なぜ「女性の歌舞伎役者」は存在しないのか…「男性ばかりの歌舞伎界」でいまも続く"女人禁制"という理不尽
■なぜ「女性の歌舞伎役者」は存在しないのか
歌舞伎と聞いて多くの人がイメージするのは女形(女方)だろう。
歌舞伎は従来、男性だけが演じてきた。「伝統」という名において、それは永年肯定され、それ自体が特徴のひとつであるのには違いないが、時代は変わり、男女共同参画社会の実現が求められるようになってきて、それに対する批判も耳にするようになった。
ここでは男性だけの歌舞伎役者の世界に女性が進出する可能性があるのか、またそれが伝統との兼ね合いでどのように評価されるのかを考えてみたい。
男性だけが演じる歌舞伎とされているが、実は最近、歌舞伎の殿堂といわれる歌舞伎座で女性が舞台に立つケースが出てきている。
一つは市川團十郎の長女で舞踊家としてデビューしている市川ぼたん(本名:堀越麗禾)の出演である。もう一つは尾上菊五郎の長女であり女優の寺島しのぶ(本名:寺嶋グナシア忍)である。
團十郎には二人の子どもがおり、長男は2022年11月の歌舞伎座での團十郎白猿襲名披露興行で市川新之助の名を襲名(親子同時襲名)した。團十郎襲名披露興行は翌月の12月にも演目を変えて行われたが、その夜の部の演目「團十郎娘」で、ぼたん(当時11歳)は主役の「近江のお兼」を演じた。これは舞踊で、事実上の一人舞台だ(他、わき役5人)。
■「家制度」と結びついた役者の資格
「市川ぼたん」の名は日本舞踊市川流の名跡で、2019年にこの名を8歳で襲名している。歌舞伎では子役の場合は女の子を出演させることはあるが、このように歌舞伎座の一つの演目で主役を張ったことに注目が集まった。團十郎はぼたんを歌舞伎役者にしたがっていると話題になった。
もうひとつのケースは歌舞伎界の重鎮尾上菊五郎の娘である寺島しのぶが2023年10月の歌舞伎座公演「錦秋十月大歌舞伎」昼の部の演目「文七元結物語」で長兵衛女房お兼を演じたケースだ。山田洋次監督が演出し、夫の左官長兵衛役は中村獅童が務めた。人気の世話物狂言(町人の世界の人情噺)だが、舞台装置は現代的な要素を含んだ演出であった。
しかし、これらをもって女性の歌舞伎役者が誕生したとは認識されてはいない。
「歌舞伎役者」の明確な定義がある訳ではないが、通常歌舞伎役者は家制度と結びつき、「家」ごとの歌舞伎界特有の名を持ち、代々名跡を襲名していく。大名跡を得た者が家の頂点「旦那」となって息子や弟子たちがその家の若い世代向けの名跡(若旦那)や家の名を得ていく。
国立劇場伝統芸能伝承者養成所出身の歌舞伎俳優も数多くいるが、養成所を卒業しただけでは歌舞伎役者にはなれず、いずれかの旦那の弟子となって家の名前を得る必要がある。
■歌舞伎俳優の会員304人はすべて男性
歌舞伎俳優等を個人会員として組織する公益社団法人日本俳優協会の会員名簿に名がある者が歌舞伎役者と言ってほぼよいだろう。
個人会員には加盟順に番号が振られているが、A、B、Cの3グループに分けられている。Aが歌舞伎俳優で全会員340人中304人を占め、全員男性だ。
ちなみにB、Cは新派俳優等、歌舞伎以外の俳優で女性もいる。なお、歌舞伎興行は主に松竹が行っているが、独自路線を歩む前進座等の役者は加盟していない。
当然、市川ぼたん、寺島しのぶの名はない。演劇では「客演」あるいは「友情出演」という形でその団体に属していない役者が舞台に立つことがあるが、二人のケースはそのような位置づけだろう。
なお、昭和24年度芸術祭参加作品として松竹映画『六歌仙容彩 内 喜撰』が作製されている。今も人気の舞踊「喜撰」で、踊りの名人とされた七世坂東三津五郎が喜撰法師を演じ、その相手役・祇園のお梶を水谷八重子(花柳寿)が演じている。映像から撮影場所は新橋演舞場と思われる。70年以上前に女形でなく女優が歌舞伎舞踊に出演していることは興味深い。
■女人禁制にこだわる相撲界
一方、相撲界では女人禁制が頑なに守られてきた。
このような事件があった。2018年4月に京都府舞鶴市で行われた大相撲舞鶴場所の土俵上で式典があった時、男性の同市長が急に倒れてしまった(くも膜下出血)。その際に客席にいた女性の看護師たちが土俵に上がって市長の救命措置を始めた。
それを見た行司が「女性は土俵から降りてください」とアナウンス放送し、相撲協会員が女性たちへ「下りなさい」と指示したという事件だ。
この問題は、人命軽視、女性差別等の指摘を受け、公益財団法人日本相撲協会の八角理事長が謝罪する事態となった。
しかし、八角理事長は「大相撲は、女性を土俵に上げないことを伝統としてきましたが、緊急時非常時は例外です。人の命にかかわる状況は例外中の例外です」(2018年4月28日理事長談話)と述べており、緊急時以外は女人禁制を伝統として守っていく意思を示したと言える。
