『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン シーズン2』©2024 Home Box Office, Inc. All rights reserved.

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 6月17日より、U-NEXTでアメリカの放送開始時間と同時に配信が開始したHBOオリジナルドラマシリーズ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン2。舞台は人気シリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』で描かれた世界の約200年前、原作者ジョージ・R・R・マーティンによる“歴史書”『炎と血』を基に、絶大な権力を誇るドラゴン使いのターガリエン家の覇権争いの歴史が描かれる。シーズン2では、七王国の先代王ヴィセーリス(パディ・コンシダイン)の後継を巡り、ターガリエン家は王女レイニラ(エマ・ダーシー)率いる“黒装派”と、王妃アリセント(オリヴィア・クック)率いる“翠装派”にそれぞれ分かれ、血で血を洗う激しい内戦が勃発する。

参考:『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S2は母性が主題 オリヴィア・クック×フィア・サバンが語る

 リアルサウンド映画部では、キャストとショーランナーのライアン・コンダルに取材を敢行。3週に渡りインタビューをお届けする。第2回は、デイモン・ターガリエン役のマット・スミスと、クリストン・コール役のファビアン・フランケル。シーズン2の見どころを、それぞれ「悲しみ、贖罪、そしてドラゴン」(マット・スミス)、「二人の若い女性が、とてつもなく権威主義的で権力がものをいう世界で自分の居場所を見つける物語」(ファビアン・フランケル)としている。

――視聴者はシーズン2にどんなことを期待できそうでしょうか?

ファビアン・フランケル(以下、フランケル):何を期待できるか……? あのう、残念なことに、本当に同じことの繰り返しなんですよ。いや、全然残念なことじゃないんだけどね(笑)。つまり、この人たちは相変わらずで、(シーズン2に移り)ものすごく変化したとは言い難いです。シーズン1のラストからまだ5日しか経っていません。世界は常に変化し、脅威は常に変化し、利害関係も常に変化しているのだけど。『ゲーム・オブ・スローンズ』でもそうだったように、エピソードが進むごとに何かがコインをひっくり返し、今度は翠装派から黒装派に針の向きが変わるようです。シーズン2のエピソード1は、黒装派が最重要人物を失ったシーズン1のエピソード10以降、翠装派の怒りが頂点に達し、彼らの苦悩を描いているように感じました。だから、変化が直接的に起きているというよりも、自分たちの中に変化が現れているのでしょう。

マット・スミス(以下、スミス):私もそう思います。デイモン・ターガリエン(マット・スミス)は、彼の行動によって、自分自身を転落させるような状況に追い込まれています。彼を蝕むものーー兄(ヴィセーリス王)の喪失、妻との誤解、そしてあらゆる意味で社会から追放されてしまったことに、自身で向かい合わなくてはならなくなりました。自己反省の暗黒期に入ったのです。

――あなた方のキャラクターについて、今シーズンで新たに発見した点はありますか?

フランケル:そうですね、クリストン・コールはより大きな力を与えられました。彼が大きな力を得たことで、行動範囲が広がったと思う。誰でも力を与えられたら、ある程度は変わるものでしょう。だから私にとっては、より大きな権力を持つことで、それが彼にどのような影響を与え、その権力にどう対処するのかを見ることが今シーズンだと思います。

スミス:兄の死、そして彼の不在が起因する悲しみはデイモンに大きな影響を与えました。彼はそういった大きな感情をうまく扱える人間ではないと思うし、そのせいで少し制御不能になっています。

フランケル:デイモンはクリストン・コールのように感情をコントロールできない人物には映らないかもしれませんが……。

スミス:どうかな……。まあ、彼が悲しみをコントロールできているかどうかはわかりません。特に兄の死は、彼をかなりダークな内省期に追い込んだと思いました。そして彼は、とてもミステリアスな、とても深く暗い底に向かって歩いているのではないかと思います。

フランケル:『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のような構成だと、画面に映っているものが全てだと思うかもしれません。でも、観客として映像で観ているものだけでなく、ここには登場人物の人生そのものが存在しているとも考えられます。だから、マットが言っているのは、観客がワンシーンの中で見ているもの、つまり悲しみについての対処法は、必ずしもその人の内部で起こっていることが映されているわけではない、ということです。 例えば、人は家族を失っても仕事に行かなくてはなりません。彼らが仕事を終えて帰宅した時、押し潰されそうな感情と対峙しているとは、職場の仲間からは想像もつかないでしょう。だから、マットが言っていることに共鳴します。観客の視点でクリステン・コールを見ると、彼は悲しみをコントロールできる男ではありません。しかし、それはあなたが観た彼の姿です。観客には観る機会がないだけで、このことが2人に与える影響は、悲しいことに他にもたくさんあると思います。

――まだ観客が観ていないデイモンの姿はあると思いますか?

