また、遅刻などの兆候が見えた段階で、親が最寄り駅まで一緒に行ってあげたり、送迎してあげるだけで良い方へ向かうケースもありましたから、親の寄り添う力は本当に重要だと感じています。

過去に見てきた生徒には、受験勉強のストレスから不登校になり、そこから引きこもり生活が大学生になるまで続いた子もいました。こうなると、例え学力を個別で身につけられたとしても、朝起きられないので社会人になるのが難しくなります。お子さんからSOSのサインを感じたら、早期に心と向き合うことを親御さんは意識していただけたらと思います」

 不登校についてはいろいろな考え方があり、絶対的な正解はありません。ただ長谷川さんは「学力はいくらでも追いつける」と不安な親御さんに力説します。それよりも、体とメンタルが健全かどうかを何より意識してほしいのだそうです。

◆壊れてしまった自分を振り返る機会に

 子どものSOSの話は、背筋がゾクッとした人も多かったのではないでしょうか。筆者は長谷川さんの話しを聞きながら、自分の中学受験から入学後を振り返り「自分は壊れてしまったんだな」と、改めて感じる瞬間がありました。

 事例として、皆さんに1つ紹介させてください。

 私は親の意向により、4年生から中学受験塾に通い勉強を開始しました。しかし母親は、送迎や生活態度へのダメ出しといった親としての役割はこなすものの、塾も学校の勉強もノータッチ。テストの点数を聞かれたことは一度もありませんでした。父親は激務のため教育に関して普段は一切関与しないのに、受験校は勝手に決めるという、両親揃って無関心と過干渉のミックス型でした。

 行きたかった学校も親に反対され受験させてもらえず、勉強してもしなくても関心は向けられない。そんな状況は、最後まで受験の意味や必要性を見いだすことができず、習い事を全部やめたことへの不満や、自分の人生への諦めといった感覚へと繋がっていました。

 そうして小学校6年生になったある日、毎朝なぜか起きられなくなり、その日から連日遅刻をするようになりました。学校は好きなのになぜか毎日起きられない。でも登校拒否をすると親に怒られるという不安もあり、遅刻魔のままとりあえず卒業に至ります。これを長谷川さんの話しになぞらえると、ストレスで壊れかけていたのだと、30年近くたってようやく受け止めることができました。

 そんな私の受験結果はというと、親の希望通りの学校に入ったものの、校風と性格が一切合わず、学校とも親とも連日揉めまくり、2年で退学となりました。しかし話はそこで終わりません。公立校に戻っても周りと馴染めず、親との関係も修復できず、どこにも精神的な居場所がない状態は続きます。仕方なく保健室登校を続け、何とか卒業・進学をしましたが、学生生活はこうした苦労が続きました。

 私のケースは、学校選びや子どもとの向き合い方、進学先との相性など、複数の失敗要因があり、おそらくここまで選択を間違える親御さんはそういなとは思います。当事者として恥ずかしさもあり、親がすべて悪いと言うつもりはありません。ただ1つの事例として見たとき、親が本当に子どものためを思って選択した受験だったのであれば、こんな残念な結末はないでしょう。

 私自身親になり、過去を反面教師にする気持ちは日々強くあります。それと同時に、当事者になると冷静に見られなくなるという事実があることも知っています。これら要素を踏まえ、目の前の子どもの教育について、引き続き最善を考えていきたいなと思ったのでした。

【長谷川智也】
ブログ名はジュクコ。1980年兵庫県明石市出身。高卒の両親のもとに育つもハードな中学受験を経験。白陵中学校・高等学校を経て、東京大学卒業後、大手塾に勤務、人気講師となる。2009年に独立してフリーランスの「プロ家庭教師」に。年間300件を超えるコンサル申し込みが殺到する。甲冑メタルバンド「Allegiance Reign」のベーシストとしても本気で活動中。ブログ「お受験ブルーズ」を運営。近著に『中学受験 奇跡を引き出す合格法則 予約殺到の東大卒スーパー家庭教師が教える』(講談社)など。

<取材・文/おおしまりえ>

【おおしまりえ】
コラムニスト・恋愛ジャーナリスト・キャリアコンサルタント。「働き方と愛し方を知る者は豊かな人生を送ることができる」をモットーに、女性の働き方と幸せな恋愛を主なテーマに発信を行う。2024年からオンラインの恋愛コーチングサービスも展開中。X:@utena0518