斎藤知事で終わりではない「パワハラ首長」…ここまで注目されているのに解決が難しい「意外な理由」

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前回記事【兵庫県・斎藤知事の失職では終わらない…パワハラ首長は「今後も増え続ける」と言えるワケ】では、地方自治体の首長によるパワハラや不適切事象が続発する背景について、その強大な威信と権限ゆえ、首長がいわば「現代の専制君主」であるという視点から分析を試みた。

後編となる本稿では、人命が失われる事態になる前にこうした事態を解決につなげる方法はあるのかについて、マスメディアや議会を含めた根深い問題にも触れながら考えてみたい。

解決につながる方法がない

地方自治体職員が、首長によるパワハラや不適切事象(地位を濫用した要求行為など)に直面し、見過ごせないと思ったとき、いったいどのようなことができるのか。

結論から言えば、役所の内部での「自浄作用」を期待し、根本的な改善・解決に向けた行動をとるのは極めて困難だと考えられる。以下、その理由を説明しよう。

まず、首長には上司がいないから、指導的立場から是正してくれる人はいない。強いて言えば、首長を選んだ有権者が、上司に代わる立場となるが、今回の兵庫県のように大々的に報道されるまで状況を知る手段を持たないので、仮に首長の言動に問題があったとしても、被害が大きくなるまで防ぎようがない。

一方、首長と直接話をする立場にある「取り巻き」の幹部職員は諫言せずに事なかれ主義に立つことが多く、いやそれどころか首長の機嫌を損ねないよう、その意向に忠実に従い、部下たちに無理筋の指示や要求をしてくることさえある。

では、自治体が職員向けに公益通報制度を設けていればよいかというと、これも疑わしい。兵庫県の例で言えば、通報対象の範囲を「県又は公社等の事業又は職員等の行為について、法令違反や職務上の義務違反又はこれらに至るおそれがあるもの、上記に準ずるものとして、県政を推進するにあたり県民の信頼を損なうおそれがあるもの」としており、首長の不適切事象に対する内部告発も、形式的には該当し得るかたちになっている。

しかしながら、通報された事案がこの要件に該当するかの判断を含め、この制度を所管する部署は県庁の中にあり、知事の息がかかる体制になっていた。

一般論として、パワハラや不適切事象を行ったと指摘された者からすれば、自覚の有無に関わらず、自分の非を認めたくないものなので、その指摘は誹謗中傷(根拠のない内容を言いふらし他人の名誉を傷つけるもの)と主張するのは当然である。

また、役所幹部としても、首長の問題行動が白日の下にさらされ、事実だとなった場合、謝罪・反省で済めばよいが、兵庫県知事のように退任を迫られるレベルになると、行政の継続性や幹部たち自身の地位の確保の面においても影響が大きい。だから首長への忠誠を尽くす体で、大騒ぎになるネタは早めに火消ししておこうという心理が働く。

その意味で、知事と周囲の幹部は利害が一致し、制度の趣旨に反する通報者捜しが県庁内で行われ、結果は読者の皆さんもご存じのとおりである。こんな運用では、公益通報制度は形骸化してしまい役に立たないことを今回の悲劇は証明してしまったのだ。

「パワハラ首長憎し」で片づけられない複雑さ

ただ、この問題には、単に「パワハラ首長憎し」とか「『専制君主』的な首長はダメだ」という論調一辺倒で片づけられない複雑な事情があることは指摘しておきたい。

前回記事でもふれた通り、首長から発せられる指示や意向が理不尽かどうかの線引きは微妙だ。その意味で一見、パワハラや不適切事象に該当しそうに感じられても、本当に世に訴えて問題視すべきレベルのものか、理不尽でも部下が我慢してやりすごすレベルかは、どこまでいっても程度の問題ではないだろうか。言い換えれば、それが公益通報に値する内容なのか、ということに尽きる。

一例を挙げよう。首長の性格がいわゆる「瞬間湯沸かし器」、つまり気に入らないことがあるとすぐ怒り、相手を強烈に罵倒する人だったとしよう。気に入らないこととは、部下からの説明がぎこちなかったり、首長にとって好ましからざる情報を耳に入れたり、(事情があったとしても)オーダーどおりの飲食物などを用意できなかった場合など様々である。また、部下が何をしたかに関わらず、(部下と接したタイミングにおける)首長自身の機嫌が部下への態度にあからさまに出る人もいる。

こうした場合、状況(首長から投げかけられた人格否定の言葉や、説明資料を投げ捨てる、破り捨てるといった行為)によってはパワハラに十分該当し得るし、そんな態度であれば部下が委縮し、怒られたくないからと大事な情報が上がらなくなったり、極端なケースでは、首長が喜びそうな「盛った」情報ばかり入るようになり、行政運営上は有害ですらある。

ただ、そういうパワハラ上司は、地方自治体の首長に限らず、あらゆる規模の民間企業も含めた日本中の組織の中間管理職レベルにもゴマンといる。もちろんそういったモンスター上司にはさっさと絶滅してほしいものの、どこかに訴え出たところで相手が改心したり誰かと入れ替わってくれるわけではないのだから、「こんなパワハラを受けています」とどこかに通報するだけ無駄で、むしろ怒られないように上手くやりすごすしかないと考える人のほうが多いだろう。

またこの話は上司の側にとっても悩ましいところで、ちょっと強めに指導したらパワハラと訴えられてしまうので、部下をまともに注意できなくなって困っている、というボヤキは近年よく聞く。それこそ、ある部下が上司からされたことをパワハラだと主張している場合でも、客観的に見ると、まず部下の側に至らぬ点があり、そこを上司に指摘されたのにもかかわらず、自己愛の強い部下は逆切れし、腹いせに上司の足を引っ張るべくパワハラだと大騒ぎしている可能性もあるくらいだ。

