『海に眠るダイヤモンド』©TBSスパークル/TBS

写真拡大

「ねえ、いづみさんって、何者?」

参考:野木亜紀子は戦後史とどう向き合う? 『海に眠るダイヤモンド』は黄金チームの挑戦作に

 その質問を、このドラマそのものに投げかけたくなる第1話だった。10月20日にスタートした日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)は、石炭産業で躍進した1955年の長崎県・端島と、2018年の東京を同時に描く愛と友情と家族の物語。とは聞いていたが、蓋を開けてみるとミステリーでもあり、歴史ドラマでもあり、ラブストーリーでもあり、お仕事ドラマでもあり、そして社会派ドラマでもあり……と、一言では言い表せない複雑な作りに圧倒された。

 それはまるで野菜も肉も魚介もごちゃまぜになった“ちゃんぽん”のように。それぞれの風味が絡み合って旨みを増していく。さすがは、数々の話題作を生み出してきたプロデューサー・新井順子×脚本家・野木亜紀子×監督・塚原あゆ子のゴールデンチームだ。果たして、このドラマをすべて飲み込んだあとに、どんな後味が待っているのか。そのエンディングがまったく予想ができないところもまた嬉しい限りだ。

●誰の心にも眠っている思い出という名のダイヤモンド

 やはり気になるのは、謎の婦人・いづみ(宮本信子)の正体だ。物語は、いづみの「戻れない、あの島。今はもういない人々。愛しい人の思い出はすべて、あの島へ、置いてきた」というモノローグから始まる。その声と共に映し出されるのは、端島から出発したと見られる手漕ぎの小舟に乗り込んだリナ(池田エライザ)だ。なぜ彼女が赤子を抱いて逃げるように島を出たのか、そして漕ぎ手の男性が誰なのか、行き着く先はどこなのか、今の段階では検討もつかない。

 ただ第1話から想像されたのはいづみが長い間、端島の思い出から遠ざかっていたのだろうということ。それは、島に近づくだけで涙が溢れるのを止められないほどに、心に蓋をせずにはいられない記憶だったようだ。

 長い人生を生きていると、誰の心にも消化されない感情が澱のように沈む。日々の生活をなんとかしていくうちに、時間はあっという間に流れる。そうして気づけば、太古の植物が石炭になっていくように、掘り起こすのが困難になっていくのだ。

 いづみにとって端島での日々はきっとダイヤモンドのようにきらめく時間だったのと同時に、海底の底の底を行く炭鉱のように掘り起こすのが難しいものになっていたのかもしれない。そんな彼女が今、端島と向き合うきっかけとなったのは、ホストの玲央(神木隆之介)との出会いだ。

 玲央は、1955年の端島に生きる鉄平(神木隆之介)にそっくりなホストだった。いづみと鉄平がどんな関係だったのかは、まだ語られてはいないが、それでも出会い頭に「私と結婚しない?」とプロポーズしたからには、特別な想いがあったことがうかがえる。

●端島に生きる3人の女性と、コードネーム“いづみ”の謎

 玲央から何者かと問われたいづみは、「コードネーム・いづみ」と答えた。「コードネーム」というからには、それは本名ではないということだろう。そんないづみが回想する端島の思い出には、鉄平を中心に3人の女性が描かれる。その3人のうちの誰かが年を重ねた姿がいづみということだろうか。

 まずは、進駐軍のクラブで歌ってきたというリナ。端島の女性を軽んじる男性に毅然とした態度で抵抗する芯の強さを見せるが、それゆえに「やっとみつけたって思っても、うまくいかなくて……ひとりで根っこが切れた海藻みたいに、漂って、流されて、転々と。そういう人生」と語っていたように、どこか安定して生きるのが苦手な不器用さがある人にも見えた。そんなリナが、秘書のいるような地位に就くイメージはすぐにはできない。

 では、鷹羽鉱業の職員の娘である百合子(土屋太鳳)がいづみになっているという線はどうか。百合子は幹部職員の息子である賢将(清水尋也)と恋人関係にあり、結婚した暁には何不自由ない生活を送っていてもおかしくはない。だが、鉄平が「俺が好きになる子って、ぜーんぶ賢将が、さらってっちゃうんだよな」と言っていたように、鉄平から百合子への片想いは報われなかったところをみると、彼女が玲央にこれほど執心するとは少し考えにくい。

 ならば、最も鉄平に対する恋心が強いと見られる銀座食堂の看板娘・朝子(杉咲花)はどうだろうか。朝子の純粋さなら実らなかった初恋を、数十年経っても忘れられない人として胸に秘めていたとしてもおかしくはない。しかし、誰よりも家族思いと見られる朝子が、家族に黙って家出をするいづみになっているのだろうかという疑問も……。

●蓄積された過去の上に、今を生きているということ

 3人の女性を知るほどに、2018年を生きるいづみとはすぐには繋がらない。しかし、1955年から2018年という年月は、それだけ変化するのに十分な年月なのだと言われても納得してしまう。鉄平と玲央がそうであるように、泥臭く強かに生きる1955年の端島の人々と、はるかに豊かな時代ではありながら無気力にならざるを得ない2018年の若者たちの対比は、同じ日本とは思えないくらい変わってしまったように思える。

 “時代が違う”とは思いながらも、リナの歌う端島音頭に思わず体が動いてしまう人々と、SNSで流行りの楽曲で「踊ってみた」動画が流行する現代と、根本の部分でそう変化していないのかもしれないなんて思ったりもする。

 そんなときに胸に刺さったのが、端島に流れ着いたリナに職員クラブの町子が「あんたに何があって、どこから逃げて来たのか知らんけどさ。あたしたち、あの戦争を生き延びたとよ。そう簡単には死ねんさ!」と言い放ったセリフだ。

 現代を生きる私たちも、振り返ればさまざまな災害をはじめとした理不尽な出来事を生き延びてきた。大切なものを奪われ、築き上げたものを踏みつけられ、心に深い傷を負いながらも必死に生き、それこそ澱となっているものもたくさんある。

 ともすれば、どうしようもない大きなうねりに翻弄されたことで、自分の力では何も変えられないと絶望してしまいたくなる。けれど、日々は自動的に出来上がったのではなく、それでも立ち上がってきた人たちによって切り拓かれてきたのだ。

 終盤、いづみが玲央に「人生を変えたくないか?」と問うシーンを観て、端島を去ろうとしたリナが鉄平に「リナさん、人生を変えたくないか?」「ここから、変えたくないか?」と言われたシーンと重なった。同時に、それは私たち視聴者にも言われているようにも感じた。「あなた、人生で、本気で逆らってみたことある?」と。

 どうにもならない大きな流れに逆らって。絶対に敵わないと思われる力に抗って。そうして根っこを生きてきた人たちによって今がある。たとえ、またその努力が根こそぎ無にされるようなことが起こっても、何度でも、何度でも挑み、持てる力を振り絞ってしぶとく生きていく。このドラマは、そうした過去の上に私たちが立っているのだということを思い出させ、今を生きる勇気をくれる作品になってくれるような気がする。

(文=佐藤結衣)