投げるボールだけを見れば、間違いなくプロの器だった。身長172センチ、体重72キロと上背はなくとも、打者に向かって動きながらホップする球筋、うなりをあげるような迫力は全盛期の河本育之(元・ロッテほか)と重なる。


最速151キロを誇る仙台大の渡邉一生 photo by Kikuchi Takahiro

【高校2年秋に日大藤沢を中退】

 マウンドで躍動する左投手の名は、渡邉一生(わたなべ・いっせい)という。仙台大の3年生で、今春からエース格としてリーグ戦1回戦の先発を任されている。5月3日、宮城教育大戦で先発した渡邉は3回を投げ、被安打0、奪三振6、与四球1、失点0と圧巻の内容で5回コールド勝ち(12対0)に貢献。最高球速は151キロだった。

 渡邉は当然、来年のドラフト候補に挙がるはずだ。それでも、その資質を慎重に見極めたい事情がある。渡邉は神奈川の強豪校・日大藤沢を中退しており、硬式クラブチームのBBCスカイホークス(現・GXAスカイホークス)を経て、仙台大に進学している。いくら実力があっても、プロの環境で戦える内面を持ち合わせているのか。その点を注視しているスカウトも多いはずだ。

 試合後、仙台大の坪井俊樹コーチに尋ねてみた。坪井コーチはロッテで左投手としてプレーした元プロ野球選手であり、大関友久(ソフトバンク)や宇田川優希(オリックス)らを指導してきた名コーチでもある。坪井コーチは爽やかな笑顔をたたえて、渡邉についてこう語った。

「まったく問題なく過ごしていますし、大学生活が充実しているんじゃないですか。ぜひ本人に聞いてみてやってください」

 試合後のミーティングを終えた渡邉に声をかけ、試合について振り返ってもらった。渡邉は人懐っこい笑顔で、取材に応じてくれた。

「今日は立ち上がりに151キロが出て、『いいボールがいってるな』と思ってから力む悪いクセが出ました。自分は胸郭から抑え込む感じでリリースするんですけど、力むとリリースが合わなくて高めに抜けるクセがあるんです」

 自分の投球について語る渡邉は社交的で、愛嬌があった。明るいキャラクターと「強豪校中退」のキャリアが結びつかない。

 生き物のように動くストレートについて尋ねると、渡邉の口調は一段と熱を帯びた。

「自分のストレートはシュートしながら伸びていくので、そこは強みだと感じています。どんなバッターでも高めで空振りをとれるし、あの球があるから低めのチェンジアップが有効になります」

 大学3年目を迎えるが、ここまでの大学生活は順調だったのか。そう聞くと、渡邉は質問の意図を察したのだろう。少し口元を引き締めて、こう答えた。

「ひと言で言えば、すごくいい場所です。いい仲間に恵まれて、支えられて今があります。最初は不安も少しありましたけど、みんな同じ高みを目指している選手たちなので。いい環境でいろんな人に出会えて、自分自身変われていると感じます」

 渡邉の「変われている」という言葉に、過去に対する自責の念を感じずにはいられなかった。渡邉はかつての自分の問題点について、こう振り返る。

「自分さえ結果を残せば、それでいい。そう思っているところがありました。そこはよくないところだったなと」

 日大藤沢を中退したことについても、「自分に問題があった」と渡邉は反省を口にする。いっときの感情に身を任せ、周囲を振り回してしまう。渡邉は高校2年秋に日大藤沢を中退している。

【転機となったスカイホークスへの入団】

 そんな渡邉が「変わるきっかけになった」と語るのは、スカイホークスへの入団だった。スカイホークスとは、神奈川県大和市を本拠地とする硬式クラブチーム。高校生・大学生の年代の選手を募集しており、渡邉のように高校野球で挫折した者も集まってくる。渡邉はスカイホークスの副島孔太監督(元ヤクルトほか)や鈴木大樹コーチらの指導を受けたことが大きかったと振り返る。

「副島さん、鈴木さんには怒られてばかりだったんですけど、それが逆によかったです」

 後日、副島監督にも渡邉について聞いてみた。副島監督の目にも、渡邉の言動は自分本位に映った。

「一瞬の感情に左右されて、周りが見えなくなるところがありました。味方のエラーや審判の判定、相手のヤジ、ちょっとしたことにいちいち噛みついてしまうところがありました。そういうところを直さないと......という話をよくしていました」

 スカイホークス在籍時には、ほとんどのプロ球団が渡邉の視察に訪れている。それでも、ドラフト会議での指名はなかった。多くのスカウトは「実力的には面白い」と能力を認めてくれたが、やはり渡邉の内面がネックになったようだ。副島監督はあらためて、「人間的な成長がなければ、プロには行けないよ」と渡邉に伝えている。

 仙台大に進学後、副島監督は渡邉と会うたびに成長を感じるという。

「一生は時間を見つけてはグラウンドに顔を出してくれるんですが、後輩に技術面やトレーニングのアドバイスをする姿も見られて、会話をしていても『変わってきたな』と感じます。仙台大さんで責任感が芽生えたようで、いい大学に入れましたよね」

 渡邉はあらためて仲間への感謝を口にする。

「同期の平川(蓮)をはじめ、多くの人によくしてもらって、時には厳しいことも言ってもらっています。投手陣の2年先輩だった川和田さん(悠太/現・三菱重工East)の背中を見て、人間として成長できたと感じます。いろんな仲間と出会えて、今は『コイツらと勝ちたい』という思いが強くなりました。『自分がよければいい』ではなく、『まずはチームが勝つこと』にシフトチェンジしてから、ピッチングが悪くても仲間が助けてくれることも増えてきた気がします」

 いくら渡邉自身が「変わった」と実感していても、一度貼られたレッテルを覆すのは並大抵のことではない。その苦労は覚悟している。渡邉は「今は下剋上している途中です」と語り、こう続けた。

「プロ野球選手がクビになってもトライアウトがあるのと同じで、一度失敗してもやり直せると思います。信じて頑張り続けていれば、道は拓けるのかなと」

 渡邉にはプロ野球選手になって、やりたいことがある。まずは自分が成功例となって、スカイホークスの門を叩く選手を増やすこと。そしてもうひとつ。いつか日大藤沢のグラウンドへ挨拶に行きたいと考えている。

「今は弟がお世話になって頑張っていますし、両親づてに指導者の方から『頑張れ』と言っていただいています。いつかプロになって、もう一度顔を出せたら......と考えています」

 人間はやり直せる。渡邉一生は人生をかけて、そのことを証明しようとしている。