このように、上司の言動に問題があるからといって、何でもかんでも内部告発して上司の態度を改めさせる(極端な話、上司にご退場願う)というのもまた現実的ではないという面もあることにも目配りしながら、公益通報制度の運用をどのように「適正化」するかが問題なのである。

特に、首長という上司のクビを獲るということは、例えば兵庫県の場合、再選挙の事務負担を県下の全市町村の職員に、投票へ行く負担を有権者にかけることになる。それに見合う、それをしなければならないほどの不祥事の公益通報なのか?ということも考えなければならない。言うほど簡単ではないのだ。

それこそ、公益通報制度を今よりずっと使いやすくしたら、職場のモラル次第では、部下に対してちょっとでも厳しく当たる上司(首長に限らない)に対し、部下たちから「あの幹部は○○をしている」という「火のないところに煙を立たせる」内部告発が続発するようになるかもしれない。まさに「制度化された怪文書」だ。

このように、そもそも内部告発の動機はさまざまで、正義感によるものもあるが、個人的な恨み(裏切られた、評価されなかった等)や、自分が成り上るためにライバルを蹴落とそうとする陰謀めいたものも考えられる。選挙で選ばれ、政治権力とともに業界団体と利権が引っ付いている首長の地位がらみとなれば、不純な動機により、「フェイク」で盛られた内部告発があっても決して不思議ではないのだ。

その一方で、残念ながら現在の公益通報制度では「ファクトチェック」機能が極めて脆弱といわざるを得ず、下手に使われると誤った結論を導く恐れもあるように思われる。

結局、外部に情報を漏らして「世に問う」しかないのか

このように、現状を見る限り、役所の中での自浄作用は期待できないことはお分かりいただけると思うが、そうなると、首長の行動を牽制できる可能性があるとすれば、議会や報道機関へ、あるいはインターネット上で情報をリークして話題にすることくらいしかなさそうである。

しかし、こうした外部へのリークの最大の問題は、空振りに終わる可能性があることだ。マスメディアが取り上げてくれるかは、ニュースバリューの大きさ(誰が、何をしたか、それがどれほど確からしいか)で変わる。議会に対する情報提供についても、議員たちがどの程度関心を持つかによる。首長と議会が協調関係にあれば、よほどの内容でない限り相手にされない可能性が高い(兵庫県の場合、この点について複雑な事情があるようだ)。

スクープで有名な週刊誌が特ダネを報じても、業界タブーのネタだったために他のマスメディアが一切反応しないまま、盛り上がることなく時とともに話題から消え去っていくという話があるが、無名のリークでは、週刊誌の特ダネにすらたどりつけないことがほとんどである。

また、そもそも外部へのリークは、形式的に言えば業務上知り得た秘密を漏らすことになるので、告発者の身分がバレたら守秘義務違反に問われ得る(懲戒処分となるだけでなく、犯罪として逮捕・起訴につながる可能性もある)。このように、まさに捨て身の勝負でリークした者からすれば、マスメディアを含む社会から黙殺されることは断じて耐えがたいことであろう。

知事が辞めて終わりではない

ここまで、救いのない話ばかりでウンザリさせてしまったかもしれない。

本稿の最後に、今回の兵庫県庁職員の尊い犠牲から、我々は何を学ばなければいけないのかを考えてみたい。

まず、今回の兵庫県のケースをあまり特別扱いすべきでないということだ。確かに、「パワハラ」「おねだり」などは、首長としての品位を疑われるほどに酷過ぎたし、犯人捜しも酷く、犠牲者も出た。この3つのインパクトがあまりにも強く、知事がクビになっても仕方がないレベル感を出しているので、日本中が特別のケースだと思いこんでいるかもしれない。

しかし筆者は、兵庫県知事の一件であぶりだされた首長の個性による問題は氷山の一角に過ぎず、全国を見渡せば、庁内の事務方や地域の関係者が、「専制君主」たる首長の傍若無人ぶりによって苦しめられている事例は、程度の差こそあれ、山のようにあると思っている。

それゆえ、全国各地の首長各位には、今回の兵庫県知事の例を他山の石として、襟を正していただきたいものだ。

ただ、それだけに期待するのは心もとない。加えて、今回の事案を機に、官公庁における公益通報の仕組みと、公務員の服務上の義務の考え方を変えなければいけない。

現在の官公庁の公益通報制度は、各現場の職員が法令の執行や契約手続き等において、適正でないことを行っていると内部・外部の人が認知した場合を想定して作られている。確かにそれならば自庁内の監察部門に情報が集まっても問題はないのだろう。しかし、一定レベル以上の幹部や選挙で選ばれた人の不正の情報を自庁に入れても、もみ消されるか犯人捜しをされるだけであって、意味がないのではないか。

そもそも公務員は民間企業の従業員と異なり、職員の守秘義務が法律上明記されているという特徴がある。その点に関して、内部告発の動機や目的が正当であり(正義や公正を追求するものであり、また個人的な動機ではないなどの条件はつける)、かつ内容が虚偽でない限り、懲戒処分や刑事責任からは免責されるというルールを法律で明文化するとともに、その判定を行うのは裁判所など、告発の対象となった組織以外の第三者が行う仕組みを明確に構築することを真剣に検討すべき時期にきているのではないだろうか。そうしない限り、役所に自浄作用がないと宣言しているようなものだからだ。

兵庫県・斎藤知事の失職では終わらない…パワハラ首長は「今後も増え続ける」と言えるワケ