円安や物価高でも格安「タイ鉄道の旅」の醍醐味
タイ国鉄メークローン線の終点、メークローン付近で市場の中を通過する列車。大勢の観光客がカメラの放列を向ける中、日本製ディーゼルカーはおそるおそる最徐行で通過する(筆者撮影)
日本でもコロナ禍が過去のものになりつつあるが、円安やロシアのウクライナ侵攻などで、日本人の海外旅行回復が遅れている。加えて物価高、上がらない賃金と、日本人の海外旅行熱が高まる要因は少ない。
しかし、海外物価高は誇張されて報道されている部分もあり、行く国と旅行スタイルを選べばいくらでも格安旅行は可能だ。たとえばタイで鉄道を使った旅はいかがだろうか。
タイでも飲食費や宿泊費などはそれなりの施設を利用すると日本と変わらぬ価格となった。ところが、タイ国鉄は驚くほど格安である。日本円で200円あれば、丸1日、鉄道の旅を満喫することもできる。バンコクを旅行する日本人は多いであろう。2023年2月に、バンコクから日帰りでタイ国鉄の旅を4日間(4回)楽しんだ。そのときの様子を綴ってみたい。ぜひ激安鉄道の旅に挑戦していただきたい。
1日4回の「市場を行く列車」
「市場を行く列車」として、観光客が押し寄せるのがメークローン線である。線路上にも商品が陳列され、列車が来るときだけ片付ける。
バンコクから鉄道で行くには、チャオプラヤー川の西に位置するウォンウェンヤイ駅からマハーチャイ線に乗ってマハーチャイへ。ウォンウェンヤイ駅はスカイトレイン(BTS)でもアクセスできるが、タクシー利用で5時30分発の始発列車に乗った。マハーチャイまで53分、運賃10バーツ(約40円)、全列車が日本製ディーゼルカーである。
未明のウォンウェンヤイ駅からマハーチャイ線の始発で出発(筆者撮影)
マハーチャイ線と目指すメークローン線は、途中にあるターチン川の部分で途切れているような関係で、その間は渡し船を利用する。マハーチャイ駅から徒歩5分ほどで船着場、渡し船は頻発していて、運賃3バーツ(約12円)である。
対岸の船着場から徒歩10分ほどのバンレーム駅から、7時20分発の始発列車へ乗り継ぐ。終点のメークローンまで1時間、運賃10バーツ(約40円)である。この路線の終点メークローンに到着する寸前、約400mが「市場を行く列車」となる。車両はマハーチャイ線と同じ日本製ディーゼルカーだが、メークローン線専用のお洒落なデザインである。
ウォンウェンヤイ―マハーチャイ間はバンコク西郊の通勤路線の顔も持つが、バンレーム―メークローン間は1日4往復のローカル線で、そのためバンコク5時30分の始発列車で出発したのである。こうすることで、メークローンでは上下合わせて4回、市場を行く列車が撮影できる。
メークローン線は、この光景が1日8回(4往復)繰り返される(筆者撮影)
尋常じゃない光景の人気列車
「市場を行く列車」は大人気のはずだが、始発列車に乗っている観光客は皆無で、終点メークローン近くになって団体が10人ほど乗ってきた。ガイド同伴で、バスで先回りして最後の区間だけ乗車するのである。
ところが、いざ市場へ差し掛かると、始発列車に乗っているのに、黒山の人だかりである。ただでさえ狭い市場を通過するのに、その狭い部分に観光客のカメラの放列、列車は最徐行でゆっくりゆっくり通過する。尋常じゃない光景で、「市場を行く列車」ではなく「観光客のカメラの放列を行く列車」である。多くの観光客は、観光バスで先回りしている。駅近くには何台もの観光バスが停車、水上マーケットとメークローン線を周遊するのだそうだ。
市場を行くはずが観光客のカメラの放列に迎えられた(筆者撮影)
列車が駅へ到着すると観光客が群がり、怒涛の記念撮影である。以前来たときと違うのは、撮影方法が自撮りになったことか。折り返し列車の出発が近づくと、市場をすばやく片付けるが、観光客は線路の真中で自撮りしようとする人で一杯だ。駅員が笛を吹き、「ここから出ないでください」と言いながら動き回っている。
