塚原千恵子さん

写真拡大

 体操で、2004年アテネ大会から五輪4大会連続で日本女子の監督をつとめた塚原千恵子さんの訃報が21日、突然に飛び込んできた。まずはご冥福を祈りたい。8月上旬に、パリ五輪体操競技の解説のため、何度も長男の直也さんとやりとりをした。直也さんは、母のことなどおくびにも出さず、熱心に解説してくださった。改めてお礼とともにお悔やみを申し上げたい。

 前職の某スポーツ紙で体操担当を長く務め、塚原さんには大変にお世話になった。話好きで、よく報道陣と食卓を囲み、楽しんだ。ただ、口調が強く、人をあまり誉めず、思ったことが伝わりづらい。言葉足らずで、好き嫌いも激しく、誤解を生んだことも多い。本当に不器用な人だった。

 その不器用さが、2018年に騒動を生んだ。ある女子選手のコーチが指導で暴力をふるうことがあり、塚原さんは、その選手との面談で強い口調で非難した。「そんなことをしていたら、五輪に出られないわよ。私のところに来たら」。その言葉だけが一人歩き。選手は会見を開き、「脅された。引き抜かれた」と、パワハラで塚原さんを訴えた。

 塚原さんが、もう少し言葉をうまく使えば、違った結果になっただろう。相手は10代の半ばの子どもだ。強い言葉に、極端に反応することは十分に考えられた。多くの行き違いが、あらぬ騒動を生み、感情論だけが行き来した。

 同年、日本体操協会が設置した第三者委員会は、塚原さんに、違法性があるパワハラ行為は認められなかったとした。塚原さんは協会強化本部長などの職を辞し、騒動はようやく沈静化に向かった。

 体操界は、企業や学校が中心となる旧来からのアマチュアの色が濃い。その中で、塚原さんの指導はプロだったのだろう。選手への体重管理は厳しく、ちょっとした手抜きも許さない。10代の少女たちは、精神的なタフさを常に要求された。

 世界の強豪であるロシア体操界と関係を深め、ロシアの指導者を、いち早く自身のクラブや代表コーチに起用した。体線が美しいロシアの体操が、日本に最も適応すると見抜いての判断だった。3度の五輪に出場し、7個の金メダルに輝いたアンドリアノフ氏を、直也さんのコーチにつけたこともあった。

 ある時、1つのエピソードを語ってくれたことがある。怒って出て行った選手が、塚原さんの誕生日に、たずねてきたという。雨の中、体育館の前に立っていた。「外から見たら、いい話でしょ。でも、私は、感激したってならない性格。いたくないって言って、怒って出て行った時点でもうダメ。自分の人生だから、自分で選択しなさいと」。

 外野からは、冷たく厳しいように映る。しかし、10代の少女たちを、1人の成長したアスリートとして扱おう、成長させようとしていたのではないか。そうしなければ、世界では勝負できないと分かっていたからだ。

 塚原さんの中には、自分の不器用さに葛藤もあったようだ。「自分が言葉が少ないのか、その(感激しない)気持ちがどこから来るのか。もしかしたら、それが(私の)欠点かもしれないけど」。選手、親御さん、関係者、そして報道陣に、なかなか伝わらない真意に、少しだけ愚痴をこぼした。

 指導者としての寂しさも語っていた。「(選手が)1人前になること、巣立っていくことがうれしいけど、離れていくものを感じる。自分の元を離れていく、子どものような心境かな」。しかし、決して引き留めはしない。1度も「残ってほしい」と言ったことはないという。

 塚原さんから、2012年に開かれた直也さんの結婚披露宴に招待された。豪華な宴が終わりに近づくと、塚原さんは、招待された数人の報道陣にこっそりと耳打ちした。「最上階で2次会があるからね」。その時の顔は、息子の結婚を心から祝福し、うれしくてたまらない母親の表情にあふれていた。(吉松 忠弘)