兵庫県・斎藤知事の失職では終わらない…パワハラ首長は「今後も増え続ける」と言えるワケ

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首長によるパワハラが続出

兵庫県の斎藤知事(執筆当時)による、県庁職員へのパワハラ、「おねだり体質」、さらには阪神タイガース優勝パレードをめぐる寄付金問題などを併せて大きな話題になっているのだが、これまで、地方自治体トップ(首長)のパワハラ問題というのはそれなりの頻度で発生している。実は今年だけでも、3月には岐阜県岐南町長が、5月には愛知県東郷町長がそれぞれ辞職しているし、兵庫県ほどに大きなニュースになってはいないものの、秋田県鹿角市でも市長のパワハラ問題が報じられている。

政務三役(大臣・副大臣・大臣政務官)として所属していた省の職員や、地元選挙区の地方自治体から説明に訪れた職員に対するパワハラの問題が報じられている国会議員もいる。

そのような中、本稿では特に地方自治体の首長(知事や市町村長)において、なぜパワハラや不適切事象が続出するのかについて、2回にわたって解明を試みるとともに、問題を解決する方法があるのかを考えてみたい。

なおパワハラとは、厚労省の定義によれば1.優越的な関係を背景とした言動、2.業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動、3.労働者の就業環境が害される、の3要素をすべて満たすものとされているが、本稿では、首長から不適切な指示を出し、コンプライアンス上疑義のある行為(不適切事象)を部下に事実上強要することが1や2に含まれ得るという前提で話を進めたい。

知事や市町村長は、現代版「専制君主」ではないのか?

地方自治体の首長(知事や市町村長)といえば、その地域の住民生活に責任を持ち、自治体職員を率い、運営方針を決める代表者である。まさに「一国一城の主」であり、強大な威信と権限を持っている。もちろん、正確にいえば議会と権力を分け合う「大統領制(二元代表制)」だが、行政運営について主導権を持つ首長の権限は、議会とは比べようもないほど大きい。

それゆえ、筆者はつねづね、地方の首長は、ある意味で現代の「専制君主」といえる側面を持っていると考えてきた。

そう書くと、疑問の声を上げる読者もいるだろう。首長は選挙という民主的過程で選出され任期が決まっており、有権者の支持が得られなければ次の選挙で辞めさせられる。予算を通し、条例を作って、政策や事業を進めるにも議会の同意が必要だ。いちいち議会に報告しないような細かいこと(行政処分など)も法治主義や立憲主義という考え方の下、憲法や法律、条例などのルールから逸脱することはできない。だから首長は一人の独断で思うままにふるまうことはできない。専制君主とは違うはずだ、というわけである。

もちろん筆者も、現代の首長の政治権力にそうした制約があることは認める。しかし実際には、そうした制約には抜け道もかなりある。部下である自治体幹部は首長の意向に逆らえず、議会も十分に牽制することなく、まさに専制君主のように首長が独断で思うままに物事を進められてしまう、次のようなケースを想像してみていただきたい。今回の兵庫県庁の事案を引き合いに出さずとも、お役所勤めの人間からすれば「あるある」なのだが、みなさんはどうお感じになるだろうか。

1.自治体が以前からずっと継続してきた役所の具体的な事業で、たとえ順調にいっているものであっても、首長自身が気に入らないことを理由に、(表向きには別の理由をつけて)来年からやめさせてしまうこと。継続する場合でも、自分の好みの形に変更させること(一番わかりやすい例は、前の首長の目玉事業潰し)

2.首長自身がやりたいと思っている具体的な事業(選挙公約、記者会見などで打ち出したことなど)を、事務方に実現可能性を深く検討・検証させることなくGOサインを出して始めさせること

3.自分の支持団体などに有利になるように(あるいは本来無理筋と思われるような目玉公約を実現するための)補助事業の採択、許認可の発出、一般には公開されない情報提供などを行うこと(当然、露骨な差別や優遇はできないのだが、無理やりにでも説明がつけば、真の動機が政治的に後ろ暗いものであっても表面上はセーフだったりする。)

4.仕事の進め方(部下による資料準備や説明の仕方、会議の運営方法、視察先選びなど。細かいことを言えばお茶の出し方などまで)について、自分が好む過度な水準や特殊なこだわりを部下に要求すること

「専制君主的」であることのすべてが悪いわけではないが…

ここで注意しなければならないのは、当然のことながら首長から発せられる意向や指示のすべてが理不尽というわけではないことだ。有権者に直接選ばれた政治家ならではの決断やリーダーシップが、なれ合い議会や事務方の停滞感を打破し、行政を良い方向に動かすことだってある。

