【もはや青年将校…!】滝沢秀明が見据える「世界変革」のビジョンと傾倒した「過激な思想」

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「二・二六事件」の将校に重なる生き方

「滝沢秀明って、もはや青年将校ですよ!」

若い記者が言った。大手メディアで働く敏腕の芸能記者である。

’22年10月、突如、滝沢はジャニーズ事務所を退所して、翌年3月、新会社「TOBE」を立ち上げた。元V6の三宅健や、King & Princeの平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太、Kis-My-Ft2の北山宏光、さらにはジャニーズJr.のIMPACTorsのメンバーらが次々と事務所から移籍して、TOBEで活動を始めたのだ。

ちょうどジャニー喜多川の性加害が明らかとなり、藤島ジュリー景子社長が謝罪、ジャニーズ事務所が消滅へと至るのと同じ頃である。もし、滝沢秀明がジャニーズの副社長のままであったなら、彼もまた責任を問われ、記者会見で追及を受けて、東山紀之の立場になっていたかもしれない。

一連のジャニーズ問題は、英国BBC放送がきっかけとなった。日付を調べてみたのだ。すると……。

’23年3月16日=滝沢秀明、TOBEを設立。

3月18日=英国BBC放送がジャニー喜多川の性加害ドキュメンタリーを世界公開。

なんということだろう! ジャニーズ帝国の崩壊のその寸前に、滝沢は自らの独立国を建ち上げていたのである。そこで冒頭の記者の言葉が浮上する。

「青年将校」

いったい、それはどういう意味だろう?

二・二六事件である。

昭和11年(1936年)2月26日、日本陸軍の青年将校たちが引き起こしたクーデター事件だ。1483名が蜂起、大臣や軍上層部ら数名が殺害されたが、昭和天皇の怒りをかって鎮圧、首謀者らは処刑された。

この日本国家をジャニーズ、青年将校を滝沢秀明、軍上層部を藤島ジュリー景子ら事務所の守旧派になぞらえよう。天皇=ジャニー喜多川は既に亡くなっていた。つまり青年将校・滝沢秀明こそがジャニーの精神の正統的な後継者(=皇道派)として引き起こした叛乱なのだ。

「異常な情熱」のルーツとは

さらに言えば、昭和6年(’31年)9月の満州事変である。中華民国の柳条湖で関東軍が鉄道線路を爆破、これを機に満州全土の占領へと至った。主導したのが軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾だ。

ちなみに今年2月に亡くなった世界的指揮者・小澤征爾は満州生まれで、板垣「征」四郎、石原莞「爾」の文字をもらい名づけられた。映画『ラストエンペラー』で描かれたように満州国こそは、日本から脱した者らによって作られた夢想国家なのだ。

つまりは、青年将校・滝沢秀明によるジャニーズ電撃脱退は二・二六事件であり、TOBEこそは満州国なのだ――という見立てである。

昭和初期の青年将校と、令和初期の滝沢秀明をつなぐものとは、いったい何か。寺内大吉著『化城の昭和史』(毎日新聞社、’88年刊)を読んでみよう。

〈満州事変とは、いったい何だったのか? 永年にわたる僕の疑問は、やがて五・一五から二・二六事件へ至る日本ファッシズムの形成過程で随所に顔を覗かせてくる日蓮主義者たちの存在を知るに及んで、重大な関心事となった〉

同書の副題は「二・二六事件への道と日蓮主義者」である。

満州事変の首謀者・石原莞爾や、二・二六事件の青年将校たちは、日蓮主義の熱烈な信奉者だった。日蓮は特異な仏教僧で、その教えは苛烈なイデオロギー(主義)として恐れられた(佐渡へと流刑になる)。