■「殿堂」だからこそ男性だけの伝統にこだわるのか
ただし、ここで注目したいのは「大相撲」という表現だ。
日本相撲協会が主催する「大相撲」は数多くある相撲興行の中で最も権威ある競技と認識され、東京での開催は国技館である。相撲の伝統を守ることが使命という認識が強いのだろう。事実、世の中には女子相撲もあり、公益財団法人日本相撲連盟(アマチュア相撲の普及振興団体)の加盟団体に日本女子相撲連盟がある。
女人禁制を取る理由については大相撲の土俵を神聖な場所として考える中で、血を不浄なものととらえ、出産や月経を経験する女性を遠ざけるためといった説があるが、明治以降の考えという指摘もある。
松竹が興行主の歌舞伎座の歌舞伎も「大歌舞伎」と表現されている場合が多い。歌舞伎の伝統を守る殿堂としての自負の表現であろう。
一方、独自の路線を歩む前進座という劇団がある。東京・吉祥寺に本拠地を置く歌舞伎を中心として興行を行う劇団で、かつては同地に客席数500の劇場を有していた。歌舞伎以外の公演も行っていることもあるが、所属俳優の半数ほどは女性だ。歌舞伎興行においては男性だけで演じることもあるし、女性が混じる場合がある。
2024年5月の「前進座歌舞伎公演」(東京建物Brillia HALL)では「舞踊 雪祭五人三番叟」で、女優のみによる舞台とし、歌舞伎音楽の浄瑠璃、三味線、囃子も女性という趣向の興行を行なって話題となった。一方、同時に上演された「歌舞伎十八番の内 鳴神」は男性俳優だけで演じられた。同劇団によれば、演目の内容によって女性の配役も考えているという。
■伝統と現代的価値観の融合はできないのか
歌舞伎の大きな特徴の一つは女形だろう。もし女性の歌舞伎役者を誕生させれば、その伝統・技が崩れてしまうという危機感があるとすれば理解できる。男性が女性を演じることは女性ではないゆえに工夫が必要で、それが技となり究極の美となっている側面がある。
そもそも歌舞伎のルーツは出雲の阿国という女性が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて京都で奇抜なかっこうをして踊った「かぶき踊り」とされる。歌舞伎(かぶき)の言葉は傾く(かぶく)から来ているともされる。
しかし江戸時代の寛永6年(1629年)以降、風紀の乱れを理由に女性が舞台に立つことを幕府が禁じたため、女形が誕生した。不自由こそが芸術を生むとされるが、女形もそうした状況にあったからこそ生まれたものであろう。
一方、現代社会では男女の区別が差別として認識される場面も増えてきた。人々の価値観は多様であるが、「自分らしく生きる」ことができる社会の構築が重要な政治課題になっていることは間違いない。看護婦の名は看護師となり、保母の名は保育士となった。男の職域とされてきた航空機パイロットや自衛隊員などにも女性が採用されている。
■興行として成り立たなければ、伝統は守れない
歌舞伎はお金を払って観たい人が観る娯楽なのだから、社会の動きに合わせる必要はないという指摘もあるが、娯楽であるがゆえに興行として成り立たないと事業の継続は困難となり、結局伝統を継承できなくなってしまう。
ゆえに今日、あるいは将来の観客が、男だけで演じる歌舞伎を古臭いもの、時代遅れのものと思い、足を運ばなくなってしまっては守るべき伝統も守れなくなる。
重要なのは「守るものと変えるべきもの」をどう選別して考えるかだろう。
だからこそ、松竹は社会的反響や観客の意向を窺うために歌舞伎の殿堂である歌舞伎座で市川ぼたん、寺島しのぶを主役級の役で舞台に出したのであろう。両者とも大名跡俳優の息女であるから家柄が問題になることはなかったこともその判断を促したとは思われる。
私自身、両者の舞台を観たがまったく違和感はなかったし、むしろ歌舞伎の新たな試みとして評価する立場だ。女形の伝統は大事にしつつ、前進座が行っているように演目によって女性を起用したところで歌舞伎の伝統が崩れるとも思わない。むしろ話題を呼び、観客の関心を集めるのではないかと思う。
■問題は舞台で演じる役者だけではない
舞台芸術は役者だけでは成り立たない。歌舞伎は日本舞踊の要素を多く取り入れているので、音楽も重要だ。長唄、清元、常磐津、竹本といった音楽が歌舞伎にはよく使われるがこれらの奏者も男性のみが通常だ。
しかし、日本舞踊は歌舞伎同様「家」の芸であり、家元を頂点として芸が継承されているが、女性が家元になることも多い。また長唄や清元なども家制度で成り立っているが、女性演奏家も多く、女性が家元の場合もある。
