謎に包まれた人物、カスパー・ハウザーを巡り、新たなDNA分析の結果が発表された/ullstein bild/Getty Images

(CNN)「彼の出生は不明、その死は隠された」

謎に包まれた人物、カスパー・ハウザーの墓石にはラテン語でそう記されている。1833年に死亡してから200年近くが経過し、科学者らはとうとうハウザーとドイツ王侯との関係にまつわる長年の謎を解明した。

ハウザーはどこからともなく現れたように思える。現在のドイツニュルンベルクで28年5月26日、街の広場を歩き回っているところを発見された。年齢は16歳前後。身元を証明するものはなく、無署名の手紙を握りしめていた。

手紙とハウザーの断片的な記憶から、恐ろしい話が明らかになった。彼は窮屈な地下牢で育ち、そこから出たことがなかった。食事は与えられ、常に身ぎれいではいたものの、そうした面倒を見ている人物には一度も会わなかった。10代になったハウザーが街の中心部に現れた時、彼は自分の名前も満足に書けず、当局者からの質問にもほとんど受け答えが出来なかった。

ここで奇想天外な物語が生まれた。ハウザーは地元に伝わるさらわれた王子で、当時のドイツ南西部を治めていたバーデン大公家の人間だという内容だ。その説を裏付ける証拠は存在しなかったが、世間の風評は根強かった。ハウザーは華やかな欧州社交界のメンバーから愛される存在となり、地元の有名人としての地位を確立した。

ハウザーの死後長い間、学者たちは王侯の家系とのつながりを示す証拠を探したが成果は得られなかった。1990年代半ば、保存されていたハウザーの血液サンプルの遺伝子データからバーデン大公家の一員ではないことを示唆する分析結果が出たものの、その数年後に毛髪のサンプルによって確認された結果はこれと食い違うものだった。

20日付けでiサイエンス誌に掲載された研究によると、最近科学者らは新たな手法でハウザーの毛髪を分析し、決定的な解答を発見した。

ハウザーのミトコンドリアDNAを分析したところ、バーデン大公家のメンバーのミトコンドリアDNAとは符合しないことが確認されたという。ハウザーの謎めいた出現から2世紀近くが経過した後で、この発見により彼がさらわれた大公子である可能性は排除された。

米フィラデルフィアのトーマス・ジェファーソン大学で生化学・分子生物学部の教授を務めるドミトリー・テミアコフ博士は今回の分析について、「分子遺伝学を使えばどのようにして歴史の謎を解明できるかの実例になる」と指摘した。同博士は今回の研究に携わっていない。

オーストリア内務省の国立DNAデータベース研究所の研究員で論文の筆頭著者、バルター・パーソン博士は、DNA解析方法の改善によってこれまでの毛髪分析よりも格段に有力な兆候となる分析結果が得られたと説明した。

テミアコフ氏によれば、今回は独立した三つの研究施設が同様の分析結果を確認しており、論文の結論に一段の裏付けを与えているという。

「大公子説」では、ハウザーの両親はカール大公とステファニー・ド・ボアルネ大公妃とされる。大公妃は1812年9月29日に男の子を産んだが、名前の分からないこの赤ちゃんは生後18日で亡くなった。

しかし一部で流布した風説によると、死亡した赤ちゃんは別人で、生後2週間の大公子は義理の祖母に当たるルイーズ・カロリーヌ・フォン・ホッホベルク伯爵夫人の手ですり替えられていた。後にカスパー・ハウザーと称することになる本物の大公子は、人の目に触れない場所へ隠されたという。その後カール大公とステファニー大公妃には男子の後継者が生まれなかったため、ホッホベルク伯爵夫人の息子の一人が大公の位に就いた。

ハウザーが「消えた大公子」でないのなら、果たして彼は何者なのか。ミトコンドリアDNAの証拠からそれを突き止めるのは不可能で、論文によれば西欧の家系と関連があることしか分からない。

ドイツのアンスバッハに埋葬されたハウザーの墓石の記述は、故人を「彼が生きた時代の謎」と形容する。しかしハウザーの素性にまつわる謎は、今なお解き明かされていないままだ。