資生堂の魚谷雅彦会長CEO(C)日刊ゲンダイ

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【企業深層研究】資生堂(上)

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 資生堂は7月30日、藤原憲太郎社長が2025年1月1日付で最高経営責任者(CEO)に就任すると発表した。魚谷雅彦会長CEOは24年12月31日付で退任する。25年3月下旬に予定する定時株主総会で取締役も退任し、グループのシニアアドバイザーとなる。

 “プロ経営者”と評される魚谷が、今年いっぱい経営トップであり続けることは驚きだ。業績悪化のなか、退任のタイミングを逸した感は否めない。

 24年6月中間決算(国際会計基準)で赤字に転落した。営業利益は27億円の赤字。中国人の消費意欲低下を背景としたトラベルリテールが大幅な減益となった。これに加え、国内で早期退職を含む構造改革費用220億円を計上したため、純利益は前期比99.9%減の1500万円となった。

 24年12月期通期の業績予想は、売上収益が前期比2.8%増の1兆円、純利益は1.1%増の220億円の見込みを据え置いた。

 資生堂は、日本コカ・コーラで数々のヒットCMを手掛け、伝説的なマーケティングのプロの魚谷雅彦に低迷しているブランドの再生を託した。14年4月、社長に就任。140年を超える歴史を誇る同社で役員経験のない外部の人間が社長に就任するのは初めてのことだった。

 社長(当時)の前田新造から「資生堂のマーケティングを立て直してほしい」と頼まれた。

 資生堂は百貨店の化粧品売り場と、全国に張り巡らした化粧品専門店を2本柱に化粧品のトップメーカーの地位を不動のものにしてきた。しかし、1997年4月、化粧品再販制度の撤廃から長期低落が始まった。価格決定権がメーカーから小売業者に移り、販売チャネルは大きく変わった。

 得意としてきた百貨店向け高級化粧品が低迷。資生堂を支えてきた化粧品の専門店は減少した。代わって、ネット通販系の化粧品が台頭してきた。国内ではかつての王者・資生堂の独り負けが続いた。

「化粧品のイロハも分かっていないド素人に何ができる」。当初、魚谷を見る社内外の目は冷ややかなものだった。

 しかし、プロ経営者はタダモノではなかった。魚谷が社長に就任する直前の14年3月期の業績は売上高7620億円、営業利益496億円だった。それが17年12月期(15年から決算月変更)には売上高1兆50億円、営業利益804億円と業績を大きく伸ばした。20年を目標としていた「売上高1兆円」の中期経営計画を3年前倒しで達成。低迷していた業績を立て直した。

 資生堂ブランドを再生させたキーワードは、高価格帯の化粧品をインバウンド(訪日観光客)に売り込むこと。別の言葉でいえば、プレステージブランド&ボーダーレスマーケティングである。

 プレステージブランドとは、購入することが地位の高さを証明すると認められるような高価格帯戦略をいう。インターネットの普及により国境の壁をなくして売り込むことがボーダーレスマーケティングだ。どちらも、魚谷が最も得意とするところだ。

 プレステージブランドでは「SHISEIDO」や「クレ・ド・ポーボーテ」といったスキンケア化粧品に集中投資した。スキンケア商品は採算性が非常に高く、商品によっては粗利益率が8割以上といわれている。

 中国人観光客に焦点を当て、日本でプレステージ化粧品を手にとってもらい、帰国後、中国で購入してもらうというのがボーダーレスマーケティング。これが功を奏した。魚谷は華々しい成果を挙げた。この時が、魚谷の全盛期だった。

 マーケティングのプロは短期決戦型が多い。魚谷は引き留められて資生堂から抜け出せなくなった。

 その結果、後半戦は厳しいものとなった。(一部敬称略)

(有森隆/経済ジャーナリスト)