面影はそのままだった。部活や先生や今日ここにいないクラスメイトなんかの話を始めれば、久しぶりに会ったってすぐに盛り上がれる。同級生のいいところはこういうところにあるなと思った。そもそも、今日この場にいるメンバーなんて、みんな中学にいい思い出のあった人間ばかりだ。盛り上がるのも必然だった。
ひとしきり同じ卓のメンバーとしゃべったあとで、ふとテーブルの上に置かれたままの肉寿司の皿に目をやる。そういえば、これが食べ放題なんだよな。皿はひときわ大きな存在感を放っていたが、おしゃべりに夢中なのか、まだ誰も手をつけていないようだった。四角いレゴブロックのような形をしたご飯の上に、薄いベーコンのような肉が乗せられている。握りですらない、何か型を使ってこのブロック状に仕立てられたことは一目瞭然であった。しかも、肉よりもご飯のほうが大きい。不恰好な寿司風のそれが、黒い大皿にずらりと並べられている。なかなかだった。ベーコンの上には落とし物のようにちょこんとマヨネーズやソースがかけられている。
食べ放題と言われても正直ぜんぜん食べる気にはならなかったが、まるっきり手をつけないのも失礼だろうと思って、ひとつだけ手に取ってみる。指先に触れたレゴブロックご飯はなんと冷たく、そしてその上に乗せられたベーコンもまたひんやりと冷たかった。肉寿司って冷たいものなのか? いや、ふつうの寿司だって冷たいか。でもなんだろう、冷たいことが不自然に感じられるくらいには調和がとれていない味だった。冷蔵庫から残り物の冷や飯とベーコンを取り出してそのまま組み合わせたと言われたら頷いてしまうくらいの、えも言われぬわびしさがそこに存在していた。
ちなみに、店の食べログに掲載されていた肉寿司の写真というのはこれとは似ても似つかない豪華なもので、きゅっと握られた小ぶりなシャリに、マグロと見紛う鮮やかで肉厚な赤身がすらりと合わさっている。てっぺんにはいくらが贅沢に乗っているものもあった。あらためて、目の前の皿を見る。やっぱり崩れかけのレゴブロック。そして、かまぼこをさらに薄く切ったようなベーコン。申し訳程度のマヨネーズは、いくらの代わりのつもりだったんだろうか。いつだかにスカスカのおせち詐欺がテレビで取り沙汰されたことがあったけれど、こんなことは安居酒屋では日常茶飯である。店舗提供画像と実物が一致しないことなんて当たり前すぎて、もはや誰もレビューに書き残したりしない。繁華街では公然の優良誤認。
ひと口食べても半分以上減らない、やたらと大きなレゴブロック肉寿司を持て余していると、誰かと席替えをしたのか、おもむろに隣に池内くんが座ってくる。夏井久しぶり! と屈託なく笑う顔には中学時代の面影がまだあった。いわゆる一軍男子、サッカー部のエースである。まさに少女漫画の主人公みたいな爽やか青年は、テーブルの上で半乾き状態になっていた肉寿司を見て、お、もらっちゃお、と言いながら手をつけた。あの大きなレゴブロックをひょいとくわえてひと口で。しかも、なんか、おいしそうに食べるじゃないか。
思わず、おいしそうに食べるねえ、と言えば「うん、この店、俺がまっつんに紹介したんだよね。たまに嫁と来んの。いいでしょ?」と、こともなげに言いながら池内くんは肉寿司をさらにもうひとつつまんだ。嫁が肉寿司好きなんだけどさ、ここのが一番うまいって言うんだよね。
え。思わず持っていた肉寿司を醬油皿のなかにぼとりと取り落とす。はねた醬油が、ベージュのスカートに小さなシミをつくる。「わ、大丈夫?」。池内くんはスマートにそのあたりから新しいおしぼりを持ってきて渡してくれる。こういう気遣いができるところは変わっていないと思ったけれど、この品のない肉寿司をチョイスした肉寿司男が池内くんだったということ、そして池内くんが結婚していたということの二重の衝撃波で、正面から殴られたような気になった。たしかに池内くんの左手には、幅の広いシルバーのリングが嵌められていた。
池内くん、結婚したんだ、とスカートをおさえながらさりげなく聞けば「そうそう、最近チビも生まれたんだよー」とスマホのロック画面を見せてくれる。そこには、ネモフィラの咲く丘を背景に妻子と心底幸せそうな笑顔で映る池内くんの姿があった。津田沼に戸建てを買ったばかりだという。すると、同じくマイホームを買ったばかりだという別の同級生が近くの卓から席替えしてきて、あっという間に既婚者同士の輪ができてしまった。次々に飛び交う家族、子ども、義理の実家、保険、ローンなどの話になんとなく相槌を打っていれば、「夏井は今が一番自由だよ!」と明るい野次が飛んでくる。うるさ、と思ったが、たぶんぎりぎり笑顔は作れていた。はず。
池内くんが配偶者のことをしきりに「嫁」と言うのがちょっと嫌だった。さようなら、幻想上の池内くん。頭の中で幾度となく再生されていた、カルピスソーダを小脇に抱えてまぶしい笑顔で校庭を駆けていく池内くんのイメージビデオはガラガラと崩れ去り、肉寿司の形をしたレゴブロックでお城を作っているいけすかない格好の肉寿司男の映像に差し替えられる。池内くんの少し開いたシャツから見えたクロムハーツのシルバーの輝きが、なぜか反射して目に痛かった。
同窓会がお開きになると、まだ二十一時過ぎではあったけれど、あっちゃんやユカを含む家庭を持つ組は早々に解散していった。残った面々はあたしを含めて、独身の、やっぱりいまいちパッとしないメンバーで―それはたぶんお互いがお互いをそうジャッジしていたと思う―そういう微妙な空気感があった。二次会に行くほどでもない。元気そうでよかったよ、また集まろうね、と形だけの挨拶をして、本当はJRを使ったほうが早いけれども、地下鉄だからと小さな噓をついてひとりで帰路につく。南中63期のグループラインには、早くもアルバムに大量の写真が追加されている途中だった。写真にはあの肉寿司がちらほらと映り込んでいたが、よく見ればみんなあまり食べてはいないようで、そのことにすこしだけ安心してしまう。
楽しかったといえば、まあ楽しかった。文句があるなら幹事をやればいいのだ。南中のみんなのことは基本的には好きだけど、幹事をやりたいかと言われたら黙ってしまう。大人数で、誰もが快く払える金額感で、それでお腹も適度に満たせて遠慮なくおしゃべりできる場所。そうだよね、必然的にこういう場所になるよね。あたしたちの中にはもう共有することのできないいくつもの文脈があることに気がつくと、さみしい反面、安心するような心持ちもあった。
ぺらぺらの肉寿司をおいしそうにつまむ池内くんの顔を思い出す。別に店を選ぶ目的なんて、人それぞれでかまわないのだ。数時間前にサロンで思ったばかりのじぶんの本心を裏切りたくはなかった。まったく酔ってはいないのに、頭だけが割れるように痛い。うう〜、と地下鉄のホームでうめき声を上げながら、自販機でミネラルウォーターを買って一気に飲み干す。冷たさが響いて頭はさらに痛んだが、喉の奥につかえていた不快な脂を流すことには成功したらしい。
口元を手でぬぐい、思わずマッチングアプリを開く。ホーム画面には、盛れてる他撮りのあたしが微笑んでいた。やっぱりアプリのほうが気楽だ。なんだか桜木さんに無性に話を聞いてほしくなったけど、彼女とは、友達じゃない。
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文=オルタナ旧市街