ロシアで増える”クアドロバー”に対してロシア政府やロシア正教も懸念を強めている

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ネコや狐などの動物のマスクやミミ、しっぽなどをつけて四足歩行をする"クアドロバー"(写真:クアドロバーのYouTubeより)

今、「クアドロビクス」というサブカルチャーがロシアで話題を呼んでいる。あまり日本ではなじみのない用語だが、ネコやキツネなどの動物のマスクやミミ、しっぽなどをつけて、四足歩行をするという「遊び」だ。TikTokなどのSNSでも話題を呼び、流行しているようだ。

それだけ聞くと、子どものごっこ遊びや若者のコスプレに過ぎないようにも思えるが、このサブカルチャーが、ロシアの国会を巻き込んでの社会問題となりつつある。強面外交官のラヴロフ外相までがアルメニアのミルゾヤン外相との会談(10月8日)で、「おたくの国ではクアドロビクスが流行っていますか?」と質問したほどである。

問題視されるようになったきっかけ

この流行自体は今年の春ごろからロシアで徐々に始まったのだが、あっという間に広まり、すでにクアドロビクス用の変装道具の市場も生まれている。

青少年のこうした「奇異」な行動には当初から賛否両論あったらしいが、社会問題化するきっかけになったのは、ロシアの女性ポップシンガー、ミーア・ボイカが8月末に開催された自身のコンサートにおいて、公衆の面前でネコの恰好をしたクアドロバー(クアドロビクスをする人)に対して否定的な発言をしたことだ。

そのクアドロバーがティーンエージャーの少女だったことから、この行動は人格否定だとして批判を呼び、結果的にクアドロビクスをどう考えるかを問いなおすきっかけを多くの人に与えることになったのである。

【写真】国会議員がいつか「悲劇的な結果につながる」と懸念を強めている四足歩行の「クアドロバー」たち

結果、9月には一部の国会議員が、クアドロビクスを禁止するべきだと主張するに至り、一気に政治問題化。ある女性議員によると、クアドロビクスは心に傷を与えるだけでなく、悲劇的な結果につながるという。悲劇的な結果というのは、クアドロバーたちが道行く人にいきなり噛みついたり、ひっかいたりするという事件が発生したことを指している。

一方で、こうした法的規制はクアドロビクスへの関心をむやみにあおることになるとして反対する議員もいる。現在、国会ではクアドロビクスを含む「破壊的イデオロギーのプロパガンダを禁ずる法律」の法案が作成中とのことで、この法案が成立するかどうかが注目される。

なぜそこまで問題視されているのか

このような子どもの「遊び」まで厳格に規制することで、寛容性の低い、息が詰まる社会になりそうで心配だが、そもそもクアドロビクスがなぜこれほどロシアで問題視されるのだろうか。

ロシアのメディアでは、クアドロビクスは日本の四足走行ギネス世界記録保持者、いとうけんいち氏(100m15秒71)の活動が発祥であると言われている。

その後、英米圏でエアロビクスと美容体操のコンビネーション、一種のスポーツとしてクアドロビクスとして扱われるようにもなった。「British VOGUE」(2024年7月)でも、「クアドロビクスは全身の筋力を改善するフィットネストレンド」と題して取り上げられている。

ところが、ロシアで問題視されているクアドロビクスには、スポーツやフィットネスとは少し異なる側面も見られる。一部のクアドロバーは完全にネコや犬などの動物になりきり、これらの動物のように口だけで食事をしたり、四足歩行で街中を散歩したりしているようなのだ。


『モスクワ・タイムズ』でも取り上げられた(写真:The Moskow Timesのホームページより)

これは、いとう氏のように四足走行でスピードを競うとか、全身の筋肉を強化するフィットネスだとかいう話とは異なる次元のものである。そのため、むしろ、「テリアン」と呼ばれる人々に近い動きだと考えられている。

テリアンとは、自分のアイデンティティを何らかの動物として受け止めている人のことで、動物になりきっているクアドロバーの様子がテリアンと親近性があると受け取られているのだ。


いとう氏がロシア側から意見を求められる事態に(写真:いとうけんいち氏のXより)

ロシア正教が大問題と見ている理由

特にこれを問題視しているのが、ロシアの一般的な信仰であるロシア正教会である。正教会はキリスト教の一派であり、キリスト教は動物と人間との間に画然と境界線を引き、人間を万物の霊長(最も優れている者)と規定している。