スミス:ええ、もちろん、すべてのキャラクターに私たちがまだ知らない部分がたくさんあるでしょう。でも最終的には、どんな長編のテレビシリーズでも、人は思ったほど変わらないものだとも思います。それぞれが置かれた状況によって、さまざまな行動を取らざるを得なくなったとしても、結局のところ、その人間の本質は常に一定の範囲内に帰結すると思うからです。

――このシリーズは、ジョージ・R・R・マーティンが書いた歴史書の『炎と血』を原作としていますが、そこには史実は書かれていても、キャラクターアーク(登場人物の成長)については書かれていません。原作からどのようなものを受け取り、キャラクターの肉付けを行っていったのでしょうか。

フランケル:私もマットも原作を読みました。最初にこの本を手に入れたとき、まず『炎と血』のセクションを読みました。おっしゃるようにこれは歴史書であり、俳優である私たちのために書かれている部分は全くありません。ただ史実に基づき、この年にこんなことがありました、こんなことが起こりますよ、ということが書かれているだけです。そういう意味では、まったく役に立たないですね(笑)。また、ご存知のように、ライアン(・コンダル/ショーランナー)は原作本に忠実であろうとすると思いますが、これはテレビシリーズです。今までも原作から変わっていますし、これからも変えていくでしょう。『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』で起きた多くのことは、原作では起きていません。逆に、原作に書かれている多くのことが、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』では描かれていません。クリストン・コールは、原作で描かれている人物像とドラマシリーズで描かれているキャラクターアークがまったく違います。原作に書かれていることの3分の1は、最初の2シーズンで彼に起こったことだと思います。だから、私にとって原作は何の影響を与えるものでもありませんでした。

スミス:ファビアンが言うように、結局のところ、テレビシリーズの脚本は、構成や伝え方を、テレビ番組のフォーマットに合わせなければならないものです。でも、小説と同じように、『炎と血』は情報源としてその人物の本質を描き出す手助けをし、私たちはできるだけ多くの調査資料を用いて文章で描かれたキャラクターに肉付けしていくものです。

――『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』において、デイモンはインターネット上で最も人気の高いキャラクターでもあります。

スミス:私はデイモンが好きだし、たとえデイモンが嫌われていたとしても気にしませんよ。連続殺人鬼のパトリック・ベイトマン(注:『アメリカン・サイコ』の主人公。マット・スミスはミュージカル版で演じている)を演じたことがあるけど、彼のことだって好きでした。だってそうでしょう。デイモンは私に似ているところがあるし、彼を批判するためにここにいるわけではありません。デイモンにはデイモンの要素があると思うし、彼を理解し、彼の頭の中に入り込むことが私の仕事です。デイモンがインターネット上で支持を集めているかなんて、ある意味関係ありません。彼は本当に素晴らしく造形されたキャラクターで、演じていて本当におもしろい人物だと思うだけです。

――マット・スミスさんは、Varietyのインタビュー(※)で、シリーズから降板したショーランナーの一人、ミゲル・サポチニクの不在を感じるとおっしゃっていました。どのようなところにそれを感じるのでしょうか?

スミス:例えば、シーズン2にはパディ(・コンシダイン/ヴィセーリス王)がいません。彼の不在を常に感じています。クリエイティブな活動を共にしたり、一緒に努力したりと、親密に仕事をした人がいなくなると、その人たちの存在が恋しくなるものです。このシリーズが素晴らしい作り手に委ねられていて、最終的にどこに向かっているのかもわかっています。そして、(演じる)私たちも、それを提供する方法がわかっています。だから、私たちは正しい道を進んでいると言えるでしょう。でも、パディが恋しいし、キャラクターを共に作り上げるような共同作業をしてきた仲間の存在を恋しく思います。このシリーズの性質上、人は死に、人はそれを乗り越えていく。だから私たちは、彼らの健闘を祈るとともに、それぞれの道を歩み続けるのです。

参照※ https://variety.com/2024/tv/news/matt-smith-house-of-the-dragon-season-2-weaker-daemon-1236017805/

(取材・文=平井伊都子)