夏の高校野球・山梨大会で起きた「幻のサヨナラ事件」 当事者が語ったベース踏み忘れの真相
この夏、ジュニア野球の現場で大きな「教材」になるワンプレーがあった。
7月19日、山日YBS球場で行なわれた山梨大会準々決勝・日本航空対帝京三。9回裏、1対1の同点で二死満塁の場面。日本航空の中西海月(みづき)がセンター前に抜けるヒット性の打球を放った。
三塁走者がホームベースを踏み、歓喜に沸く日本航空の選手たち。一方、帝京三の選手のなかにはグラウンドに手をついてうなだれる者もいた。誰がどう見ても「サヨナラ勝ち」のシーンである。
ところが、不意に「アウト」のコールがかかる。日本航空の一塁走者が二塁ベースを踏んでおらず、そのことに気づいた帝京三の中堅手が二塁ベースを踏み、審判にアピールしたのだ。日本航空の一塁走者はフォースアウトとなり、得点は認められず。つまり、「幻のサヨナラ」になってしまった。
たとえ一打サヨナラのシーンでも、ランナーは必ず次のベースを踏まなければならない。学童野球の選手でも知っているような「常識」だろう。日本航空の一塁走者は、その常識にそむいてしまった。
だが、夏の高校野球には、不思議な磁場がある。高校球児の野球に懸ける思いが強ければ強いほど、本来なら起こり得ないことが起こる。当たり前の常識が通用しない場所でもある。
その瞬間、その空間に立った者にしかわからないこと、見えないものもあるのではないか。そこで、当事者である日本航空の一塁走者、雨宮英斗(あめみや・えいと/2年)にあらためて「幻のサヨナラ事件」について振り返ってもらった。
敗れはしたが掛川西戦で2安打を放った日本航空・雨宮英斗 photo by Ohtomo Yoshiyuki
本人にとっては思い出したくもない、忌まわしい記憶のはずだ。それでも取材主旨を告げると、雨宮は「大丈夫です」と答えてくれた。
まずは大事な事実確認をしなければならなかった。本当に二塁ベースを踏んでいなかったのか。
「はい。踏んでいないです。サヨナラという場面でうれしくて、『やった、サヨナラだ!』とみんなのところへ早く行きたくて......」
なぜ、こんなことが起きたのか。その核心に迫る前に、まずは雨宮という選手のバックグラウンドを知ってほしい。
雨宮は毛呂山武州シニア(埼玉)に所属した、中学時代からちょっとした有名人だった。中学3年時にはシニアの日本代表に選ばれ、全米選手権に出場している。高校進学の際には数多くの学校から勧誘を受けた。そのなかで、雨宮は「設備がよくて、練習の雰囲気がよかった」と日本航空を進学先に選ぶ。
日本代表のエリート。それを笠に着たつもりは毛頭なかった。それでも、雨宮は高校野球の壁にぶつかる。1年時からチャンスを与えられているのに、結果が出ない。雨宮は精神的に追い詰められていった。
そんな時、いつも救ってくれたのは1学年上の先輩たちだった。とくに親身になってくれたのが、同じ外野手の中西海月だという。
「バッティング、外野守備、全部先輩に教えてもらっていました。とくに中西さん、小林(幹汰)さんにはお世話になりっぱなしで。自分はクソ生意気な後輩だったと思うんですけど、先輩たちはまるで同学年かと思うくらい温かく向き合ってくれて。本当に迷惑をかけてばかりでした」
高校1年秋の大会で、雨宮は本塁打を放つなど活躍する。ようやく高校野球で自分の力が発揮できる。ほのかな自信が得られた。
そして迎えた2年夏の山梨大会準々決勝・帝京三戦。日本航空は新チームに入ってから帝京三に勝てておらず、雨宮も「なんとしても勝ちたい」と意気込んでいた。
0対1とビハインドで9回裏二死三塁、2ストライクまで追い詰められた。しかし、金子竜馬が起死回生の同点打を放ち、さらに雨宮も死球を受けるなど満塁のチャンスをつくった。
ここで打席に入ったのが、雨宮が「一番仲良くさせてもらった」という中西だった。
中西の放った打球がセンター前に抜けていくと、雨宮は居ても立ってもいられない感情に支配された。
