「デフレ脱却宣言」は国民にとってむしろ「迷惑な話」だと言えるワケ

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もはやインフレなのに

政府はデフレ脱却宣言をいつ出すのか。

市場関係者の間で話題になっている。何しろ現状は、消費者物価は2%を超える上昇を続けていて、だれが見てもデフレではない。

政府も「今はデフレでない」と認めているが、それでも「デフレは脱却していない」と、何とも歯切れの悪い説明を続けている。もはやデフレではないどころかインフレなのに、なぜデフレを脱却していると言えないのか。

それは、政府が決めたデフレ脱却の基準があまりにハードルが高いからだ。

まず、消費者物価だけでなく、それを含む四つの物価指標がすべて上昇を示してないといけない。消費者物価は2%を超える上昇を続けているが、まだ上昇していない指標がある。

さらに、物価が持続的に下落する(つまりデフレ)状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないことが、デフレ脱却宣言を出す条件となっている。つまり、4つの指標(消費者物価指数、GDPデフレーター、需給ギャップ、ユニット・レーバー・コスト)がそろって上昇して、さらにその状況が続かなければいけないことになる。

将来のリスクを取ってまでデフレ脱却を宣言する官僚はいない。デフレ脱却宣言を出すことが自分の使命と考える政治家が大臣にでもならない限り、脱却宣言など出せないのだ。

厳しい基準を作った理由

ではなぜ、政府はこのように厳しい基準を作ってしまったのか。それは日銀に金融緩和を続けさせるためだ。

政府、中でも経済政策の司令塔である内閣府は、デフレが日本経済にとって一番の問題であり、デフレ脱却が日本経済を元気にする切り札であり、そのために日銀は積極的に金融を緩和すべきと考えていた。

内閣府が、デフレとの戦いに消極的な日銀に金融緩和を迫る手段として使ったのがデフレ宣言であった。最初にデフレ宣言が出たのは2001年3月だ。この時は内閣府が日本はデフレであるという分析資料を発表すると、直後に日銀は最初の量的緩和政策を開始した。

この量的緩和政策は、消費者物価上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続することが約束されていた。その後日銀は、2006年3月にこの基準を満たしたとして量的緩和政策を解除した。

この日銀の判断に対して、まだデフレという判断を続けていた内閣府は、日銀の量的緩和解除が速すぎると感じたはずだ。そこで日銀が独自の判断で金融緩和を終了できないように、厳しいデフレ脱却の基準を作成したと推測できる。

こうして内閣府が、デフレ宣言を出して日銀に金融緩和を始めさせて、デフレ脱却宣言を出すまで金融緩和を続けさせる。デフレ宣言とデフレ脱却宣言で、日銀の金融政策を管理する枠組みが出来上がった。

内閣府の誤算

更に2013年1月に日銀は2%の物価安定目標を掲げ、この目標を達成するまで金融緩和を継続することを約束する。目標設定に当たって政府からの強い圧力があったことは言うまでもない。

普通に考えれば、物価上昇率ゼロ%を基準に作られているデフレ脱却の基準よりも、2%の物価安定目標の方が達成は難しい。内閣府がデフレ脱却宣言を出した後も、日銀は2%の物価安定目標を達成するまで金融緩和を続けなければならないはずだった。

たしかに、2%という目標はとても達成できそうもない目標であり、黒田総裁の異次元金融緩和が10年も続いたのは、2%の物価安定目標によるものと言っても過言ではない。

しかし、現実離れした目標とはいえ、実はこれによって日銀は自らの判断で金融緩和を終了する手段を取り戻すことができたのだ。

新型コロナショックからの復興需要にロシアのウクライナ侵攻による影響も加わり世界的な資源価格高騰が起こった。そこに歴史的な円安の効果も加わって、日本の輸入原材料価格が高騰する。同時に日本企業もコスト拡大を販売価格に転嫁するよう価格戦略が変わり、消費者物価が2%を超えて上昇するようになってきた。

内閣府のデフレ脱却の基準を達成できないうちに、2%の物価安定目標は達成され、日銀が利上げに踏み切るという、内閣府にとっては想定外の出来事が起きてしまった。

出すに出せないデフレ脱却宣言

世の中がデフレよりインフレの心配をし、日銀も重い腰を上げて利上げを始める。それでも政府は自ら作った厳しい基準が邪魔してデフレ脱却宣言を出せない。それだけではなく、仮に基準を達成していたとしても、いまさらデフレ脱却を宣言するような雰囲気ではなくなってしまった。