歴史上・制度上の専制君主の中にも善政を敷いた名君がいたように、現代の「制限付きの専制君主」も、立場をわきまえた節度あるふるまいが行われれば問題ないのだ。

ただ、首長もしょせんは人間である。選挙に勝ってひとたび着任すれば、場合によっては自分より年上の役所の幹部がレクチャーにやってくる日々。ある事業を始めるように指示を出せば、すぐさま複数人のプロジェクトチームが組まれて検討が始まる。当然、外出時はカバン持ち(秘書)や運転手がつく。総じて、部下たちは自分の些細な一言までも気にし、何か指示(指摘)すれば自分の代わりにテキパキと動いて対処してくれる。こんな環境に置かれては、たとえ法治主義・立憲主義に基づく権限の制約はあっても、首長はどうしても「全能感」を持ちやすい。

そこに元々の性格があいまって道を踏み外し、「ガチ」で専制君主的なふるまいを始めてしまう人が出ても全く不思議ではない。たとえ人格に問題ない人でも、独自色を出したいという欲が出たりして、1〜3のような動きをしてしまうこともある。

それでは、事務方としては疑問を感じなくもないような指示を首長から受けた幹部職員はどうするか。本当に心ある幹部職員なら、身を挺して首長に諫言し翻意を促すはずだ。しかし、専制君主に逆らえば、左遷や昇格見送りなど、冷遇されるおそれがあるから、そんな人はまずいない。

それでなくても、選挙で選ばれた首長に「それはいかがかと思います」と諫言するのは、その首長を選んだ民意を否定することになりかねないので、事務方からすると本来タブー視されている。それこそ有権者の支持をバックに行政の刷新を目指す首長の指示を、事務方が面倒くさがってかわそうとしている場合もあり得ることを考えれば、事務方は首長の意向に逆らってはいけないという理屈には筋が通っている。

だから、繰り返しになるが、首長から発せられる意向や指示のすべてが理不尽というわけではないのだ。パワハラに当たるかどうかを含め、その線引きは紙一重。それが事態を複雑にしている。事務方としては、明らかに違法といえるような指示でない限り従うことになるのだ。

もちろん、中には気骨ある幹部もいて、(特に、コンプライアンス上、疑義があったり、政策の連続性の観点から説明がつかないような話については)勇気を振り絞って翻意を促してみたりする者もいる。しかし、首長の意思が固ければ、結局「それでも何とかする方法を考えろ」と「圧」を掛けられるだけである。

ゆえに出世を考えるなら、つべこべ言わずに従って、首長の意向に沿った結果を出すように努めるべき、という一択になる。しかし、その結果、筋の悪い仕事を進めることで板挟みの立場となり、辛い状況に追い込まれることも少なくない。

特に、首長の意向を受けて部下たちが取り組んでいる過程において法的・政治的な問題が生じ、そのことが後々議会や報道で取りざたされた場合は、さらに後味の悪い結果が生じかねない。首長は、問題を生じるような具体的な指示をしていないことから、意向を実現するためにグレーな方法をひねり出した部下のせいにしてしまうことも不可能ではないのだ。

パワハラ首長の出現を選挙で回避する方法はない

一般論として、パワハラ的な側面だけでなく、非常識な人や行政運営能力のない人を首長に選ばないよう、有権者は候補者をしっかり見極めるべきだ、という意見がある。今回も、知事を選んだ兵庫県民に自戒を促す声もないではない。しかしそれは酷に過ぎると筆者は考える。選挙活動ではどの候補者も有権者に愛想を振りまき、猫をかぶるのが普通だから、候補者の本当の人格を見抜いて投票することなど、はじめから不可能だ。当選者が組織のボスとなったときにどんなふるまいをするかは、選挙中の行動では判断できず、その人に直接仕えたことがある元部下にしかわからないのが現実だ。

それどころか、そもそも兵庫県知事に至っては、知事就任前後で性格が一変したという指摘すらある。これでは、暴走するパワハラ首長を選挙で選ばないようにあらかじめ有権者が判断することなんて、お手上げと言わざるを得ないだろう。

ここまで、地方の首長がパワハラ体質になりがちな原因と、選挙による解決は難しいことを説明してきたが、後編【斎藤知事で終わりではない「パワハラ首長」…ここまで注目されているのに解決が難しい「意外な理由」】では、首長のパワハラや不適切事象について、人命が失われる事態になる前に解決につなげる方法はあるのかについて、マスメディアや議会を含めた根深い問題について考えてみたい

斎藤知事で終わりではない「パワハラ首長」…ここまで注目されているのに解決が難しい「意外な理由」