ラグビー日本代表「リーチの後継者候補」 ニュージーランド出身で日本語がペラペラの24歳は何者?
ラグビー日本代表に「リーチ マイケルの後継者」となれるポテンシャルを秘めた選手が現われた。ニュージーランド出身の24歳、神戸スティーラーズ所属のFL(フランカー)ティエナン・コストリーだ。
高校を卒業して2019年に来日した当初、コストリーは大学ラグビー界で目立った選手ではなかった。ラグビーでは全国区とは言えない岡山県のIPU・環太平洋大出身だからだ。
来日6年目で初キャップを獲得したティエナン・コストリー photo by Saito Kenji
「運動能力が高く、スピードとパワーを兼ね備えた選手。ブレイクダウン周りを伸ばしていけば、テストマッチで活躍できる選手になる」
コストリーの活躍は、エディー・ジョーンズHCの目にもすぐ留まり、今春、初めて日本代表に名を連ねる。
すると、6月に行なわれたイングランド代表戦でいきなり「7番」に大抜擢。桜のジャージーに腕を通すと、持ち前のスピードを武器に初キャップとは思えないプレーを見せた。
「来日する前からリーチさんの活躍を見ていたので、漠然と日本代表になりたいとは思っていました。イングランド戦はその週のベストメンバーでいったと思うので、そこに入れてうれしかった!」
ニュージーランド人の父とオーストラリア人の母を持つコストリーは、母の故郷シドニーで生まれた。父の仕事の都合で5歳からニュージーランドのオークランドに住み、ふたりの兄と一緒に楕円球を追う日々を送る。オーストラリア代表のレジェンドCTBマット・ギタウやWTBアダム=アシュリー・クーパーが好きで、将来はワラビーズの一員になることに憧れていた。
【亡き父に背中を押されて日本行きを決意】コストリーの愛称は「タマ」。ニュージーランドの原住民・マオリ族の言語で「男の子」を意味する。ティエナンと発音しづらいため、周囲がつけたあだ名だという。
「日本では猫の名前ですが(苦笑)、言いやすいので気に入っています」
高校卒業後、兄が進学していたカンタベリー大学で勉強しながらラグビーを続けるために、カンタベリーアカデミーに入ることを望んでいた。しかしそれは叶わず、進路に悩んでいる時、高校のコーチからIPU・環太平洋大学への留学を打診された。
海外に行く選択は、当初コストリーの頭になかった。
「その時は日本語ができなかったので。ただ、インターネットで中国地区大学リーグを見ると(IPU・環太平洋大が)すごい点差で勝っていたので、強いチームと思っていました」
ただ、父のスティーブンがALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患しており、来日するかどうか本当に悩んだという。しかし、父に「自分のせいでやりたいことや夢を掴むことができなかったらすごく申し訳ないので、日本に行ってほしい」と言われて、覚悟を決めた。父は来日1年目、帰らぬ人となった。
「お父さんは天国から見てくれている。すごく彼のことを感じます。代表初キャップなど大切な時、よくお父さんのことを考えます。生きていたらすごく喜んでくれたと思います」
コストリーが来日した2019年当時、IPU・環太平洋大は大学選手権に出場できるレベルではなく、明治大などでヘッドコーチを務めた小村淳監督が就任し、強化を始めたばかりだった。
コストリーは当時をこう振り返る。
「初めて日本に来た時は、みんな真面目で強いなと思った。だけど、天理大学と試合をして大差で負けて、どういう立場にいるか理解しました。
小村監督は(ライバルの)朝日大学に勝って大学選手権に出るため、私を日本に呼んだ。1年生の時は(朝日大相手に)5-55でしたが、翌年は10-29、その次は7-14とちょっとずつ近づき、4年生の最後に30-28で勝って(大学選手権に初めて出場できて)本当によかった」
【初の日本代表でリーチのプロ意識に感銘】来日して6年。昨年にはIPU・環太平洋大出身の日本人女性と結婚した。いまや日本語もペラペラだ。このインタビューも通訳は介在していない。大学入学前の「J.TEST(実用日本語検定)」テストに合格するため、一日6時間、日本語を勉強したことが大きな土台になったという。
来日当初は日本語も不慣れだったが、「ラグビー部のチームメイトがゆっくりしゃべってくれたり、いろいろ教えてくれたりして、すごく優しく接してくれた」と懐かしそうに振り返る。ただ、日本語がうまく通じずにキングサイズの牛丼を注文してしまったこともあったが、その後も週2回、食べ続けて来日時91kgだった体重を100kgまで増やすことができたと笑う。
コストリーは大学卒業後、リーグワン1部の強豪スティーラーズに加入する。来日時の目標であった「日本でプロ選手となる」夢を叶えた。そして次に「3年以内に日本代表になる」と掲げると、それも1年半あまりで達成した。
アーリーエントリーでシーズン途中から合流したスティーラーズでは、元南アフリカ代表のFLマルセル・クッツェーや2023年の世界最優秀選手に選出されたオールブラックスのFLアーディー・サヴェアといった、世界トップレベルの選手たちとバックローを組んだ。
「マーシー(クッツェー)からはリーダーシップやフィジカル、アーディーからはラックやタックルの細かいスキルをたくさん学びました」
そして、今年6月には初の代表招集で、リーチと一緒に汗を流した。
「リーチさんは、オフの日でもバイクを漕いだり、常にボトルを持っていて水を飲んだり、体のメンテナンスに関する細かい行動をたくさん実践していた」
そういったリーチのプロフェッショナリズムに、大いに感銘を受けたという。
日本代表を率いるジョーンズHCは、チームのコンセプトに「超速ラグビー」を掲げている。ジョーンズHCの示す方向性についてコストリーに聞いてみると、「すごく自分に合うと思っている」と語気を強めた。
「テンポの速いラグビーで、強い大きな相手に対してどうボールを動かせるか。私はそのテンポで相手より速く動くことができると思うので、超速ラグビー、好きです!」
【3年後のワールドカップ出場を目指して】ジョーンズHCは日本代表について、「一番成長させないといけないところは、タックルとディフェンスのフィジカリティー」と指摘する。選手たちに求めているのは、世界トップのFWを止める力強さだ。
コストリーは8月25日から始まる「パシフィックネーションズカップ(PNC)2025」のメンバーに選出された。アウェーでのカナダ戦を皮切りに、9月6日に埼玉・熊谷でアメリカと対戦し、その後はフィジー、サモア、トンガのいずれかのチームとホームで対戦する。
コストリーは「PNCでは優勝を目指しています! ファンの方々には、私のワークレート(仕事量)やボールキャリーの部分を見てほしい!」と力強く語った。
コストリーが見つめる先には、母国で開催される2027年ワールドカップがある。
「ブリスベンには家族も親戚もたくさんいるので、その前でプレーできたら本当にうれしい。もちろんワールドカップ(のメンバー)は狙っています。しかし先を見過ぎると、今がおろそかになってしまう。一日一日、ちょっとずつ努力して成長していけば、チャンスはあると思っています!」
最後に「リーチの後継者になりたい?」と聞いてみた。すると、コストリーはこう答えた。
「リーチさんみたいな選手になれたらいいですけど、私は(日本代表で)自分のレガシーを作っていきたい」
あくまでも、自分は自分──。コストリーはこれからも努力を積み重ねて、ジャパンで自らのストーリーを描いていく。