“1か月半の昏睡”と8か月の入院で「三途の川を見た」。コロナ重症化でエクモに繋がれ生死の境をさまよった43歳男性が告白
![入院から奇跡的に回復する前のひとみさん](https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/1/6/16f31_963_b4efdf7f_b7c89914-m.jpg)
◆熱が出て呼吸が苦しくなった
一時は、対外式模型人工肺(ECMO)に繋がれ、生死の境目を彷徨った。ひとみさんは「もともと糖尿病と喘息の持病があって、コロナに罹患したら重症化の可能性が高いと言われていたのですが……」と語る。
入院中はなんとかコロナと闘っていたが、熱は下がることなく意識を失ってしまった。そこからもっと大きい病院へ転院となり、そこで人工呼吸器とうつ伏せで呼吸をしやすくする「腹臥位療法」という治療法を開始した。
◆「今思うと、あれが三途の川だった」
しかし、肺に穴が空いてしまい、さらに大きい病院へ転院。ECMOに繋がれることになった。
「1か月半も意識不明でした。でも不思議なことに僕の中では意識はあり、普通に生活してるんですよね。夢みたいな仮想現実みたいな。例えが難しいですが、日常生活は送れてる感じです。覚えてるのは、目黒川が流れていて、対岸に死んだ母方のおじいちゃんがいるんですよ。会って話したいなと思うけど、橋がかかってなくて渡れない。なので、歩いて渡ろうとするのですが、何回も流されて失敗するんですよね。3回目の失敗で急に目が覚めました。今思うと、あれが三途の川だったのではないかと」
目が覚めて体を見ると管がたくさん出ていて、手はベッドに固定されていて、声も出せず。体重は20キロほど減っていたという。
◆目が覚めても新たな苦悩が
「昏睡状態から起きたら右側に嫁がいて、左側に親父がいました。最初、なぜこうなってるのか理解ができませんでした。自分という存在の認識もなかなかできず混乱状態でした。少ししたらパニックも治ってきて、そういえば、俺はコロナに罹って入院してたんだと。まさか1か月半も意識を失ってたとは思いませんでした」
意識を失っている間、周囲や家族はひとみさんが助からないものだと思い、葬式の準備なども進めていたようだ。妻の友達は半分冗談だが、新しいパートナーの斡旋なども進めていたという。意識を取り戻したことにより、全て白紙に戻ったが、ひとみさんには新たな苦悩が襲いかかった。
「真っ白い部屋で動けず、スマホもなく、栄養は点滴で摂取、聴こえるのは医療機器の電子音のみ。時間や季節も何もわからず、1人でただ天井を見るだけの日々。本当に退院できるのか、社会復帰できるのかなど考えていたら、虚無感や絶望感に襲われました。俺はコロナで死んでたほうが良かったのではないかと思うくらいまで、精神を病んでしまいました。何度も看護師に俺を殺してくれと懇願したのをよく覚えています」
◆「ひとみちゃんの肩にハンサムなおじいさんがいるよ」
なんとか、病院食が食べられるようになるくらいまで回復したところで、地獄のリハビリが始まった。
「手術による後遺症で、身体中が痛く、筋肉が完全に衰えてしまってました。歩く練習や簡単な筋トレなどをやらされたのですが、松葉杖がないと全く歩けないんです。転倒したり、手術の痛みや運動のキツさに耐えられずに何度もリハビリを中断してもらいました」
ひとみさんは日本でも5本の指に入るほどの重症患者で、日本では珍しい症例だったらしく、当初は治療法が確立されてなかった。なので、外国の論文などを参考に治療をし、ようやく翌年4月に長い入院生活も無事終了した。コロナに罹患してから、のべ9か月半の入院だったがいま現在もリハビリは続いている。