東大生といえど、本格的な受験勉強前に「勉強が楽しい」と感じていたのは、約30%にすぎませんでした(グラフ:筆者作成)

覚えられない、続けられない、頑張ってもなぜか成績が上がらない――勉強が苦手で、「自分は頭が悪い」と思い込んでいる人も、実は「勉強以前の一手間」を知らないだけかもしれない。

そう話すのは、中高生に勉強法の指導をしている「チームドラゴン桜」代表の西岡壱誠さんです。

「僕も昔はこれらの工夫を知らなくて、いくら勉強しても成績が上がらない『勉強オンチ』でした。でも、『勉強以前』にある工夫をすることで、『自分に合った努力のしかた』を見つけられて、勉強が楽しくなったんです。効果は絶大で、偏差値35だった僕が東大模試で全国4位になり、東大に逆転合格できました」

西岡さんをはじめとする「逆転合格した東大生」たちがやっていた「勉強以前の一工夫」をまとめた書籍『なぜか結果を出す人が勉強以前にやっていること』が、発売前に1万部の増刷が決まるなど、いま話題になっています。ここでは、「勉強を楽しめる人、楽しめない人の違い」ご紹介します。

勉強が楽しくなってくる人、ならない人

「勉強しなければならないのはわかっている。でも、勉強するのがつらくて……いっそ、勉強が面白く感じられればいいのに


そんなふうに考えている人は多いかもしれません。

多くの人にとって、勉強はあまり好きになれない「つまらないもの」でしょう。膨大な量を覚えないといけなかったり、時間をかけても結果が出なかったりするからです。

では、東大生はどうなのでしょうか? 実際に東大生104人に「勉強を楽しいと感じていますか?」というアンケートを行った結果、約70%の人が「勉強を楽しいと思っている」と答えました。東大生は、勉強を楽しんでいるのです。

これだけでは、何も驚くところのないアンケートですが、僕はもう1つ、こんな質問も同時に行いました。

「本格的に受験勉強を始める中学3年生や高校1年生の段階では、勉強を楽しんでいましたか?」と。この質問に、東大生たちはどう答えたと思いますか?

この質問に対しては、今度は逆に70%以上の人が「いいえ」と答えました。つまり、東大生の多くは、もともとは勉強があまり楽しめていなかったのに、受験勉強を通して、勉強が楽しいと思えるようになったわけです。


どうしてそんなことが起きるのでしょうか? そしてどうすれば、勉強が楽しくなるのでしょうか?

2種類の「勉強の楽しさ」

僕は、まず1つの仮説として、勉強が楽しくなる瞬間というのは、「パズル的」なものと「思考的」なものに分かれるのではないかと考えています。パズル的なものは「答えがハマる瞬間」が楽しく、思考的なものは「答えを考える瞬間」が楽しいのではないか、という仮説です。

まずはパズル的のほうですが、まさにパズルのように「答えがハマる瞬間」が訪れると、僕たちは勉強を楽しく感じます

たとえばナンプレを知っていますか? 9×9のマス目があって、タテ9マス・ヨコ9マス・各3×3のブロックが1から9までの数字をそれぞれひとつずつ含むように、数字を埋めていくというゲームです。

このゲームは、「ここに3が入るんじゃないか」「こっちには8を入れれば成立するはず」とパズルを当てはめていって、すべてがうまくいったときに「楽しい!」と感じられるというものです。

与えられた情報を組み立てていき、その結果として答えが1つに定まっていくのが楽しい、というのは、他のパズルでも言えることですね。

ジグソーパズルでも、複数のパズルのピースを組み合わせて1つの絵を作りますが、やはり楽しいのは複数のバラバラのピースが1つの絵になっていく過程と、ジグソーパズルが完成したときの満ち足りた気分でしょう。

僕は、数学に同じような楽しさを感じます。複数の情報を組み合わせて1つの答えが出たときに、満ち足りた気分になれるのです。

「まるでパズル!」な東大入試問題

例えば東大の入試で、こんな問題が出題されたことがあります。

「3以上9999以下の奇数aで、a^2−aが10000で割り切れるものをすべて求めよ」

この問題、一見難しそうに感じますが、実はパズルのピースを整理して考えていくと答えが見えてくる、楽しい問題です。

そもそもa^2−aというのは、「a×(a−1)」なので、隣り合う2つの数であることがわかります。aが301だったらa−1が300、という感じで、「隣り合う2つの数の掛け算の答えが10000で割り切れるもの」を求めるというだけなんですよね。

そして、10000を分解すると「10000=10×10×10×10=2×2×2×2×5×5×5×5」で、10000は2を4回と5を4回掛け合わせた数だと言えるわけです。

