どんなに見た目をきれいに着飾っていても、品格がなければ台無しとなってしまいます(写真:sasaki106/PIXTA)

人によい印象を与えられると人生は180度変わります。どんなによい見た目でも品格がなければ、その人の残念な部分が際立ってしまうでしょう。

では、どうしたら品格を身につけられるのでしょうか。名門女子校、ノートルダム清心中・高等学校校長の神垣しおりさんに、今からでも遅くない、品格の身につけ方をその定義とともにご紹介いただきました(神垣さんの著書『逃げられる人になりなさい』を一部抜粋し、お届けします)。

相手を思いやることが「品格」

皆さんは品格とは、なんだと思われますか。立ち居振る舞い、言葉遣いがきれいである。育ちがよい人がもっているもの。いろいろなお考えがあるかと思います。

私は、筋の一本通った生き方から醸し出される雰囲気。その人の人生の奥深いところからにじみ出る優雅さや風格。

そのようなものを品格ととらえています。

もう少し詳しく申し上げるとしたら、相手を思い、大切にする気持ち。内側からにじみ出る気品や美意識。凛として落ち着いた物腰やお互いを気持ちよくさせる所作。そして、優しく自分と他者をつなぐことのできるコミュニケーション力。

そんな特徴が浮かんできます。

どれも、一朝一夕で身につけられるものではありません。ですが、すぐにはかなわないまでも、品格ある生き方をひとつの目標として生きていけたらと考えています。

私がその指針としているのが、「心を清くし 愛の人であれ」という言葉です。これはノートルダム清心学園の校訓で、中高生時代からくり返し触れてきました。

考えてみると、「心を清く」することも、「愛の人」であることも、実際にはなかなかむずかしいことです。またその意味も奥深く、学生の頃からずっと自分に問い続けています。

学校では、「心を清くし」とは、物事の本質を見極めること。無垢の白さを求めるのではなく、深みのある色を求めることだと教えられました。

まっさらでなにも知らない状態だけが「清い」のではなく、物事を深く見て極めていけば、そこに清らかな本質が見えてくるのだと説かれました。

一見ダークグレーのように見える混沌とした状況であっても、美しく澄み切った深いブルーに変えられる。そう信じて、自分なりの志を持って進んでいく。

この言葉は、そのような生き方を示しているのではと考えます。これも、一生をかけて取り組んでいくことです。

あなた自身は、どんな生き方をしたいでしょうか。

こうありたいという生き方を、いつも自分に問い続ける。そのような問いかけが、品格のある生き方へとつながる道なのかもしれません。

「隣人を愛する」の本当の意味

では、「心を清くし 愛の人であれ」の「愛の人であれ」とは、どういうことでしょう。

愛には、自己愛や家族愛、異性への愛や人間愛、動物・植物への愛など、さまざまなものがあります。カトリックの教えでは、愛とはアガペ(無償の愛)であるとされています。しかし、いざ実践となると、これもまたむずかしい場面ばかりです。

思いやりや優しさをもって、本当の愛とはなにかを考えながら行動する。

「愛の人」でいられるように祈る。そして、「愛の人とは?」と自分自身に問いながら行動し続ける。

それが、日々できることではないかと考えています。

ただし、「こうあらねば」と一心に思い詰めると、誰でも疲れてしまいます。そうすると自分にも人にも厳しくなってしまい、さらに疲弊するものです。

だから、できるところからでいいのです。ときには自分をゆるませながら、ユーモアや遊び心をもって、ちょうどよいバランスで進んでいくことの大切さを感じています。

自分に常に問い続けること

ここ数年、愛読している作家若松英輔さんの『生きる哲学』(文藝春秋)の中に、ハッとさせられる言葉がありました。

「人間には誰しもが担わなくてはならない人生の問いがあり、それは他人に背負ってもらうことはできない」という一文です。

簡単に結果が得られるものではないからこそ、大切な指針として、自分自身に問い続けることが求められるのでしょう。そして、品格のある人とは、常に自分自身の生き方を自分に問い続けている人なのでしょう。

その核となるのが、「愛の人」であることの意味を問い続けることだと、今理解しています。

聖書では、「あなたの隣人を愛しなさい」と、くり返し説かれています。ただし、そこには見落としてはならない視点があります。本来この言葉は、「隣人を自分と同じように愛しなさい」と書かれているのです。

つまり、自分を放り出してまで人に尽くすのではなく、自分自身を愛で満たすことが重要だということです。

20代の頃は、自分を愛するといわれても、今ひとつピンと来ませんでした。自分を愛する余裕などなかったというのが正直なところです。

しかし、カウンセリングを学んだり、さまざまな出会いを重ねたりするなかで、少しずつ変化が起きました。自分にいつもバリアを張り、「こう見られたい」とこだわるのは、自分をないがしろにしているのではないかと気づいたのです。

自分の心の声に耳を傾け、ときにはいたわり、その時々の気持ちを受け止める。そうやって、自分自身をいつくしむことが、ひいては、他者への優しいまなざしにつながっていきます。

これまでの道のりは、少しずつ自分を取り戻し、他者へのまなざしを育んでいくプロセスだったように思います。

自分や他者を愛するために、自分自身をないがしろにしてはいけない。そして、そのためには毎日の暮らしが基本となる。

少なくとも、今このことは腑に落ちています。

品格のある女性というと、有名無名を問わず、何人ものお顔がすぐに思い浮かびます。

親しくおつきあいさせていただいている方もいれば、一度の出会いで強烈な印象を残した方、本や映画、音楽などをとおしてその人生や作品に触れて憧れている方もいます。そんな女性たちの生き方は、前に進む勇気を与えてくれます。

そのなかでも、実際にお会いしてそのあり方に感銘を受けたのが、ニュースキャスターの国谷裕子さんです。

国谷さんは23年間にわたって、NHK「クローズアップ現代」のメインキャスターとして活躍されたので、ご存知の方は多いでしょう。

真摯に向き合う姿に感銘

わが校の創立70周年記念日に、国谷さんをお招きしたときのことです。

当日は、前半がSDGsをテーマにした生徒たちとの討論会。後半が国谷さんの講演というプログラムでした。テレビで拝見するのと同じ聡明さはさすがでしたが、感動したのは、何十歳も違う生徒たちと真摯に向き合う姿です。

登壇した生徒たちの発言をしっかり受け止め、同意できないところがあれば、「私はこう考えます」「それは考え直す余地があるのではないでしょうか」と率直に指摘する。

「まだ高校生だから」と手加減したり迎合したりせず、鋭い指摘も含めて、直球で相手と向き合う姿勢が清々しく、これこそ、品格あるあり方だと思いました。


また、ていねいに対応してくださる言葉遣いの1つひとつにも気品を感じました。

一方、普段テレビでみている著名人に対しても臆することなく、堂々と自分の考えを述べる生徒たちにも頼もしさを感じ、うれしく思ったものです。

以前、「礼儀正しいことは親切なことです」という言葉を、先輩から教えていただきました。

どんなに社会や技術が進化しても、人として礼節を尽くし、相手を大切に思って接する。その姿勢が、親切であることにつながり、結果的に、お互いが助けあい励ましあう幸せな関係につながる。そういった意味だととらえています。

年齢や肩書、性別にとらわれず、節度をもって、どんな相手にもフラットに、そして率直に接する。そのような品格ある振る舞いを目指したいものです。

(神垣 しおり : ノートルダム清心中・高等学校校長 NGOサラーム(パレスチナの女性を支援する会)代表)