そうした中で歌舞伎の演奏では、男性の奏者だけを採用していることは職業選択の自由の観点から問題を孕んでいるように思う。
一番の問題は独立行政法人日本芸術文化振興会が運営する国立劇場伝統芸能伝承者養成所の方針だ。
その名の通り、日本の伝統芸能を継承する者を養成する機関で、現在9つの分野で研修を行っている。国立劇場のHPによると、現在活躍する歌舞伎俳優の32.6%、歌舞伎音楽の竹本の86.8%、歌舞伎音楽(鳴物)の38.5%が研修修了者だという。
■応募資格があるのは「男子」だけ
2〜3年の研修を無料で受けられる制度だが、応募資格を「男子」だけとしている分野が多い。9つの研修分野を以下に分類した。
男女問わず
大衆芸能(大神楽)、能楽(三役)
男子のみ
歌舞伎俳優、歌舞伎音楽(竹本)、歌舞伎音楽(鳴物)、歌舞伎音楽(長唄)、
文楽(太夫、三味線、人形)、組踊(おきなわ国立劇場)
女子のみ
大衆芸能(寄席囃子)
国立劇場の担当者に受け入れ条件に性別を入れる理由を聞いたところ、歌舞伎役者や歌舞伎音楽等の場合、女性だと職に就けないからだという。職に就けないから教育しないという考え自体が、男性だけの職業という状況を固定することにつながるだろう。
興味深いのは寄席囃子(はやし)で、これは「女子」だけだ。こちらについても女性しか職に就けないからだという。落語家の立川平林氏に尋ねたところ、寄席囃子で男性は見かけたことがないという。
国立劇場の運営機関がこうした方針でよいのだろうか。現在、研修生の募集に苦労している状況のようだ。抜本的な改革が必要な時期かもしれない。
■かつて宝塚歌劇団に「男子部」があったが…
逆に女性だけの世界もある。その典型例が宝塚歌劇団だ。宝塚音楽学校を卒業した女性(タカラジェンヌ)だけで構成された歌劇団であることで有名だが、女性は女性でも未婚女性だけで構成されている。
現代感覚でみれば、差別的にも思えるが、男性も劇団員にしろとか、結婚したら退団というのはかしからんといった声はあまり聞こえてこない。いまどき結婚したら退職しなければならない職場があったら大問題だろう。
実は、かつて、宝塚に「男子部」というものがあった。1919年に宝塚音楽学校に8人の男性が入学したが10カ月後に解散。その後1945年以降、男性の入学者が5人、翌年に3人、翌々年に5人が入学している。
しかし、女性劇団員やファンからの猛反対を受けて、公演には出演できず、「影コーラス」(客席から歌い手は見えず、歌声のみが聞こえるコーラスのこと)で参加しただけになった。この実話をもとにして2007年に『宝塚BOYS』という舞台が上演されている。
なぜ、わざわざ女性が男を演じる劇団がこれほど人気なのだろうか。男役と娘役という存在が描き出す男女の架空性と幻想性にその理由があるという意見がネットで見られた。また、未婚に限る理由については、結婚という正式なかたちで現実世界の男女関係に組み込まれることは、宝塚歌劇の世界に存在する男女の架空性と幻想性が崩れるからだという意見もあった。なるほどと思う。
■守るべきは守り、変えるべきは変える
歌舞伎界では昨年5月、「猿之助騒動」が人々の耳目を集めた。宝塚歌劇団では昨年9月に所属団員が死亡し、『週刊文春』などがいじめの実態を詳報した。男だけの世界、女だけの世界は、いびつな人間関係を作り出しやすいのかもしれない。
かなり古いが、2008年にNHKが「NHKスペシャル 女と男 最新科学が読み解く性」を放送した。その中で、宇宙飛行士が男だけ・女だけより、男女混合のほうが適切な判断ができるというNASAの研究を紹介していた。
芸術世界はこのようなシビアなものではなく、娯楽として成り立てば公序良俗に反しない限りは自由であるはずだが、いびつな人間関係や差別は、その持続可能性という意味におい早急に考慮しなければならない課題である。
芸術的な魅力を引き出しながら組織としての健全性を保持し、未来に向かって躍進する歌舞伎のあり方が問われている。
----------
細川 幸一(ほそかわ・こういち)
日本女子大学名誉教授
独立行政法人国民生活センター調査室長補佐、米国ワイオミング州立大学ロースクール客員研究員等を経て、日本女子大学教授。一橋大学法学博士。消費者委員会委員、埼玉県消費生活審議会会長代行、東京都消費生活対策審議会委員等を歴任。専門:消費者政策・消費者法・消費者教育。2024年3月に同大を退職。著書に『新版 大学生が知っておきたい生活のなかの法律』『大学生が知っておきたい消費生活と法律【第2版】』(いずれも慶應義塾大学出版会)などがある。歌舞伎を中心に観劇歴40年。自ら長唄三味線、沖縄三線を嗜む。
----------
(日本女子大学名誉教授 細川 幸一)