ここで止まってしまうと答えが出ないのですが、「aが奇数」という問題文の情報を使うと答えが見えてきます。aは奇数で、その前のa−1は偶数になりますね。

aは奇数、a−1は偶数。その2つの数字を掛け合わせた答えが、2を4回と5を4回掛け合わせた数で割り切れる。ということは、偶数のa−1が「2を4回掛けた数=16の倍数」であるということがわかります。

そこから少し計算すると、奇数のaのほうは「5を4回掛けた数=625の倍数」だとわかるのです。625の倍数で奇数のものは、9999までで7個しかありませんから、この7個を確認していけば答えが出ます。答えは625だけになります。

このように、与えられた情報から1つの答えを出していく、「答えがハマる瞬間」が楽しいと言えるでしょう。

逆に思考的のほうは、答えが1つに定まらない問いに対して、さまざまな思考を巡らせて楽しむことができます。

「日本では礼儀作法が重んじられるわけ」を考える

例えば、日本は「礼儀作法」がとても重んじられる文化の国ですが、なぜ、こんなにいろんな「礼儀作法」があるのでしょうか? 

この問題にはおそらく、唯一絶対の「正解」はありません。でも、例えばこんなふうに「思考する」ことはできます

まず、同じように礼儀作法に対していろんなルールがある国として、イギリスが思いつきます。イギリスと日本の共通点を考えれば答えが見えてくるのではないでしょうか。

そう考えたとき、仮説の1つとして考えられるのは、立憲君主制であるということです。君主がいて、その力が強大であり、その君主に対して礼節を持って接しなければならないからこそ、敬語やルールが生まれる、ということです。

古文の勉強をすると、敬語の中にも「天皇や皇太子に対してのみ使う最高敬語」があるのに気づきます。このように、尊敬すべき存在がいて、その力が強大だと、言葉や文化としてのマナーが生まれやすいと言えるでしょう。

別の仮説も成り立ちます。それは、人種的な同質性です。

もちろん日本もイギリスも同一の民族で形成されているわけではありませんが、アメリカが人種のサラダボウルと言われていたり、ラテンアメリカでは混血が進んでいたりすることから考えると、かなり同質性が高いと言うことはできると思います。

そうすると、人に対する「配慮」、そして「ハイコンテクストな文化」が育ちやすいです。

みなさんも、日本語を覚えたての外国人があまり敬語をうまく使えなかったとしても、怒ったりすることはないでしょう。でも、日本人の後輩がタメ口で話しかけてきたら「おいおい」と言いたくなると思います。

同じ文化的背景を共有する者同士のほうが、人間はコミュニケーションを取るときに多くを求めると言えるのではないでしょうか。配慮することを求め、礼儀作法を求め、敬語を求め、マナーを求める。そういう、コンテクストを理解すること(空気を読むこと)を求めるようになるわけです。だから、島国であり、人種的な同質性の高い日本とイギリスは、礼儀作法が求められやすかったと言えるのではないでしょうか。

東大の入試問題では、このような「1つの答えではない、考えるのが楽しい問題」が多く出題されます。

・なぜブルーベリー農家は東京に多いのか?
・なぜ朝焼けは雨、夕焼けは晴れなのか?
・ニュージーランド産カボチャが多いのはどうしてか?

もちろん、「これが絶対的な正解で、ほかは間違い!」というような答えはありません。ありませんが、さまざまなことを考え、答えを出すためにあれこれと複数の物事をつなげて考えていく過程というのは、「楽しい」と言えるのではないでしょうか。

「こういう要因も考えられるかも!」「こういう背景もあるのかな」と、知識を総動員して答えを探っていく、その過程自体の楽しさが、「思考的」な楽しさだと言えるのではないでしょうか。

楽しむためには「一定の知識」が欠かせない

「パズル的」は答えがピタッと出ることが楽しく、「思考的」は答えが1つに定まらないからこそ楽しい。そんな対比があるのではないかと思うのです。

さて、どちらのほうがみなさんにマッチしているかはわかりませんが、1つ言えるのは「ある程度知識がないと、どちらの楽しさも感じられない」ということです。

小学生くらいの知識量のうちに「勉強が楽しい」とはなかなか感じられません。知識量が乏しいと、パズルのようにあれこれ試して答えを1つに定めることも、問題に対する複数の解答を考えることも難しいからです。

「勉強が楽しい」と思えるようになるのは、一定の知識が必要でしょう。運動部で言うところの「走り込み」が必要なわけです。

RPGのゲームでもレベルが低いときは技が少なくて戦略もあまりありませんが、レベルが上がってくるとできることの幅が広がっていきますよね。それと同じで、最初の一定の期間は「走り込み」が必要なのです。

この「走り込み」期間をいかにして乗り切れるか、「この先に行ったら楽しさが待っているはずだ」と信じられるかどうかが、「勉強を楽しめるかどうか」を分ける1つの要素なのかもしれません。

(西岡 壱誠 : 現役東大生・ドラゴン桜2編集担当)