学生時代を終え、社会に出たら持っておきたい…思い通りの人生を選ぶ取るために必要な「努力」の源になる「大切な気持ち」

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日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。

『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。

本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。

人生が決定される時期

中高年が「成人期後期」であれば、「成人期前期」は世間から「大人」として扱われる時期、学生時代を終えて社会に出て行く年代です。年齢でいうと、だいたい二十五歳から四十五歳あたりを指します。

成人期前期は、個人的責任と社会的責任を果たしながら、生き甲斐や幸福を追求する人生の中心となる時期でもあります。

個人的責任とは、生活面での自立、家族形成、子育て、親の介護などを指します。

社会的責任とは、職業による社会貢献、納税、公的支払い、投票、地域活動などで、いずれも浮ついた考えや、甘い見通しではやり遂げられない厳しさがありますから、この時期は「大人」であることが求められます。

精神保健学では、成人期前期は職業や結婚、家族などの「同一性」を獲得する時期とされます。自分の人生がほぼ決定するのがこの時期ということです。

中高年になって人生を振り返ったとき、悔いや悲哀を感じるのか、あるいは満足や納得を得るのかは、この時期にかかっているといえます。しかし、成人期前期の最中にいる当人は、そこまで想像力が及ばず、ただ目の前の状況に振りまわされ、何が何だかわからないまま、日々をすごすことも多いようです。

私自身もこの時期を振り返ると、二十六歳で医者にはなったものの、高校時代に思い立った小説家になる志は一向に実現に近づかず、悶々としてすごしていました。

その間に、結婚し、妻の出産があり、外科医と麻酔科医を行ったり来たりし、さらには外務省の医務官として海外赴任をして、帰国後は高齢者医療に携わるという一貫性のない道を歩んでいました。小説家としてデビューしたのは「成人期後期」に入った四十八歳でしたから、私の「成人期前期」はアテのない漂流船だったといえます。

社会の中で思い通りの人生を選び取るためには、努力が必要です。努力の源になるのは「自己信頼感」、すなわち、自分は大丈夫という気持ちです。具体的には、短所より長所のほうが勝っているという感覚です。それは個人的な虚栄心やナルシシズム、自己顕示欲などとはちがい、客観的な判断に基づくものでなければなりません。まっとうな「自己信頼感」が得られれば、地に足のついた自尊心が生まれます。

努力は通常、すぐに結果が出ません。将来、実を結ぶにちがいないと信じる気持ちがあるからこそ、つらい思いに耐えられるのです。自分を信じる力、つまり「自己信頼感」が、不運に見舞われたり、遠まわりを強いられたりしても、あきらめずに努力を続けるよすがになります。

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