引退会見を終え贈られた花束を手にする貴景勝(カメラ・池内 雅彦)

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 大相撲の元大関・貴景勝が21日、都内で会見し、現役引退と年寄「湊川」の襲名を発表した。2014年秋場所の初土俵から10年、大関として務めた場所は30場所。「横綱を目指す体力、気力がなくなった」と語り「燃え尽きました」。朗らかな表情で、優しい顔をしていた。

 「感謝の気持ちと思いやり」。19年春場所後、大関昇進の口上に思いを込めた。義理と人情を大切に、どこか昭和な空気を漂わせる力士。「勝っておごらず、負けて腐らず」を信条に、土俵人生を歩んできた。人を思いやる心は、記者が相手でも同じ。初めての担当競技が大相撲だった私も、貴景勝から何度もその大切さを教えてもらった。

 今でも思い出すのは、貴景勝が大関取りを成就させる19年春場所前のある日。その日の記事用の写真を撮り忘れた私は、稽古場宿舎の前で貴景勝の帰りを待っていた。場所前の夜、まだダウンコートの装い。帰って来たところで「関取」と声をかけると、驚いた様子で言った。「ここでずっと待ってたん? 寒かったやろ」。写真を1枚お願いすると、快諾。そして「番号、教えるよ。そしたらこんな待たんでええやろ?」と電話番号まで教えてくれた。「ありがとうございます」と言うと「大谷君、根性あるやん」とニコリ。グッと心が熱くなり、寒さを忘れた。

 ピンチを救われたこともある。貴景勝が優勝した翌日の紙面で構成を誤り、本人の周囲に迷惑をかけたことがあった。関係者から指摘の連絡を受け「以後、取材を受けることは難しい」と言われ、どうにもこうにもならない私は、貴景勝に謝罪の電話を入れた。そこで「何で相談せんかったん? 一回、俺に言ってくれればよかったのに」と、ぐうの音も出ない指摘。「すいません…」と告げると、「とりあえずそこは俺からも言っとくから、少ししたらもう一回、電話してみて」と言ってくれた。再度関係者に謝罪の連絡をし、貴景勝のフォローもあって事なきを得た。全てが落ち着き、感謝を伝えると「俺も、色んな人にお世話になってるからね。なんかあったら、何でも相談してよ」。当時入社2年目。電話口で、涙が出そうになった。

 記者と力士という関係以上に、人と人、心でコミュニケーションを取る大関。軽率な質問をして「それ、今聞いて意味あるの?」と、怒られたことも少なくはない。何より自分に厳しい貴景勝。人にも当然厳しかったが、それ以上に愛があった。28歳での現役引退。早いという気持ちもあるが、自身が大事にしてきた心を、後進に伝えてもらいたい。「今の時代には不向きかもしれませんが、根性と気合いを持った、そんな力士を育ててみたい」と貴景勝改め、湊川親方。「大谷君、根性あるやん」。私もこの言葉をずっと、忘れずにいたい。(2019〜21年大相撲担当=大谷翔太)