村上春樹のデビュー作にはなぜ「精神分析医」が登場するのか? その「謎」への一つの答え

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アメリカ的な現象

私たちが生きている社会は、いったいどのような空気や風潮、あるいは雰囲気のうえに成り立っているのか……私たちはときおり、このような、大きく、茫漠とした問いを前に立ちすくんでしまうことがあります。

こうした問いについて考えるためには、これまでの歴史のなかで、どのような思想がつむがれてきたのかを知ることが必要になります。

私たちがそうした知識にふれるうえでいまもっとも便利な書物が、『徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術』(松浦寿輝、沼野充義、田中純)です。タイトルのとおり、圧倒的な実績を誇る3人の研究者が、20世紀のさまざまな思想や文化のあり方について徹底的に討議した様子をまとめたもので、少し読むだけで、多くの知識が得られます。

たとえば、19世紀末から20世紀初頭にかけて生まれたきわめて重要な考え方として「無意識」と「精神分析」があります。人間には、自分でははっきりと認識することのできない無意識という領域があること、精神分析という療法においてはその無意識にアプローチすることで精神的な症状の軽減が可能であることなどが、フロイトを中心に提唱されたのはよく知られるところです。

本書で興味深いのは、精神分析がその後、20世紀後半になってアメリカで流行となったことが指摘されている点です。そして、じつはそれは意外なかたちで日本の文学作品にも影響を与えているといいます。本書より引用します(読みやすさのため一部編集しています)。

沼野(前略)精神分析医はその後広く普及して大衆化して、二〇世紀後半になると、アメリカですごく流行るでしょう。

松浦精神分析が流行したのはヨーロッパではなくむしろアメリカなんですよ。

沼野その背景としては、もちろんフロムだとか、ベッテルハイムだとか、ドイツ語圏から逃れてアメリカへ亡命・移住した精神分析系の心理学者たちの影響も大きいのでしょう。ただ学問的研究の次元ではなく、普通の人が気軽に、と言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、心に問題を抱えた人が精神分析科医に行くというのは、戦後アメリカ的な現象でしょう。それは大衆化してかなり変質した精神分析なのかもしれませんが、おそらくサロン的なものが源流にあって、それがアメリカ的な、医者と話をして快適な共通言語空間を求めるという方向で発展したんじゃないかと思うんです。

今でもよく覚えているのは、皆さんも読んでいると思いますが、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』には、主人公が小さい頃、無口なので親が心配して精神科医のところに連れていかれるという場面があります。そこでドーナツが出された。この時代、ドーナツも目新しいものだったと思うんですが、そもそも、子どもが無口だからといって精神科医のところに連れていく親なんて、その時代の日本に、まず、いるわけないでしょう。

だから、これは村上春樹の完全なフィクション。ただしここで精神分析医は、アメリカ的な文化、むしろポップカルチャーに近いものになっちゃっているわけですね。精神分析ははるかな道を来て、アメリカ文化経由で、村上春樹のデビュー作にまで入っているということです〉

精神分析というものが、どのような位置を与えられてきたか、その一端が垣間見えるような指摘です。現代のメンタルケアを考えるうえでも、参考となるかもしれません。

さらに【つづき】「「神秘主義的な考え方」が、19世紀末というタイミングで流行しはじめた「納得の理由」」の記事では、19世紀末から20世紀初頭の神秘主義的な考え方について紹介しています。

「神秘主義的な考え方」が、19世紀末というタイミングで流行しはじめた「納得の理由」