1970年代アイドルの伊丹幸雄さん(C)日刊ゲンダイ

写真拡大

【あの人は今こうしている】

渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

 伊丹幸雄さん
 (70年代アイドル/69歳)

  ◇  ◇  ◇

 1972年、「青い麦」(CBS・ソニー)でデビューしアイドル歌手として人気を得た伊丹幸雄さん。80年代には、大人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)の“タケちゃんマン”のコーナーに出演し、当時の若い層にも知られた。伊丹さん、今、どうしているのか。

「最近の若い人は、僕のこと知らないでしょ? 若い人の親より、さらに上の世代じゃないと知らないかもしれませんね。この間は飲み屋の女の子のお母さんがたまたま僕のファンで、女の子がお母さんに電話をしたんで代わって電話に出たら、『え、本当に本人?』って驚いていましたよ(笑)」

 横浜の海沿いを走るみなとみらい線・みなとみらい駅そばにある所属事務所で会った伊丹さん、まずはこう言った。伊丹さん、サービス精神旺盛なんだなぁ。

「若い頃、六本木でよく外タレと一緒になったんです。ロッド・スチュワート、ミック・ジャガー、スティービー・ワンダー、『刑事コロンボ』の俳優ピーター・フォーク……。みんな気さくで、サービス精神旺盛。それを見習ったんです」

 六本木では、毎日飲んで遊んでいた。

「同期の西城秀樹とはよく一緒にいて、彼の実家にも遊びに行くほど仲良しに。彼は人なつっこく楽しい男でね。森昌子チャンや麻丘めぐみチャンと一緒にツアーを回っていたデビュー当初、一緒に鹿児島の宿の大浴場に入ったとき、『女風呂をのぞこう』っていって、男風呂と女風呂を隔てている岩壁みたいのによじのぼったんです。そしたら、あと少し、というところでズルーッと落っこちて(笑)。そんな思い出があります。彼は晩年、何回も脳梗塞をやったでしょ? 1回目の後、六本木でバッタリ会ったから『1年ぐらいゆっくり休んでこい』と言ったんだけど……。リハビリを頑張りすぎたんだろうねぇ」

 伊丹さんは体調はバッチリ。

「50歳前後の頃、大腸ポリープを検査のついでに取ったぐらい。人生は1回、死ぬときは死ぬんだから、クヨクヨしないことですね! 僕は友だちと毎日ワイワイ飲んで、昼間はウオーキングを1時間。家でじっとしていられない性格なんです」

 といっても、毎日遊んでいるわけではなく、歌手として現役。

「長く大手事務所に所属していましたから、アイドル卒業後は俳優として連続ドラマや2時間ドラマ、大河ドラマに出ていました。15年ぐらい前に大手を離れてから、歌手活動を再開し、ライブやホテルのディナーショー……たまに地方の営業を地道にやっています」

 ライブは東京・恵比寿のライブハウス「JAN KEN PON」で年4、5回。1回約2時間、オリジナルや、ポール・アンカやニール・セダカら50、60年代のアメリカンポップスを歌うほか、モノマネも披露するとか。

「キムタクじゃないんだから、ただ歌ってしゃべるだけじゃダメですね。去年は新曲を出したんですよ。オファーがきて、15、16年ぶりに『サヨナラ』を出し、カップリング曲の『エターナル・ブルー(青い麦2023)』は僕の作曲。作曲は20代の頃からやっています。コロナのときは、ずっと曲作りをしていました。今も応援してくれるファンがいるんだから、本当にありがたいですよね。コロナの前後にファンクラブ会長らが亡くなったときはガクーンと落ち込みましたけど、芸能の仕事は楽しい。あと15年、84歳まではやりたい。できれば、もう1回、何でもいいから話題になってブレークするのが夢ですね」

■30歳のときに結婚した2歳年下の妻と2人暮らし

 さて、福井市出身の伊丹さん(本名・谷出正幸)は、北陸高校を1学期で中退し、歌手を目指して上京。グループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」の付き人を経て72年、「青い麦」でアイドルデビューすると、甘いルックスと純朴な歌声で高い人気を獲得した。

「デビュー前はジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんに5、6回スカウトされ、応じる寸前でした。ジャニーズ事務所に入っていたら、ジャニーさんの餌食になって、今頃、社長になって……というのは冗談ですが、芸能界は結局、売れたもの勝ちですよ」

 81年には、「ビートたけしのオールナイトニッポン」で取り上げられたのを機に、「オレたちひょうきん族」の“タケちゃんマン”のコーナーのレギュラーになり人気が再燃。

「タケちゃんはシャイで、カメラの前以外では無口。僕が人気に乗じて歌手として再デビューしたときは、新曲発表会にわざわざ来てくれました。さんまちゃんは4、5年前、仕事で大阪へ行ったとき、ウェスティンホテル大阪のエレベーターでバッタリ。彼は売れてからも全然変わらない。『お〜元気か!?』って声をかけてくれました」

 30歳のときに結婚した、2歳年下の元英語教師と2人暮らし。

「1人息子はニューヨーク大学を出て、今は会社勤め。38歳で、まだ独身。自分が老け込みそうだから、孫が見たいとは、あんまり思わないですね」

(取材・文=中野裕子)