「《反権力》の象徴だった」...フェミニストたちのカリスマも酒におぼれて凋落...出家を求めて訪れた寺で住職から出された驚きの″提案”

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第106回

『「宗教弾圧だ!」...仏教界騒然!″過激派集団”の拠点として寺を捜索してきた検察に住職がした″復讐”とは』より続く

「お酒がやめられなくて...」

一条は以前から、「権力に立ち向かうなんて気はさらさらなかった」「ただただ客を喜ばせたい一心やった」と語っていた。それでも繰り返し逮捕されているうち、いつしか「反権力」の象徴となっていた。たび重なる逮捕にもかかわらず、自分の芸にこだわり続ける姿が、学生や労働者、フェミニストたちに響いたのだ。

戸次と稲垣。晩年の一条を支えたのはなぜか反権力の闘士2人だった。

一条が稲垣と一緒にこの寺を訪れたのは91(平成3)年の秋である。

戸次は言う。

「私はストリップを見たことはあるけど、彼女の舞台は見てなかった。出演映画(『一条さゆり 濡れた欲情』)は見ました。スクリーンのなかの姿とは違い、ここに来たときは素顔やし、あっさりと落ち着いた人という感じを受けました」

直接彼女と会う前、戸次は「権力と闘った女性」というイメージを抱いていた。しかし、目の前の小柄な女性は、そんな空気をまとっていなかった。稲垣から紹介され、話してみると、穏やかで柔らかな印象を受けた。戸次が声を掛けた。

「よう、お見えになりました。なにかお悩みでもあるんですか。ここまで来られたいうことは」

「お酒がやめられなくて困っているんです。大やけどをして、若いときほど無理もできなくなりましたし」

やや鼻にかかった声で彼女は答えた。

出家を考える前にできること

蓄えは底をついた。働くこともままならず、将来への不安は強くなるばかりだ。体力の衰えを日々、感じている。頼れる家族もない。これからどうしていけばいいのだろう。悩んだ末、浮かんだのが仏様にすがることだった。

一条はしばらくこの寺に置いてもらえないかと頼んだ。まずは庭の掃除でもさせてもらい、将来は出家して、尼になりたいと明かした。

救いを求める者には、手を差し伸べたいと戸次は思っていた。ただ、断酒を叶えるには、この寺は都合が悪かった。

「酒が断ちたいんやったら、ここはあかんわ。私が酒飲みで、台所には酒ビンが転がってますもん」

戸次は身体を壊し、現在は酒を断っているが、当時は相当飲んでいた。

彼は一条にこう提案した。

「出家なんて考える前に、講演をしてもらえませんか。あなたの生きてきた時間について話してくださいな。それこそ多くの人の救いとなるんちゃいますか」

「講演なんて、今の私にできますかね」

一条は笑みを浮かべて、そう言いつつも承諾している。

演題は「私の人生を語る」。新聞のイベント欄に、「元ダンサーの一条さゆり講演」と掲載されると、「寺でストリッパーの話を聴かせるとはどんな了見か」との電話が2本、入った。抗議の相手に戸次はこう説いた。

「ストリッパーの話を寺で聴いてはいけないのでしょうか。職業で人を分け隔てすることこそ、仏様は悲しまれるのではありませんか」

『「不本意ながら股を開くことになった...」お寺でストリッパーが講演会!?一条さゆりが語った壮絶な半生』へ続く

「不本意ながら股を開くことになった...」お寺でストリッパーが講演会!?一条さゆりが語った壮絶な半生