昭和史を揺るがす青年将校たちの革命思想の根底には、日蓮主義があったのだ。滝沢秀明が、日蓮の仏法を信仰する我が国最大の宗教団体の会員らしいとは、よく聞く話である。

お笑いタレントの長井秀和は、滝沢と共に同団体の名誉会長と面会した時のことを告白していた。

「’05年1月、八王子にある東京牧口記念会館で開かれた本部幹部会で、集まった千人ほどの学会員の前で池田先生から激励を受ける機会がありました。タッキーはNHK大河ドラマ『義経』の主演に抜てきされた頃でしたから、歴史モノ好きの池田先生は壇上でうれしそうにしていました。タッキーといえば、あのジャニーさんにも気に入られて、それに池田大作でしょ。クセの強い昭和のフィクサーたちから寵愛を受けていて、すごいなと思いましたよ」(デイリー新潮、’23年11月21日)

これを聞けば、滝沢の信仰の件は長井秀和の持ちネタではないが「間違いない!」ということだろう。

とはいえ、彼が世俗化された宗教団体の数多くいる芸能人会員の一人であることに、さほどの興味を覚えない。いや、むしろ、日蓮その人の過激思想、いわゆる日蓮主義に殉じた昭和の青年将校たちの血中に流れる情熱と等しいものを、滝沢秀明に感じるのだ。

滝沢の強烈なストイシズムと超越的なものに対する強い志向は、よく言われる。少年時にプロレスラー・大仁田厚に憧れ、自らの部屋のベッドに有刺鉄線を張りめぐらせリングとして、毎夜、一人で闘っていたとか。さらには、なんとアントニオ猪木と横浜アリーナのリングで対戦してもいる。

また、火山探検家という意外な顔も持っていた。世界の五大溶岩湖のうち、既に4つを制覇、人類史上わずか5人の偉業を達成しているという。趣味の域をはるかに超えた異様な情熱だ。

滝沢と組む「カリスマ」とは

これは日蓮が比叡山で修行を積み、晩年には身延山に入山したことを想起させる。いわば山岳修験者の魂を、滝沢に見るのだ。

二・二六事件の青年将校たちを支えたのは、異能の思想家・北一輝だった。北もまた過激な日蓮主義者だ。『日本改造法案大綱』は発禁となったクーデター煽動書である。

「私が興味を持つ昭和史の諸現象の背後にはいつも奇聳な峰のように北一輝の支那服を着た痩躯が佇んでいた」(三島由紀夫)

いかがわしくも危うく妖しいカリスマだ。

さて、滝沢青年将校にとっての北一輝とは誰だろう? ずばり言おう。ごぼうの党の奥野卓志党首ではないか! 実業家であり、政治活動家、格闘家としてリングに上がったこともある。

奥野は、ごぼうの党の公式X(旧ツイッター)で「滝沢秀明さんと言う古い友人が居ます。もうかれこれ15年くらいの仲です」と告白した。さらには「タッキーの代名詞とも言える火山の冒険も実は二人で始めた冒険です」という。

山で危難を共にした滝沢を「年下なのに先輩」と奥野は称える。さながら青年将校たちを称える北一輝のように。

石原完爾を日蓮主義に導いたのは、国柱会の田中智学だった。同じく智学に傾倒した井上日召は「一人一殺」の血盟団を組織し、青年たちによるテロリズムを決行した。さらには国柱会の会員には宮沢賢治がいて、「雨ニモマケズ」の詩篇の最終行に「南無妙法蓮華経」と記している。

滝沢秀明の異様な情熱と強固なストイシズム、冒険に挑む果敢な行動力は、彼らに連なるものだ。ジャニーイズムの「ユー、やっちゃいなよ!」と、日蓮主義の「南無妙法蓮華経」が、彼の脳内でこだましているように聞こえる。

『立正安国論』で世直し=世界変革を志向した日蓮のその末裔たち。そう、二・二六事件や満州事変の青年将校、北一輝、国柱会の田中智学、血盟団事件の若きテロリスト群像、『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治、そうして『人間革命』の池田大作から、TOBEの滝沢秀明へ。

〈僕はやはりもう一度、エンターテインメントの人生を歩もうと決意いたしました。(略)夢は見るものではない。夢はかなえていくものだ。(略)この新しい時代を一緒に作りましょう〉(滝沢秀明によるTOBE設立声明)

日蓮上人のめざした世界変革の夢を、今、アイドルの次元でタッキーが実現しようとしている!

取材・文:中森明夫