悪魔と契約したという風聞を裏付けるような、彼とベッドを共にした女性たちの証言とは。伝説のブルーズマン、ロバート・ジョンソン

稀代のミュージシャンたちが「27歳で死ぬ」というジンクスの最初の犠牲者と言われているロバート・ジョンソン。その天才的なギターの腕前ゆえに、「悪魔に魂を売って手に入れた」という逸話が残されるほど伝説的な彼のことを紹介しよう。

「宝の持ち腐れだろう?」
伝説的ミュージシャン、ロバート・ジョンソン誕生前夜

1936年11月23日、テキサス州サンアントニオ。

若きギタリストは古いホテルの廊下を歩き、ドアをノックする。

白人の録音エンジニアが彼を招き入れる。

「録音の経験は?」と訊かれると、首を横に振るギタリスト。

彼はエンジニアに背を向けて椅子に腰掛けると、ウィスキーを一飲みして、スライドバーを指にはめる。

“二人が同時に弾いている”ようなその演奏に、エンジニアは思わず顔を上げた。

──遡ること数年前。デルタ・ブルーズマンのサン・ハウスが、ウィリー・ブラウンらと組んでジューク・ジョイントを回っていた1930年代初頭のある土曜の夜のこと。

一人の少年が何度も自分を見に来ていることに気づく。少年はギターを弾きたがっていて、両親が寝静まった後、窓からこっそり抜け出して3人の演奏を聴きに来ていた。

休憩の時間になると、俺たちはギターを置いて外に出る。夏の間は無茶苦茶な暑さだから、身体を冷やしてたわけだ。で、俺たちのいない隙に、あいつはギターを持ってジャカジャカやりだすのさ。やたらうるさいだけだったから、それを聴かされる客はたまらない。「あんたでもウィリーでもいいから、あのガキをやめさせてくれないか。みんな頭が変になりそうだ」って。あんなの、犬だって聞いてられないぜ。俺は言ってやったんだ。

「もうやめるんだ、ロバート。お前にはギターは弾けないよ」

それから少年の姿を誰も見なくなった。しかし、それから2年経った夜。サン・ハウスらがいつものようにプレイしていると、ギターを背負ったロバートが突然入ってきた。人混みをかき分けながら、彼らの前に立った。

「お前、まだギターを持ってるのか。宝の持ち腐れだろう?」

「今はあんたらの休憩時間かい?」

「お前、何がしたいんだ? またみんなを死ぬほどウンザリさせたいのか?」

「いや、ちょっと弾かせてほしい。席を代わってくれ」

「いいだろう。口だけじゃないことを祈るぜ」

数分後、サン・ハウスたちは驚きのあまり言葉を失った。遂に“ロバート・ジョンソン”が本領を発揮し始めたのだ。

「あいつは俺たちの誰よりも、ブルーズをたっぷりプレイできるようになっていた」

悪魔の力? ビング・クロスビーからジミー・ロジャースまで何でも弾けた

ロバートはなぜここまでブルーズの技量を上達させることができたのか。それは「クロスロードで悪魔に魂を売って名声を得る契約を結んだからだ」というあまりにも有名な伝説がある。

ことの発端は、ロバートよりも10年ほど前に有名になっていたトミー・ジョンソン(ロバートと血縁関係はなし)。トミーの弟・リデルは、ろくにギターも弾けなかったのに、帰ってきたら熟練したミュージシャンになっていた兄を不思議に思った。理由を尋ねると、

「自分のやりたい楽器の弾き方や、自分で曲を作るやり方を覚えたかったら、ギターを持って道が交わってるところへ行くんだ。クロスロードにな。忘れるなよ。そこに行くのは夜の零時ちょっと前だ。間違いなくそこにいるようにしろ。持ってきたギターを一人でひとくさり弾いてみる。すると黒い大男が起き上がってお前のギターを取り、チューニングを始めるだろう。そいつは弾き終えると、ギターをお前に返す。俺はそうやって何だって好きに弾けるようになったのさ」

サン・ハウスは「ロバートもきっと同じことをしたのだ」と思った。

こうしてロバート・ジョンソンのプロのミュージシャンとしてのキャリアが始まった。デルタ一帯からシカゴやニューヨークへ。バスや列車、ヒッチハイク、時には貨物列車に飛び乗りながら、ロバートはたくさんのミュージシャンと知り合い、その名を上げていった。

そして1936年11月23日。テキサス州サンアントニオにて、最初の録音を行った(8曲)。同月26日に1曲、27日には7曲。さらに翌年6月19日~20日の13曲の録音と合わせて、すべてが歴史的な伝説となった(これらは『King of the Delta Blues Singers』シリーズや『The Complete Recordings』などで聴ける)。

