撮影/松山勇樹

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2020年末にファーストDVD『ミルキー・グラマー』をリリース。癒し系のルックスとHカップのバストがグラビアファンの間で話題を呼び、新人ながらもリリースイベントは完売。その後もコンスタントにイメージDVDをリリースして、急速にSNSのフォロワーを増やし、イベントや撮影会に参加する度にチケットが完売することから“令和の完売女王”と称される原つむぎ。かつては保育士を目指して大学に通っていた彼女が、なぜグラビアアイドルの道へと歩んだのか、その道のりを語ってもらった。

【写真】令和の完売女王・原つむぎの撮り下ろしカット【14点】

――以前、クラシックバレエを習っていたとか。



原 おばあちゃんに勧められて始めたんですけど、年中さんから中学2年生までやっていて、発表会にも出ていました。

――ということは10年ぐらいやっていたんですね。



原 歴は長いんですけど、自分の意志で始めたわけではないので、ゆるっとやっていました(笑)。もう体は固くなっちゃったんですけど、今でも背中だけは柔軟をしなくても超柔らかいんですよ。だからバレエ経験は、グラビアにも活きていると思います。

――昔から背は高かったんですか。



原 中学生ぐらいまで真ん中ぐらいでした。高校生になって後ろから5番目ぐらいになって。胸が成長し始めたのも、中学3年生ぐらいで周りより遅くて。早生まれ(1998年1月6日生まれ)だからですかね。胸も高校生の時点でGカップはあったと思うんですけど、クラスに私と同じぐらいの子が一人いて、さらに私より大きい子が一人いたので、平均よりも大きいのかなぐらいで、あまり大きい自覚はなかったんです。

――どうして中2でバレエを辞めたんですか。



原 中学時代はバスケ部とバレエを掛け持ちしていたんですけど、部活が忙しくなっちゃって。どっちを選ぶってなったときに、部活は今しかできないと思ってバレエを辞めました。

――高校でもバスケは続けたんですか。



原 一応、足が速かったので高校では陸上部に所属していたんですけど、演劇科という学科に通っていて、それがすごく忙しくて。ほとんど部活には行けてなかったです。

――演劇科に進学したということは、当時から舞台やお芝居に興味があったということですか?



原 舞台は小さいときに劇団四季を観に行ったぐらい。あとはクラシックバレエの先生が出る舞台を年に2、3回観る程度で、特に興味があるわけではなかったんです。ただ地元の公立高校はやんちゃな人が多くて、ヤンキー多めみたいな(笑)。私は全然そういうタイプじゃなかったので、違う高校に行きたかったんですけど、親から「私立に行かせるお金はない」と言われて。そしたらお母さんが、学区外でしたけど地元の兵庫県に演劇科のある宝塚北高等学校という公立を見つけて、オープンスクールの資料を取って来てくれたんです。「あんたバレエもやってたし、ここに行ってみたら」と言われて、オープンスクールに行ったら楽しそうだなと思って、そこの高校に進学しました。

――歴史のある高校なんですか?



原 それほど芸能人の方を輩出している高校ではないんですが、今ドラマの主演を務めている女優さんも卒業しています。

――演劇の授業がメインだったのでしょうか。



原 公立高校なので、普通の授業がたくさんあって、1日2コマぐらい声楽やダンス、バレエや劇表現など、演劇系の授業でした。

――今は映画や舞台にも出演していますが、当時からお芝居は得意だったんですか。



原 今も昔も芝居は苦手です……。高校時代に出た舞台なんて、下手過ぎて絶対に観返したくないです(笑)。ただ当時から舞台が楽しいという感覚はありました。ただ演劇科と言っても、演劇関係のお仕事に就くのはクラスの3分の1ぐらい。役者になる割合は、もっと少なかったです。現役で舞台をやっている講師の先生もいらっしゃったんですけど、チケットのノルマとかが大変そうで。私も自分がお芝居をできると思っていなかったので、高校卒業後は保育士を目指して保育系の大学に進学しました。

――なぜ保育士という選択肢を?



原 一人っ子というのもあってか、小学生のときから年下の子が好きで。お姉ちゃんになることに憧れていたんでしょうね。その流れで子どもが好きだったので、保育士を目指しました。でも、いざ大学の実習で幼稚園に行くと、好きなだけじゃ難しいお仕事だなと痛感しました。

――すごく子どもに好かれそうですけどね。



原 子どもと遊ぶのは楽しいんですよ。よく、おっぱいを触られていました(笑)。でも書き物がすごく多くて、指導案や日誌を細かい字で書かないと怒られるんです。

――あまり大学生活は堪能できなかったんですか?



原 保育って短大に行く人も多いんですけど、「短大だと本当に遊べないから4年制のほうがいいよ」と言われて4年制を選んだので、ちゃんと大学生活は楽しめました。たくさんバイトをしましたし、よく遊びに行ってました。

――原さんはお笑い好きで、からし蓮根のファンを公言していますが、お笑いにハマったのもその頃ですか?



原 お笑いにハマったのは高2からで、ピークでハマっていた時期は週5でなんばの「よしもと漫才劇場」に通っていました。さらに、ファミマやアリオ、うどん屋のつるとんたんや電気屋さんなどで、からし蓮根さんが営業をするときは、できるだけ足を運んでいました。

――ガチの追っかけだったんですね。



原 そうですね。からし蓮根さんだけじゃなく、よしもと漫才劇場でやってる若手芸人さんばかり出る「翔ライブ」や、出持ちのときにチケ売りしている芸人さんが出るライブにも行ってました。M-1の予選なんて、1日に3つぐらいライブをはしごして、大学時代はお笑いとバイトに明け暮れていましたね。

――バイトは何をやっていたんですか?



原 焼肉屋さんとカラオケ屋さんで働いていたんですけど、焼肉屋さんはなんばグランド花月の裏にある「焼肉五苑」というお店でバイトをしていて。たくさん芸人さんが来るお店だったんですけど、人見知りだし、しゃべりかけるのもダメかなと思って、ひそかに興奮していました。

――保育士になる目標はどうなったんですか。



原 それが就活のときに、保育士さんの給料を目の当たりにして、土曜勤務もあるし、持ち帰りの仕事もめっちゃあるし、お子さんを預かる責任もあるし。それで、この給料だと、お金もないし、遊んだりする暇もない……と思って。兵庫県の施設で内定ももらったんですけど、大学3年生の途中からイベントコンパニオンのバイトを始めたのもあって、そっちのほうがお金にもなるので、結局、内定保留期間に辞退しました。

▽原つむぎ
1998年1月6日生まれ、兵庫県出身。大学で保育系の学科に通い、保育士と幼稚園教諭の資格を取得。キネマ旬報社主催の「グラビア・オブ・ザ・イヤー2021」で新人賞を受賞。2023年3月には写真集『つむと一緒』(竹書房)が発売。最新DVD『Simply Big』(エアーコントロール)が発売中。

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