江村美咲のパリオリンピック後の成長 フェンシング全日本選手権を東京五輪金メダリストが分析
フェンシングの全日本選手権が、9月14日から16日にかけて静岡県沼津市で開催された。メダルラッシュに沸いたパリ五輪を経て、4年後のロサンゼルス五輪に向けて再びスタートを切った選手たちの戦いぶりや、江村美咲が見せた成長、日本フェンシング競技の今後などを、東京五輪エペ団体金メダリストの宇山賢氏が語った。
全日本選手権では女子サーブルで優勝した江村美咲 ©日本フェンシング協会
フェンシングの日本国内最高位の大会に位置づけられる全日本選手権は、昨年に続いて静岡県沼津市での開催となりました。同市は2019年にフェンシングを通じたまちづくりを推進するため、日本フェンシング協会と包括連携協定を結んでおり、日本代表チームの合宿や競技会、さまざまな体験会の実施、周辺エリアでのフェンシングクラブの発足など、日本フェンシングの拠点として機能しています。
全日本選手権は2016年以降、入場無料という形で行なわれています。そのため観戦のハードルが低いのか、初めてフェンシングを見に来たと思われる方も多かったですし、オリンピックで過去最多となる5個のメダルを獲得したメダリストのパフォーマンスに注視するメディアも多く見られ、あらためて注目度の高さを目の当たりにすることとなりました。
パリ五輪のフェンシング競技は、現地時間の7月27日から8月5日の日程で行なわれました。日本選手団が帰国したのは日本時間の8月7日で、大会に派遣されていた選手たちは、そこから束の間のオフに入ります。
しかしオフの期間も、晴れてメダリストとなった選手たちはテレビやイベントへの出演、地元への凱旋、スポンサーへのお礼の挨拶回りなどに奔走することとなり、満足に心身を休める時間が取れていないような印象でした。その影響からか、男子エペ個人金の加納虹輝選手、男子フルーレ団体金の飯村一輝選手、松山恭介選手など、一部のメダリストは全日本選手権への出場を辞退することに。少し残念に思う部分もありますが、こればかりは誰も責められないと感じます。
私も3年前の東京五輪で金メダルを手にしましたが、当時はコロナ禍が続いていたため、メダリストの凱旋パレードや大規模イベントなどは行なわれませんでした。それでも大会の直後は忙しい毎日を過ごしました。
当時は「応援への感謝を伝えたい」という思いと、フェンシングやスポーツの力を社会に還元するという責任を感じていました。パリ五輪の出場メンバーも、競技の魅力を積極的に発信し、熱心に活動してくれていると感じます。
●江村美咲のプレー、発言に感じた成長全日本選手権では女子サーブルで、パリ五輪の旗手を務め、団体戦で競技初の銅メダルを獲得した江村美咲選手が見事に優勝を果たしました。準々決勝では大会連覇を目指す高嶋理紗選手、準決勝では尾崎世梨選手と、パリ五輪団体戦のチームメイトに勝利。決勝ではサポートメンバーとしてチームを支えた小林かなえ選手を退け、2年ぶり4回目の優勝を手にすることとなりました。
9月からフィジカルを中心にした調整を続けた江村選手は、次のように大会を総括しました。
「オリンピックなどは関係なく、純粋に勝ちたい気持ちがあった。負けに対する怖さがなく、のびのびと試合を楽しめたと思います。頭がクリアになっていて迷いがなかったです」
江村選手はパリ五輪について、「個人戦の日は朝起きた時から身体が重く、コンディションもよくなかったので、戦術を考えたり、相手との駆け引きを楽しむ余裕はなかったです。団体戦の時はフェンシングに自信を失っていて、(メダルを獲得したものの)自身のパフォーマンスに納得がいかなかった」と振り返りました。しかし全日本選手権後の表情からは、五輪で失いかけた自信を取り戻したように感じましたし、大きな経験を経てさらに成長を遂げたんじゃないかと思います。
さらに今後の目標として、年間10試合の国際大会のなかで最も重要な世界選手権に向けて「コンディションのピークを計画的に作っていきたい」と意気込みを話していました。
特定の試合で最高の状態を作るために短期的、または長期的にトレーニングを計画して実施することを、専門用語で「ピリオダイゼーション」と呼びます。江村選手がそれをモノにできれば、次のロサンゼルス五輪でベストパフォーマンスを発揮するための大きな武器になるでしょう。世界ランキング1位にまでなりながら、強さを維持するのではなく、さらなる高みを目指す姿には頭が下がります。
特筆すべきは、決勝直後の江村選手のコメントです。彼女は決勝の相手であり、パリ五輪で自身のスパーリングパートナーを務めた小林選手に対して感謝の意を示し、「次は一緒にロサンゼルス五輪に行きたい」と涙ながらに語りました。試合直後に対戦相手へのリスペクトと感謝を表現する姿勢は、アスリートとしてだけでなく、ひとりの人間としての成熟を感じさせます。まさにスポーツマンシップの体現であり、勝敗を越えた感動を与えてくれました。
●日本フェンシング界のさらなる成長に期待 全日本選手権で注目を集めたのは、オリンピアン、メダリストだけではありません。パリ五輪に出場することが叶わなかった選手たちや、将来オリンピックの舞台を目指す次世代の選手の活躍も目立ちました。女子フルーレで優勝した長瀬凛乃選手は18歳の大学生。決勝では団体銅メダリストの東晟良選手にまったく臆することなく、積極的なプレーで勝利を収めました。
2008年の北京五輪・男子フルーレで、太田雄貴さんが日本人選手初の銀メダルを獲得してからは、「五輪に出てメダルを獲る」ことが"現実的な夢"になり、その頃に競技を始めた当時の子どもたちが今の代表チームの大半を占めるようになりました。
パリ五輪で5つのメダルを獲得したことも、当時の太田さんと同様に、新たなタレントがフェンシングと出会うきっかけとなる役割を果たしているように感じます。競技人口の増加とともに、国内の競技力向上も続くと予想され、日本フェンシング界により明るい未来が訪れるのではないかと期待しています。
【プロフィール】
宇山賢(うやま•さとる)
1991年12月10日生まれ、香川県出身。元フェンシング選手。2021年の東京五輪に出場し、男子エペ団体において日本フェンシング史上初の金メダルを獲得。同年10月に現役を引退。2022年4月に株式会社Es.relierを設立。また、筑波大学大学院の人間総合科学学術院人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学学位プログラム(博士前期課程)に在学中。スマートフェンシング協会理事。スポーツキャリアサポートコンソーシアム•アスリートキャリアコーディネーター認定者。
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