『King of the Delta Blues Singers』(COLUMBIA)のジャケ写。彼の残した音源は1936年から1937年の間に行われた録音のみしかない。その曲たちがその後のロック・アーティストに決定的な影響を与えた

ロバートはビング・クロスビーからジミー・ロジャースまで、何でも弾けたという。

一方でクロスロード伝説には、一度も聞かされたことがないと否定。少年といっても19か20歳。確かに2年間もあれば、ギターのテクニックを磨くには十分な期間だろう。

「当時の人々は魔術だとかああいうことばかり考えていた」

西アフリカに広く流布する、この世とあの世の十字路の番人、パパ・レグバの神話。神秘主義、黒魔術、ジュジュといった信仰の一部は、新世界のアフリカ系アメリカ人にもしっかりと根付いていたに違いない。

『Robert Johnson - Robert Johnson's Cross Road Blues (Official Video)』。RobertJohnsonVEVOより

死の際には「毒を盛られて、四つん這いになって犬みたいに吠えた」

メディア上で最初にロバート・ジョンソンと悪魔を結びつけたのは、ジャズ評論家ルディ・ブレッシュによる1946年の散文だった。

ロバートの代表曲『Hellhound on My Trail』に関する誇張された曲解釈は、その後の研究家たちに恐るべき影響を及ぼすことになった。

「ハーアアアム」と悲しげにぼんやりとその声は歌い、不吉な下向きの流れに乗って、うめき声のように静まっていく……放浪者が発する声。そのこだま。ギターの弦の隙間をあざ笑って抜けていく風。どこからともなく聞こえて来るゆっくりとした追跡者の足音。そういったイメージには邪悪が満ちている……星明かりはなく、身を切る風が吹きすさび、冷たい雨に洗われる暗い荒地。丘の頂をただ一人、みすぼらしい服を着て、悪魔に取り憑かれた人影が、ギターを抱えながら、とぼとぼと歩いていく。

『Hellhound on My Trail』は、『Me and the Devil Blues』『Stones in My Passkey』と並んで、ロバートの死後における名声の土台となった。3曲とも1937年のテキサス州ダラスでの録音で、歌詞には悪魔のイメージが用いられている。

動き続けなきゃいけない

動き続けなきゃいけない

ブルーズがあられのように降ってくる

ブルーズがあられのように降ってくる

ああああああ

毎日毎日が俺には辛い

地獄の猟犬がついてくる

地獄の猟犬がついてくる

1938年8月の死の際、「毒を盛られて、四つん這いになって犬みたいに吠えた」とも言われているロバート・ジョンソン(享年27)。

だが、ベッドを共にした多くの女性たちの証言のほうが、クロスロード伝説の生温かい体臭を感じさせてくれる。

夜中に目を覚ますと、ロバートが月明かりを受けて窓辺でほとんど音を出さずにギターの弦を押さえていることがよくあったというのだ。視線に気づくと、ロバートはすぐに弾くのをやめた。まるで隠さなければならない秘密でもあるように。

演奏している時も別のミュージシャンからの視線を感じると、手を隠すなり背を向けるなりした。

ロバート・ジョンソンの伝説を映像化して広めたという点では、1986年の映画『クロスロード』を決して忘れてはならない。アメリカではケーブルTVで途切れなく放映されてきたおかげで、多くの視聴者の記憶に留められることになった。

『Crossroads (1986) Excerpt』。Umbrella Entertainmentより。ロバート・ジョンソンの「クロスロード伝説」をモチーフにした、若き天才ギタリストを主人公にしたロードムービーだ

「悪魔の養子」「地獄の保安官」を名乗ったピーティ・ウィートストローのようなブルーズマン。「悪魔を憐れむ歌」などを残した60年代後半~70年代前半のローリング・ストーンズ全盛期。そしてブラック・サバスやオジー・オズボーン。悪魔のイメージは多くのミュージシャンを惹きつけてやまないのは、ロックの歴史を振り返れば明らかだ。

ロバート・ジョンソンは、これからも音楽ファンの永遠のロマンであり続ける。

文/中野充浩

参考・引用

・『ロバート・ジョンソン~伝説的ブルーズマンの生涯』(ピーター・ギュラルニック著/三井徹訳/JICC出版局)

・『ロバート・ジョンソン~クロスロード伝説』(トム・グレイヴズ著/奥田祐士訳/白夜書房)

・『ザ・ブルース』(マーティン・スコセッシ監修/ピーター・ギュラルニック他編/奥田祐士訳/白夜書房)

・映画『クロスロード』