そのため、正教会の聖職者や厳格な信徒からすれば、動物を自身のアイデンティティとしたり、動物になりきって行動するといった行為は、聖書の教えに反する堕落した行為ということになるのである。

ロシア正教の司祭であるルキヤノフは、クアドロビクスについてこう述べ、強く批判している。

「クアドロビクスは子どもの遊びでもスポーツでもない。これは代替のアイデンティティを探すというサブカルチャーであり、子どもたちがLGBTを含む反価値(価値観に反すること)を心理的に受け入れる準備をするようしむける危険な社会的テクノロジーである」

ルキヤノフ司祭によれば、クアドロビクスはLGBTを受け入れるようになるための準備段階のような位置づけにあるという。代替的なアイデンティティを探す行為によって、子どもたちの人格形成を阻害し、最終的には人工的に形成されたアイデンティティやジェンダーを受け入れるようになるというのである。

こうした保守的な宗教的価値観に基づく危機意識は、ロシアでも一部の極端な意見に思えるが、実はそうとも言えない。ロシアでは、LGBTを宣伝する行為が、青少年の精神的発達に有害であるとして禁止されているのである。

保守的価値観の権化はプーチン大統領

そして、こうした保守的価値観をはっきりと表明しているのが、ほかならぬプーチン大統領なのだ。プーチン大統領は、ウクライナ侵攻を開始した2022年2月24日の演説で、アメリカの価値観を退廃と退化につながるものとし、ロシア国民を内側からむしばむ偽りの価値観、ロシアの伝統的価値観を破壊しようとする試みだと断じた。同年9月30日の演説でも、西側の価値観を「悪魔崇拝(サタン主義)」だと述べている。

もちろんすべてのロシア人がクアドロビクスを危険視しているわけではない。専門家たちは、クアドロビクスを少年期の空想ゲームであり、ティーンエイジャーのアイデンティティ探求の1つの形であり、一種の社会化の形態であると考えている。大統領報道官のペスコフは、クアドロビクスについて、「大したことではない」と述べ、「その人気を過大評価する必要はない」と切り捨てている。

とはいえ、プーチン大統領が保守的な価値観、伝統的な価値観の維持、西側の価値観の影響を否定していることは、多くの人々や政治家にとって無視できない事実である。

ロシアがこのように独自の価値観を重視し、西側の価値観を否定するのは、過去にも見られたことだ。例えば、フランス革命とそれに続くナポレオンのヨーロッパ席巻により、革命由来の民主主義、自由主義の思想がヨーロッパで影響力を持ち始めた時、時のロシア皇帝アレクサンドル1世は、神聖同盟なる多国間同盟を主唱し、キリスト教に基づく正統主義による支配の擁護を主張した。

つまり、自由民主主義思想の影響力が拡大するのを阻止しようとしたのである。アレクサンドル1世の場合も、プーチン大統領の場合も、西側から輸入される新たな思想や価値観が、ロシア社会を内的に破壊するものだと受け止め、対外的な脅威認識に結びついているのである。

過度な自由主義を脅威と感じているのは、何もロシア正教の信徒だけではない。アメリカの共和党の強固な支持層であるキリスト教右派は、同性愛や人工妊娠中絶に強い抵抗を感じている社会層である。そしてこれらの問題はアメリカ政治においても大きな争点になっている。

日本でも夫婦別姓の是非が今回の衆議院選挙の大きな争点の1つになっているが、これもまた、日本の伝統的価値観、保守的な家族観に関する問題である。

国家が外的脅威を感じると寛容性が失われる

そう考えれば、ロシアでのクアドロビクスをめぐる騒動も、日本の政治状況とそう遠く離れているわけではない(ちなみにロシアでは夫婦別姓が認められているそうである)。そもそも、こうした価値観の問題をひとくくりに評価すること自体ができない相談なのだ。

ウクライナ紛争について触れれば、2022年秋にロシアが30万人の予備役を動員したことで騒がれたが、ウクライナはもっと大規模な動員を行っており、いま新たに徴兵年齢を引き下げようとしている。

自由な社会、寛容な社会という理念と、団結した社会、国家という理念は、互いに相いれないのかもしれないが、ロシアウクライナを見ていると、国家が外的脅威を感じるようになれば、必然的に社会的な統制が強まり、寛容が失われるようになるのは共通の事態のようだ。

(亀山 陽司 : 著述家、元外交官)