警備は緩く、駅員が「ここから出ないでください」と言う程度だ(筆者撮影)
安全に対して厳しい日本では考えられない光景となるが、いっぽうで「やはり観光立国は違うな」とも感じる。精一杯の観光客への便宜を感じ、枕木と枕木の間に、歩きやすいようタイルが敷き詰められていた。
タイ国鉄としては、運賃たった10バーツ(約40円)の列車を走らせるために、押し寄せる観光客に対応しているわけで、国鉄だから成り立っていると感じた。とかく日本では人気列車が走ると「撮り鉄暴走」などという記事を目にする。しかし、メークローン線は人だかりであるが、何のストレスも感じずに観光できたのである。
列車が到着すると自撮りの嵐となる(筆者撮影)
市場では、今まで地元客用に果物を売っていた店なら、食べやすいように皮を剝き、パックに入れれば観光客価格で売れる。土産店や「トレインカフェ」なる店などが多くなり、素朴な店は減少傾向だった。経済効果絶大に思えるが、線路から一歩遠い店にはあまり恩恵がないようにも感じる。
ウォンウェンヤイ駅から鉄道、船、鉄道と乗り継いで往復184円相当の旅であるが、日本人にはカルチャーショックを感じる旅となる。
美しい車窓の「泰緬鉄道」
古くから鉄道の旅が知られているのが泰緬鉄道ことナムトク線である。泰緬とはタイとミャンマーを意味し、旧日本軍が軍事物資輸送のために建設した(現在はミャンマーへは通じていない)。険しい地形の難工事だったためイギリス人捕虜などが過酷な労働を強いられ、「戦場にかける橋」として映画化もされた(この映画では日本人はどちらかというと悪者)。クエー川を渡り、クエー川沿いの木橋を行くシーンが有名で、映画の主題歌「クワイ河マーチ」とはクエー川のことだ。
ナムトク線の車窓。クエー川沿いの木でできた橋をゆっくり通過する(筆者撮影)
この列車はトンブリ駅が起点。現在はメトロでアクセスでき、ブルーラインのバーンクンノン駅がタイ国鉄のジャラン・サニットウォン駅だ。この駅はトンブリ駅の次の駅なので、1駅戻れば始発のトンブリ駅となる。駅前には観光客を当て込んでお弁当がたくさん売られている。
ナムトク行きはアメリカ製ディーゼル電気機関車の引く客車列車(筆者撮影)
ここから終点ナムトクまでは約5時間を要し、1日かけての往復となるが、景色のいい車窓が続き、鉄道ファンにはディーゼル電気機関車の引く長い編成の客車が魅力だ。日本ではできない客車列車の旅が満喫できる。運賃は片道100バーツ(約400円)である。
平地が多く、単調な車窓が多いタイにおいて、この路線では遠くにミャンマーとの国境の山並みが続く。右に左にカーブをする客車列車は、乗車するだけで大満足である。車内には弁当、フルーツ、飲料などの物売りが行き来し、これまた日本では体験できない旅が味わえる。
列車はミャンマーとの国境付近の山々を遠望しながら走る(筆者撮影)
イギリス製ディーゼルカーでチャチュンサオへ
東線のチャチュンサオはカンボジア方面とパタヤ方面の分岐駅で、鉄道の要衝である。近年日本人に人気の地となっていて、郊外の寺にピンクの象、ピンクガネーシャがあることで、パワースポットとして訪れる人が多くなっている。バンコクからミニバンで行く人が多いが、チャチュンサオまでを鉄道で往復すれば、旅気分倍増となる。東線の列車は現在でも全列車がバンコク中心街のフアランポーン駅発着というのも嬉しい。
タイ国鉄少数派のイギリス製「スプリンター」で東線のチャチュンサオへ(筆者撮影)
もし週末なら6時45分発の観光列車もおすすめで、チャチュンサオまで所要1時間16分、希少なイギリス製ディーゼル特急「スプリンター」で運転する。普通列車なら13バーツ(約52円)だが、この列車は冷房付き(窓は開かない)なので80バーツ(約320円)、指定席である。