政府が物価高対策を打って物価上昇を抑えようとしている時に、デフレ脱却宣言とはなんとも間が悪い。なにしろデフレ脱却とは物価高、すなわちインフレを意味することに人々は気が付いている。さすがにインフレ宣言を出すのは躊躇するだろうが、デフレ脱却宣言でも同じことだ。

さらに都合が悪いのは、岸田政権の時の政策とは言え、政府は「デフレ完全脱却のための総合経済対策」を掲げている。その一方でデフレ脱却を宣言するのは悪い冗談だ。

いまさらデフレ完全脱却を目指すという対策を掲げることがおかしいという批判もある。しかし、ここで言うデフレは物価が持続的に下落する状況ではなく、長期にわたる経済停滞を意味している。

人への投資や賃金、設備投資・研究開発投資などがコストカットの対象とされ、消費と投資が停滞する状況をデフレと考え、そこから脱し成長型経済に転換することをデフレ脱却と考えているのだ。

言い換えれば、物価が持続的に上がることをデフレ脱却と捉えて作られたデフレ脱却の基準がもはや時代遅れになってしまったのである。

進むも地獄、引くも地獄

それでもポスト岸田政権でデフレ脱却宣言が出てくる可能性はある。現に、デフレ脱却宣言を公約に自民総裁選に出馬している政治家がいる。

消費者物価指数、GDPデフレーター、需給ギャップ、ユニット・レーバー・コストの4つの物価指標のうち、基準を満たしていないのは需給ギャップだけだ。

需給ギャップとは、経済全体の総供給と総需要の差を示しているが、これがインフレを示唆する需要超過になれば、脱却宣言を出すことができる。高めのプラス成長が続けば、達成できない水準ではない。

2009年11月に2回目のデフレ宣言を出して、日銀を異次元金融緩和につながる金融緩和に追い込んだのはいいが、デフレ脱却宣言を出せないまま、日銀は2%の物価安定目標達成を理由に異次元金融緩和の出口を抜けて利上げを始めている。

需給ギャップが需要超過に転じるのに合わせてデフレ脱却宣言を出せたとしても、すぐデフレを示唆する供給超過に逆戻りする可能性は小さくない。しかし、このままデフレ脱却宣言が出せないのでは、日銀の金融政策に影響力を行使するという内閣府のもくろみは潰えてしまう。

まさに進むも地獄、引くも地獄というわけだ。

必要なのはデフレ宣言の「反省」

内閣府は、日銀に金融緩和を迫る切り札としてデフレ宣言という武器を大事にしたい。そのために、デフレ脱却宣言を出し、デフレ宣言で始まったデフレ脱却のスローガンを正当化したいはずだ。

もっとも、これは内閣府の都合であって、国民にとってはどうでもいいというより、むしろ迷惑な話ではないか。

物価が下落するから経済は停滞する。物価が上がれば所得も増えて日本経済は元気になる。物価を上げるためには日銀が国債を爆買いして金利をマイナスにすればよい。デフレ脱却のスローガンのもと、こうしたことがまことしやかに言われてきた。

しかし、ゼロ金利政策やマイナス金利政策、さらに量的・質的金融緩和によって、何年もの間、預金に利息は付かず、老後に向けての安定的な資産運用もできない状況が続いた。それでも物価は上がらない。原材料価格の高騰と円安で物価が上がり始めると、今度は賃金がそれほど上がらず、実質所得は目減りする。

これがまさに今、起きていることだ。今ごろになって、賃上げを伴う物価上昇が重要だなどと言うくらいなら、最初から物価を上げることではなく、時間がかかっても競争力を高め、成長力を高めることによって、所得を増やすことが重要だと考えるべきだった。

これはボタンの掛け違いなど言うレベルではない。物価が持続的に下落するデフレは悪いことであり、そこから脱却することが重要だというデフレ脱却のスローガンが間違っていた。そうであれば、デフレ脱却宣言を出すべきではない。むしろ、デフレ宣言を出したことが誤りだったと真摯に反省すべきだ。

それがなければ、いずれまた同じ過ちを繰り返すことになるだろう。

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