「言い方が正しいのかわからないですけど、お金じゃないんですよね。純粋に、自分のやりたいことに向かってやっている。そういうのはカッコいいなと思いますし、11歳下ですけど、やっぱり尊敬しますよね」

 そう話すのは、関西独立リーグ・堺シュライクス監督の大西宏明。そして大西が尊敬する相手とは、日本を代表するスラッガーであり、ベイスターズの後輩でもある筒香嘉智だ。


今年4月、5年ぶりに古巣であるベイスターズに復帰した筒香嘉智 photo by Sankei Visual

 筒香はスター選手でありながら、多くを語らない。派手なホームランを打ったあとのヒーローインタビューでも、「ふつうです」が定番。リップサービスよりも、バットとその背中で語る。寡黙でストイックなオーラを放つ姿は、近寄りがたさささえあった。

 マイナーリーグや独立リーグでどんなに苦しんでもメジャーへのこだわりを捨てず、挑戦を続けた原動力は何だったのか。また帰国した筒香がベイスターズにもたらすものは何なのか。筒香のルーキー時代から今も親交がある大西の話から、その一端がうかがえた。

【いつまでもかわいい後輩のまま】

 大西に話を聞いたのは今年6月中旬。その日、堺シュライクスは予定されていた試合が雨で中止となり、大阪・河内長野市にある堺ビッグボーイズ(中学の硬式クラブチーム)専用グラウンドの室内練習場で練習を行なっていた。大西も筒香も、堺ビッグボーイズの出身である。そうした縁もあり、ベイスターズで一緒になってから親交は続いた。

「被ったのは1年だけやと思うんですけど、すごくなついてくれて」

 筒香がルーキーイヤーを過ごした2010年、大西はベイスターズに移籍して3年目で、結果的にこの年がベイスターズ在籍最終年となる。

 当時、プロ8年目の大西からすれば、筒香は「かわいいお子ちゃま」だったという。

「一緒に買い物したり、いろんな店を紹介したり......あと、『契約金があるからって、そんなにお金、使うなよ。もうちょっと活躍してからにせんと』とアドバイスしたんですが、すぐに活躍しましたね」

 また、選手として当時から目を見張るものがあった。

「これはもう、一流選手になるんやろうなっていう印象でした。高卒1年目にして、バッティング技術、体の使い方、あとは野球に対しての考え方っていうのもね、野球を貪欲に追求するような性格でした」

 大西や村田修一とともに行なった自主トレでも、筒香は黙々と自分が決めたメニューをこなすなど、いい意味での頑固さはプロ入り当初から見せていたという。

 プロ入りして4年間は筒香もプロの荒波に揉まれたが、5年目の2014年に打率3割、22本塁打をマークすると、一気にチームの主軸へと成長する。アメリカに渡るまで6年連続で2ケタ本塁打を記録し、2016年には本塁打と打点の二冠を獲得。侍ジャパンの4番も務めるなど、名実ともに球界を代表する選手となった。

 ただ、どんなに実績を積み上げても、大西とって筒香は「かわいい後輩」のままであり、人間性は変わらなかった。大西は現役引退後の2012年に大阪で焼肉屋をオープンしたが、筒香はたびたび店に顔を出してくれたという。

「天狗になることもないですし、歳を重ねてウチの店に後輩を連れてきてくれた時に『あぁ、先輩になったんや』って、それくらいの変化ですよ。僕のなかではいまだにかわいい後輩です」

 ベイスターズの4番、そしてキャプテンだった頃は、どこか表情も硬く、近づきがたい雰囲気があったのではないだろうか。

「それはね、ゴウ(筒香)が変わったんじゃなくて、メディアのみなさんがそういう風に"筒香像"っていうのをつくり上げたんじゃないかと思うんです。筒香嘉智っていうのはこうあるべきだというのを、みなさんがつくった。野球選手ならば、ベイスターズのキャプテンならば......みたいなものをあいつが感じとって、そういう振る舞いをしたんじゃないですかね」

