プロ野球選手の甲子園奮戦記(15)〜吉田輝星(オリックス)

【4試合連続2ケタ奪三振】

 2018年の夏、白いマウスピースを噛みしめて平成最後の甲子園のマウンドを支配する姿が印象的だった。秋田大会の5試合43イニングで57三振を奪った金足農の吉田輝星のピッチングは、甲子園でさらに勢いを増す。

 創部100年の鹿児島実との1回戦では、最速に迫る148キロのストレートを軸に7回表まで無失点。たびたび走者を出すのだが、決定打を許さない。8回表に1点を失ったが、終わって見れば157球を投じて14奪三振の快投だ。


2018年夏、金足農のエースとして「カナノウ旋風」を巻き起こした吉田輝星 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 鹿児島実の4番・西竜我は、「(打者の)手元で浮き上がってくる。あんな球は見たことがない」と吉田のピッチングに脱帽した。

 2回戦の相手は強打を誇る大垣日大(岐阜)。中盤からピッチングのギアを上げた吉田は13奪三振で完投勝利を収める。大垣日大の5番・小野寺優斗が「ボール球だと思った低めの球が伸びてきた」と振り返ったように、その試合でも金足農のエースの怪腕は冴え渡った。

 横浜(南神奈川)との3回戦では、164球を投じて14奪三振。疲労が蓄積していたはずのその試合での最終回には、不敵な笑みすら浮かべながら161球目に自己最速タイとなる150キロをマークして3者連続三振で締めるのだから、恐れ入る。横浜の5番・内海貴斗が「9回になって、もう一段ギアを上げたスライダーをとらえきれなかった」と悔しがる。試合後の吉田は言うのだ。

「冬の苦しかった練習を思い出して、気持ちを込めて投げた」

 近江(滋賀)との準々決勝を前にして、吉田はわずかに不安を抱えていた。横浜との3回戦、試合中盤ぐらいから左股関節に違和感があったのだ。それでも、吉田はマッサージを施し、準々決勝の先発を志願した。

「(先発を)行かせてくださいと言ったのは初めてです。負けるわけにはいかないと思って」

 思ったほどの球速が出ない。ならばと、変化球主体のピッチングで攻めた。スライダーを効果的に使って強力打線の近江を2点に抑えるなか、140球を投じて10三振を奪った。

 近江の4番・北村恵吾(現・ヤクルト)は「スライダーのキレがすごかった」と脱帽した。準々決勝までの4試合で奪った三振は51個。大会記録に並ぶ4試合連続の2ケタ奪三振は、2012年夏の桐光学園・松井裕樹(現・パドレス)に続く史上7人目の記録だった。

【大阪桐蔭「最強世代」に5回12失点】

 ユニフォームの胸には『KANANO』の文字。地元では「カナノウ」の呼び名が定着する農業高校を後押しする風が甲子園を包み込む。

 1984年にも、エース・水沢博文と長谷川寿のバッテリーを中心とした金足農は、夏の甲子園でベスト4に進出。「ミラクル」という枕詞とともに「カナノウ旋風」と呼ばれた。あの夏から34年。追い風を受けて再び準決勝に駒を進めた金足農は、日大三(西東京)と激突する。

 吉田は4回裏に二死一、三塁とピンチを迎えたが、後続を空振り三振に仕留めてリズムを取り戻す。8回裏に失点して1点差に詰め寄られるが、9回裏の一死一、二塁のピンチを脱して強打・日大三を相手に1失点完投勝利を収めた。

 創部以来初、秋田県勢としては103年ぶりの決勝進出。相手は春夏連覇を狙う王者・大阪桐蔭(北大阪)。決勝を目前にして、吉田はこう語っていた。

「自分の身が砕けても、マウンドに立ち続ける。身を削ってでも勝ちたい」

 だが、その思いとは裏腹に、吉田の体は限界を迎えていた。大阪桐蔭の最強世代が初回から吉田に襲いかかり、3点を先取。4回には1番・宮崎仁斗、5回には5番・根尾昂(現・中日)にホームランが飛び出し、リードを広げる。

 そして6回の大阪桐蔭の攻撃が始まる前に、吉田は外野手用のグラブを持って、ライトのポジションに向かった。秋田大会からここまでひとりで投げ抜いてきた吉田だったが、この夏、初めてマウンドを降りた。

「体全体に疲労が溜まっていた。でも、大阪桐蔭打線は思っていたよりもはるかに上だった」

 決勝で5イニングスを投げて被安打12の12失点。奪三振は4個にとどまった。それでも第100回大会を盛り上げた吉田に、万雷の拍手が送られた。

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吉田輝星(よしだ・こうせい)/2001年1月12日、秋田県生まれ。2018年夏の甲子園で金足農のエースとして全試合に先発し、チームを準優勝に導く。同年秋のドラフトで日本ハムから1位で指名され入団。19年6月12日の広島戦で一軍デビュー。5回84球を投げて1失点、4奪三振でプロ初勝利。21世紀生まれ初の勝利投手となった。その後は思うような結果を残せず、23年はわずか3試合の登板に終わり、オフにトレードでオリックスに移籍。オリックスでは貴重な中継ぎとして登板数を重ねている