「早く中西さんのところに行きたい。早く一緒に喜びたいと思ってしまいました。ずっと勝てなかった帝京三に勝ててうれしい思いもあって、気が抜けていたのだと思います」
冷静に考えれば、自分が二塁ベースを踏まなければいけないことはわかる。しかし、この場面では「三塁走者がホームを踏めばオーケー」と思い込んでしまった。
ひとしきり喜んだあと、「アウト」の宣告がなされた。自分のミスとはいえ、天国から地獄へと叩き落された気分だった。
「ベースを踏んでないからアウトと言われて、『え?』という感じで。タイブレークに入ると知った時には本当に申し訳なくて。あれだけ助けてもらった3年生に、また迷惑をかけるのか......と」
自分を責める雨宮に対して、叱責する3年生はいなかったという。
「おまえのせいじゃない。切り替えろ!」
そう声をかけられ、雨宮は延長10回から始まるタイブレークに臨んだ。
【延長11回に起死回生の同点打】試合は思わぬ展開を見せる。延長11回表に帝京三が2点を勝ち越し。その裏に日本航空が追いつけなければ、その時点で敗退が決まる。
しかし、日本航空の選手たちは驚異的な追い上げを見せる。1点を返してなおも二死一、二塁で、打順は4番の雨宮に回ってきた。
極限状態に追い込まれた雨宮は、打席に入る前から涙が止まらなかった。
「自分のせいで負けちゃうかもしれない恐怖が一番大きくて、それでも諦めずに自分に回してくれた3年生に対するうれしさもあって、いろんな思いがごちゃごちゃになって、涙が止まらなくて。『やばい、やばい......』と焦りました」
そんな雨宮に近寄ってきたのは、3年生の金子竜馬だった。
「泣くな! 泣いていたらボールが見えないぞ」
さらに打席に入ると、一塁走者の金子優馬も声をかけてくれた。
「うしろにつなげ!」
それまで「自分が決めなければ」と思い込み、緊張で体が硬直していた雨宮は、この言葉で我に返った。
「つなげと言ってもらえて、力が抜けてラクになりました」
雨宮が放った打球はセンター前に抜け、三塁走者が生還。日本航空は同点に追いついた。さらには早川隼斗が押し出し四球を選び、逆転サヨナラ勝ち。二塁走者だった雨宮は、今度はしっかりと三塁ベースを踏んでから整列に向かった。
「勝てて本当によかった......という気持ちだけでした」
もし、この試合で負けていたら、どうなっていたと思うか。そう尋ねると、雨宮は真顔でこう答えた。
「自分が野球をしているかわからないです。少なくとも、しばらくは野球をしたくなかったかもしれないですね」
その後はしばらく、「幻のサヨナラ事件」の余波が続いた。友人、知人からの連絡も殺到した。
「だいたい『よく打ったな!』という反応と、『おまえベース踏めよ!』という反応で半々でしたね」
1週間ほどは、チームメイトからもこの一件をイジられたという。中西からも日常生活のなかで「ベース踏めよ?」と冗談めかして言われたそうだ。
死線を越えた日本航空は準決勝、決勝と勝ち進み、3年ぶり7回目の甲子園出場を決めた。
8月10日の掛川西(静岡)との甲子園初戦は4対8で敗れたものの、雨宮は4打数2安打と気を吐いている。試合後、雨宮はいろんな3年生と抱き合ったあと、感謝の思いを口にした。
「試合に出られない先輩も『しっかり頑張れ』と言ってくれて、サポートもしてくれて、最後までお世話になりっぱなしでした。本当にありがとうございましたという言葉しかありません。まだまだ恩返しが足りないので、来年もまた甲子園に来て、今度は絶対に勝ってリベンジをします」
人間誰しもミスはある。とんでもない失敗を犯したあとにどんな行動をとれるか。雨宮と日本航空の3年生は、その大切さを証明したように思えてならない。
雨宮は最後にこんな思いを語っている。
「野球のことだけじゃなくて、人生での大きな勉強になりました。最後まで諦めないこと、最後の最後まで気を抜いてはいけないことを教えてもらいました」
その横顔には精悍さが宿っていた。この夏、大きな教訓を得た雨宮英斗は、次の一歩を踏み出そうとしている。