 筒香のピリッとしたオーラは、あえて醸し出していたものではないかというのが、大西の見立てだ。

「自分の言動に対する影響力をわかっていたんじゃないですかね。ゴウがヘラヘラしていたら、『ベイスターズってこういうチームなのか』って思われるじゃないですか。そうならないように、まず自分を律していたんじゃないですかね」


焼肉店を経営の傍ら、関西独立リーグ・堺シュライクスの監督も務めている大西宏明氏 photo by Sugita Jun

 ただ、こうもつけ加えた。

「でもロッカーとかでは、絶対にみんなと笑って遊んでいたはずですよ」

 全盛期の筒香のオーラは、あくまでチームの顔として、外に見せるためにつくられたものだったという。だからこそ、「筒香は変わったのか?」という問いに対する大西の答えは「僕のなかでは変わらないですよ。まあ変わらないでしょう」というものだった。

 焼肉を食べる際に脂身を控えるようになっても、人としては若い頃からまったく変わっていない。

【堺シュライクスへの入団交渉】

 筒香の渡米後も、大西は年に一回くらいは会っていたという。メジャーの豪速球や動くボールへの対応、さらに自身の故障も重なり、筒香はアメリカで期待されたほどの活躍はできなかった。そんな時、悩みを打ち明けることはなかったのか。

「基本、自分ひとりで決めましたっていうタイプでしょ。『腰がダメです』とか、そういうのは聞いたことがありますけど、バッティングがどうとか、こういうことに苦労しているというのは聞いたことがないですね。(渡米中も)契約がまとまらんかったりした時も、『どうせアメリカで頑張るんやろ?』って聞いたら、『はい、もちろん。やれるまでとことん夢を追いかけたいです』って連絡があったので......全然悩んでいるっていう素ぶりはなかったですね」

 環境面や待遇で恵まれないマイナーや独立リーグでプレーを続ける筒香に対して、国内では冷ややかな視線を向ける者もいた。

「彼なりの苦労はあったと思うんですけど、それは身近な僕でも感じないくらい見せなかった。それよりも純粋にアメリカで野球をしたいというのを感じましたね」

 そして筒香は今年3月にアメリカでFAとなると、4月に古巣であるベイスターズに復帰した。巨人入り有力という報道もあったが、筒香と大西の間ではこんなやりとりがあった。

「たぶん日本の情報を知らなかったと思うんで、『ジャイアンツの報道、日本でこんなの出てんで』と教えたら、『いや、本当に全然そんなのないんです。正直、日本の何球団からオファーがあるのは事実です。でも、まったく決めていないです』って言ったので、『じゃあ、ウチの球団においで』っていう話はしました(笑)」

 余談だが、堺シュライクスへの入団交渉は「半分本気の話」だったという。

「『日本に帰ってきて契約が決まらなければ、実戦を積みたいので練習に参加させてもらえませんか?』っていう話はしていました。だから実際、入団交渉はしていました」

 一時は巨人入りが濃厚なムードとなり、ベイスターズファンの心は大きく揺れたが、当時から大西は「あいつの人柄的にベイスターズに戻るやろ」と思っていたという。そして大西の見立てどおり、ほどなく「ベイスターズでやります」と、筒香から報告があった。

 現在、筒香は骨折により一軍の戦列から離れている。それまでも数字的にも打率.206、6本塁打、11打点と、決して本調子とは言えない。ただ、大西はこう断言する。

「もちろんプレーヤーとして帰ってきているので、まず成績を残すのが第一です。ただ、それ以上のプラスアルファがあるから、球団は獲ったと思うんですよね。彼の経験、野球に対する姿勢、そして人間性。そういうのがすべてベイスターズにとってプラスになるから、筒香嘉智を呼び戻した。そのへんはもう、何の心配もなくベイスターズにとってプラスにしかならない選手やと思っています」

 そして最後に、大西なりのエールも忘れない。

「たぶん(現役が)終わってから、ゆくゆくは監督になるんでしょうね。監督になったら、ベッドコーチくらいで戻るよって、また冗談でLINEします(笑)」

 大西が語るように、筒香の力が必要になる時は、きっと来るはずだ。