ところが、フアランポーン駅切符売場で「チャチュンサオ」というと、6時55分発の普通列車の切符を渡される。そこで「6時45分の列車」というと、駅員は「80バーツもするぞ」という。55分も早く着くのだし、冷房車だ。相手が外国人だと分かっているはずで何とも商売っ気がないが、筆者はそんなタイ国鉄が大好きである。
バンコクのフアランポーン駅で購入したお弁当。40バーツ(約160円)だった(筆者撮影)
帰りはディーゼル電気機関車の引く客車列車を利用すれば、2種の列車の乗り比べとなる。行きは地元観光客中心、復路は庶民的なローカル列車を楽しめた。客車は4人ボックス席あり、4人と6人のボックス席あり、座席にクッションのない木のベンチのような座席ありと、種々雑多な客車で編成される。
チャチュンサオからの帰路は古典的機関車が引く客車。古くても状態は良好(筆者撮影)
日本でいえば、1970年代、DF50形ディーゼル機関車の引く雑形客車と年代が同じような車両で、昭和の時代の普通列車を彷彿とさせる旅が、格安にできるのが嬉しい。
新駅から昼の「夜行列車」にちょい乗り
次はバンコクから西へ50kmほど郊外に位置するナコンパトムへの日帰り旅だ。ここには世界一高い仏塔があるプラ・パトム・チェディがあり、駅から徒歩10分もかからないところにあるので、鉄道を使った旅に最適である。
ナコンパトムには世界最大の仏塔があり、駅から徒歩ですぐ(筆者撮影)
ナコンパトムはバンコクのトンブリ駅から出る路線の近郊区間が終わる辺りにあり、バンコクからナコンパトムまでは日本製ディーゼルカーの近郊列車が1時間に1本ほど運行している。ナコンパトム以遠へ行く列車は客車列車が多く使われている。
しかし、私はバンコクのバンスー・グランド駅(新駅)を発着する列車にも乗ってみたかったので、バンコク発スンガイコーロック(タイ東海岸最南のマレーシアとの国境の町)行きの夜行快速列車の座席車に乗ってナコンパトムを目指した。
バンコクの新駅で出発を待つ快速スンガイコーロック行き夜行列車(筆者撮影)
夜行列車といってもバンコク発は13時10分、ナコンパトムまでは所要1時間、運賃20バーツ(約80円)、運賃は格安だが指定席である。冷房のない4人ボックス席の指定席なので、かつての夜行急行「十和田」や「津軽」を思い出してしまう。
快速スンガイコーロック行きの車内。南部最大都市のハートヤイまで行くというお兄さんたち(筆者撮影)
この列車は独特の雰囲気があった。南部はイスラム教信者が多く、乗客の多くはイスラムの格好をしていて、マレーシアにでもいるような雰囲気である。乗客の多くはタイ南部へ夜行列車として利用する人たちであった。地域色が如実に出るタイの長距離列車も興味深い。そういえば日本でも急行「津軽」に乗車したとたん、津軽弁が行き交うなど列車に地域色があった時代が思い出される。
復路はナコンパトムから日本製ディーゼルカーでトンブリ駅へ戻った。運賃は40バーツ(約160円)である。
ナコンパトムからの帰路は日本製ディーゼルカーで(筆者撮影)
激安運賃で懐かしい風情の旅を
海外は物価高といわれるが、ことタイ国鉄の旅は激安運賃である。しかも多くの日本人鉄道ファンが楽しめるような車両が多いのも魅力である。乗車してストレスを感じるようなこともまったくない。
たとえば、日本では大手私鉄中心に都市鉄道は駅からゴミ箱が撤去され、不便に感じる観光客も多いのではないだろうか。タイ国鉄の客車も、設備としてはゴミ箱がないが、デッキ部分に黒い大きなゴミ袋が必ず幌の金具にくくられており、こうして利用者の便宜を図っている。タイ国鉄の車両は年代物であるが、何度でも利用したくなる鉄道に感じる。
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(谷川 一巳 : 交通ライター)