(写真:アフロ)

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「きょう本当に勝ててよかったですし、早く決めたいなと思っていたので一生忘れられない日になるんじゃないかと思う」

9月19日(現地時間)、こう語ったのはロサンゼルス・ドジャース大谷翔平(30)。この日の「マイアミ・マーリンズ」戦で、大谷はメジャー史上初となる「1シーズンで50本塁打50盗塁」という歴史的快挙を成し遂げた。

この快挙に日本中は大騒ぎとなり、号外を配る新聞も。さらに22日には、大谷の出身地である岩手県奥州市で「50-50」達成イベントが開かれた。

また、その偉業を大谷の恩師も讃えた。「NHK NEWS」によると20日、大谷を高校時代に指導した花巻東高校の佐々木洋監督は「最高峰の舞台で偉業を達成し、誇りに思う」とコメント。そして「われわれの想像をはるかに超えることを成し遂げたのではないか」と絶賛したという。

「50-50」以降も大谷は記録を更新し続け、22日(現地時間)のコロラド・ロッキーズ戦では「53本塁打55盗塁」という前人未到の記録に到達した。その超人的な活躍ぶりで日本やアメリカを興奮と熱狂の渦に巻き込んでいるが、そんななか大谷の過去の“目標”が注目を集めている。

それは大谷が『週刊ベースボール』’12年10月29日号のインタビューに登場した時のこと。当時、花巻東高校の三年生で、すでに高校野球でスター選手だった大谷。高校卒業後に日本のプロ野球に進むと、海外FAを獲得するまで最短で9年かかるということについて《25歳が肉体的ピークだと思うので、27歳では遅いのかなと思います。日本を選択した場合でも、25歳でメジャーに挑戦していたい》と意気込んでいた。

さらに、インタビューページには当時の大谷の姿が。大谷は胸の前で色紙を掲げており、そこにはこう書かれていた。

《2012.9.19 世界一の選手に 大谷翔平

’12年の9月19日に「世界一の選手になる」と目標を綴った大谷は、その12年後の9月19日に世界唯一の快挙を成し遂げた。その“まさかの偶然”がネットで話題となり、Xでは驚く声がこう上がっている。

大谷翔平が50-50を達成した日は12年前の世界一の選手になる宣言の日!!? 未来計画を実現し続けてるやん》
《これえぐすぎ、ほんとに漫画じゃん現実世界もしかして2次元?》
《50−50達成の12年前、9月19日に世界一の選手になると書いてたんですね、驚きで震えてます》
《現地時間ではあるけど50-50を達成した日は12年前の世界一の選手になる宣言の日なのか…鳥肌》