コーヒーを1杯買うごとにスタンプを貯めて無料の1杯と引き換えるプログラムはよくありますが、店員がランダムにコーヒーをサービスするほうが、売上アップにつながります(写真:symmyy/PIXTA)

「どのシャンプーを買おうか」「どのサブスクリプションサービスに加入しようか」など、私たちは日々選択をしている。私たちはこれらの選択は自由意思のもとに行っていると思っているが、実は私たちには心理的な「癖」があり、商品やサービスにおけるちょっとした工夫が、消費者の購買行動を左右するのである。今回、人間のさまざまなバイアスと選択行動について、行動科学の知見をもとに掘り下げた『自分で選んでいるつもり:行動科学に学ぶ驚異の心理バイアス』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

なぜ習慣に頼るのか?


あなたのいつもの朝を思い浮かべてみてほしい。

家を出るまでのあいだにも、あなたはいくつもの意思決定をしている。何を着るか、何を食べるか、どのルートで職場に向かうか。そのほかにもあれこれと選択をする。

朝だけではない。生活のあらゆる場面が、決定しなければならない選択でいっぱいだ。ささいなことから重大なものまでさまざまだが、そのすべてを意識して決めてはいない。選択1つひとつを真剣に吟味していたら、それだけで一日が終わってしまう。

プリンストン大学の心理学者スーザン・フィスクの言葉を借りれば、人間は「認知的倹約家」なのだ。思考すると認知のエネルギーを消耗する。だから、そのエネルギーをなるべく使わずに済まそうとする。

ノーベル賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマンは、この現象をさらに絶妙に表現した。「人間にとって『考える』というのは、ネコにとっての『泳ぐ』。できなくはないが、なるべくしたくない」。

可能な限り頭をはたらかさずに済むように、買い物などの決断において、人は習慣に頼る――つまり、同じ状況では同じことをただ繰り返すのだ。

消費者の行動を習慣化させるための方策として、報酬や褒美の設定について考えてみよう。

行動を習慣化するためには、それで何かしら報酬が得られなくてはならない――心理的に報われる感覚でもいいし、身体的・物理的な褒美でもいいし、文字どおり金銭的な報酬でもいい。

習慣形成の方法としては、おそらくこれがもっとも幅広く応用しやすいのだが、残念ながらマーケティングキャンペーンで充分に活用されているとは言いがたい。実は、ただ報酬を出すのではなく、もっと効果的に出す方法がある。報酬を不確実にするのだ。

実験で明らかにした不確実な報酬の威力

不確実な報酬の威力を明らかにしたのは、『レビュー・オブ・ゼネラルサイコロジー』誌が「20世紀でもっとも影響力のある心理学者」と呼んだB・F・スキナーである。

彼は1930年に「スキナー箱」というシンプルな実験装置を発明した。何の変哲もない木製の箱で、中にレバーがついている。レバーを押すとエサが出てくる仕組みだ。

スキナーはこの箱を使って、ハトからラットまで、さまざまな動物の行動を観察した。

箱に入れられた実験動物たちは、最初のうちはレバーに関心を示さない。ところがしばらくして偶然レバーにぶつかり、エサが出てくるのを見て驚く。

ぶつかる、エサが出てくる、というパターンが何回か続くと、実験動物はレバーの役割を学習する。それからは箱に入れられたとたん一目散にレバーのもとへすっ飛んでいって、繰り返し押し始める。

スキナーはこの報酬システムを利用して、動物たちにさまざまな芸を憶えさせた。芸の内容はどんどん高度になった。どこまでさせられるか実証した驚異的なデモンストレーションでは、スキナーの教え子がウサギに1ドル硬貨を拾わせ、それを硬貨挿入口に入れさせている。硬貨を入れればエサが出てくるからだ。

スキナー自身は、もっとも強力なインセンティブを特定する研究にキャリアを捧げた。

その過程で、不確実な報酬のほうが確実な報酬よりも影響力が大きいことがわかった。決められた動作をすると毎回ご褒美のエサが出るのではなく、あるときは出るが別のときは出ない、という仕組みにしたほうが、動物たちはその動作をいっそう熱心に行うようになるのだ。

興味深い発見だが、これはラットやハトだけでなく人間にも当てはまることがわかっている。

人間でこの現象を証明したのは、シカゴ大学の心理学者沈璐希(シェン・ルーシー)による実験だ。

被験者87人を集めてタスクに挑戦させ、あらかじめ2ドルの報酬を約束した(確実な条件)。ただし一部の被験者には、1ドルの報酬か2ドルの報酬、どちらかが50%の確率で出ると説明した(不確実な条件)。

すると、報酬が確実だったグループでタスクを達成したのは43%だったのに対し、不確実だったグループでは被験者の70%が達成できていた。

不確実な報酬で売上がアップ

不確実な条件のほうが期待効用〔訳注 得られると予想される満足度〕は低かったにもかかわらず、こちらのほうがモチベーションをかきたてる力は強かった。「どっちが出るだろう」と思うワクワク感が、金額とは別の価値をもたらしていたというわけだ。

消費者になんらかの行動を促したいときも、不確実性を活用するといい。会員特典プログラムがあるなら、全員に毎回必ず同じ特典を出すのではなく、ランダム性を混ぜるのだ。

イギリスのコーヒーチェーン、プレタ・マンジェ(通称「プレット」)は、このアプローチで売上アップに成功した。コーヒーを1杯買うごとにスタンプを貯めて無料の1杯と引き換えるプログラムはよくあるが、プレットでは、店員がランダムにコーヒーをサービスする。

この作戦のほうが、購入回数に応じたアプローチよりも、客は大きな喜びを感じる。

ジャーナリストのハリー・ウォロップが、『タイムズ』紙のコラムで、プレットで無料サービスを受けたときの気持ちをこんなふうに書いていた。

これはおそらくイギリス最強のロイヤルティプログラムだろう。客としては、まるで宝くじに当たったような気持ちだ。私もヒーローのような気分でオフィスに戻り、同僚たちからはすばらしい幸運の持ち主だと絶賛を浴びた。いやぁ、本当にプレットは最高だ。

ロンドンで展開しているレストランチェーン、ディシュームの例はもっとすごい。インドのムンバイでは、かつてゾロアスター教徒が経営するイラン風カフェ(イラニカフェと呼ばれる)が流行っていた時期があるのだが、それをロンドンで再現したのがディシュームだ。

客は食事が終わってからブロンズ製のサイコロを投げる。マトカと呼ばれるサイコロで6が出たら、その日の食事は無料だ。数学的には16.7%の割引ということになるが、気持ちの上では、それよりもずっと大きな得をした気持ちになる。

(翻訳:上原裕美子)

(リチャード・ショットン : イギリス広告代理店協会(IPA)名誉会員、ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジ・モラー研究所アソシエイト)