満員の国立競技場で蘇る昨季昇格プレーオフの「事件」の記憶 微妙な判定に異を唱えるメディアはなかった
連載第8回
杉山茂樹の「看過できない」
国立競技場に集まった観衆は5万5598人。9月28日に行なわれた清水エスパルス対横浜FCの一戦はJ2リーグ新記録だった。今季、国立競技場で開催されたJ1リーグの試合を含めても、FC東京対アルビレックス新潟、FC東京対名古屋グランパスに次ぐ、3番目にランクされる大入りである。
ホームチームは清水で、スタンドも7割方オレンジの観客で埋め尽くされていた。横浜FCにもう少し集客力があれば、J1記録(FC東京対新潟の5万7885人)を上回っていたに違いない。
清水は昨季も今季同様、国立競技場でホーム戦(ジェフ千葉戦)を実施している。この時、集まった観衆も4万7628人で、その時点におけるJ2新記録だった。2年続けて動員記録を更新したわけだ。
さらに清水は昨季のJ1昇格プレーオフ(PO)を国立競技場で戦い、5万3264人の観衆を集めている。
昨季のJ2は3位が東京Vで、4位が清水だったので、昇格POは、同点ならば東京Vの昇格というレギュレーションで行なわれた。
先制したのは清水。後半18分、チアゴ・サンタナがPKを決め、清水はJ1昇格に大きく前進した。すると清水ベンチは布陣を変更。5バックで後方を固める作戦に出た。守り倒そうとしたのである。清水ペースで推移してきた試合内容は一変。攻める東京V、守る清水という一方的な展開になった。
事件が生まれたのは最終盤。後半のアディショナルタイムだった。清水のセンターバック高橋祐治が、エリア内で染野唯月を倒しPKを献上。染野が自らこれを決めて1−1とし、東京VはJ1に昇格した。
横浜FC戦でゴールを狙う高橋祐治(清水エスパルス) photo by Kishiku Torao
高橋のタックルは無謀に見えた。だが、それを誘発したのは5バックで守り倒そうとしたベンチの采配で、むしろ高橋より責められるべきだと筆者は当時、記したものだ。先週の横浜FC戦で相変わらずベンチ前に立ち、大声を上げて采配を振る秋葉忠宏監督を見ると、当時のことがまざまざと蘇るのだった。
しかし、問題はこれで終わらなかった。あとでこの試合の映像を振り返ると、試合を分けたPKシーンが、かなり微妙な交錯であることに驚いたのである。高橋の右足はボールを突いていた。対する染野は左足を不自然な方向に踏み出していた。「PKやむなし」と、記者席で抱いた印象が大きく崩れた瞬間でもあった。
昇格POだ。来季をJ1で戦うかJ2で戦うかは、クラブにとってはまさしく死活問題だ。その泣き別れとも言うべきワンプレーがかなり微妙だったのだ。にもかかわらず、主審の判定だけでVARは介入しなかった。これは大問題だと筆者は思う。VARは何のために存在するのか。最終的にPKで変わりがなかったとしても、手続きは踏むべきだろう。
これが海外ならば大騒動に発展していたに違いない。さらにいただけないのは、何も異を唱えることなく沈黙した地元、静岡のメディアだ。クラブに対する愛はないのかと言いたくなる。いったん下った判定に異を唱えるのはスポーツマンシップに反することは確かである。しかしこの場合の焦点は、これほど重大な一戦にもかかわらず、VARが介入しなかったという運営上の問題だ。
結局、このシーンが微妙なプレーだとして世の中に明らかにされることはなかった。PKを献上した高橋はこの1年間、清水を昇格に導けなかった張本人として、辛い1年間過ごすことになっただろう。このネット社会において、それはさぞ大変な時間だったと推察される。
横浜FC戦を前に、地元メディアが掲載したプレビュー記事は、高橋のコメントが中心になっていた。国立競技場という因縁の舞台で戦う心構えについて聞き出した記事を掲載することで、前景気を煽ろうとしたのだろう。
ここですっかり忘れそうになるのは秋葉監督の采配だ。J1に昇格できなかった原因は高橋の反則タックルにありとすれば、その分、それを誘発した監督の采配に対する批判は薄れる。こう言っては何だが、それはサッカー監督にとって致命的と言っていい采配ミスだった。だが、秋葉監督はJ1昇格を逃しても解任されなかった。
横浜FC戦も、清水は戦力で相手を上回りながら、1−1で引き分けてしまった。サッカーの質は相変わらず低かった。J1に復帰することができても、このままでは多くを望めないだろう。
【ガス抜きの役割を果たさないメディア】だが、筆者が看過できないのは監督の采配ではなく、やはりメディアのほうだ。染野対高橋のシーンは、地元メディア以外でも取り沙汰されなければならない案件なのである。このネット社会だ。メディアがそれを怠れば、グラウンド外において必要以上に盛り上がること必至。ネットへの書き込みが陰湿だとされる日本人である。選手や審判に向けて誹謗中傷が横行したとしても不思議はない。メディアの役割はそのガス抜きになることだ。
筆者が欧州取材を始めたのは1980年代後半になるが、そこで真っ先に受けたカルチャーショックが、テレビスポーツニュースが報じる審判判定への是非だった。映像をこれでもかというほど執拗にスローで繰り返し再生し、評論家らがああだ、こうだと論じあう光景は、日本在住者には衝撃的なものとして映った。
審判は当たり前のように毎週、ヤリ玉に挙がっていた。ただし、それは誹謗中傷ではない。健全なる批判だ。欧州の審判のレベルは、だからこそ高かった。そして何より知名度が高かった。チャンピオンズリーグを裁く主審などはとりわけ高名で、スター性があった。日本の審判とはステイタスの次元が違っていた。
欧州ではテレビのスポーツニュースがガス抜きの役を果たしていた。判定には異を唱えようとしない日本のテレビ局とは心意気が違っていた。「微妙ですね」のひと言でおしまいにしようとするその曖昧な態度に、ネットは業を煮やしたかのように過剰に反応する。欧州人がそれを見れば、やはり陰湿だと言うだろう。
DAZNで毎週、レギュラー番組として配信されていた『Jリーグジャッジリプレイ』は、そういう意味で画期的な番組だった。発端は協会のホームページ上で原博実元専務理事が中心になって始まった企画だったという。欧州にたびたび足を運び、おそらく同じカルチャーショックを味わったと思われる原氏らしい発想である。
だがその『Jリーグジャッジリプレイ』も今年、あっさり番組の幕を閉じた。いろいろな意味で堪えられなかったのかもしれない。これまた見逃すことができない、暗い社会を象徴する一件である。残念と言わざるを得ない。
生死を懸けた一発勝負の昇格POで、PKか否か、意見が分かれる微妙な判定が下されても、誰も異を唱えようとしない。この不健全さは、いまの日本社会を象徴する一件だと筆者は見る。