2018年にFA及びUEFA公認プロライセンスを取得した高野剛氏。アジア人として初の快挙だった【写真:本人提供】

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高野剛「世界最難関ライセンスを持つ日本人指導者」第1回、米国で始まった指導者キャリア

 サッカーの母国であるイングランドは、隆盛を極めるプレミアリーグを筆頭に長い歴史によって築かれた重厚な文化や伝統があり、いつの時代も圧倒的な権威を保っている。そんな世界最高峰の舞台に乗り込み、アジア人として初めて2018年にイングランドサッカー協会(FA) 及び欧州サッカー連盟(UEFA)公認プロライセンスを取得したのが高野剛氏だ。世界トップレベルの指導者資格をどのような経緯で目指し、取得したのか。海外挑戦の日々を振り返った。(取材・文=加部 究)

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 2018年6月、意外に知られていないかもしれないが、日本サッカーの歴史に快挙が刻まれた。米国で指導キャリアをスタートさせた高野剛が、世界最高峰の水準を誇るサッカーの母国イングランドで、UEFAのプロライセンス(イングランドFAでも最高級のレベル5)取得に成功したのだ。

 最高級の指導者コースは、受講資格を得るだけでも狭き門だった。A級を取得済みの450名の中から3度の試験を経て36名に絞り込まれ、最終的にプロライセンスを手にしたのは27名という極めつけの難関だった。高野とともに合格の喜びを分かち合ったのは、現役時代にイングランド代表として活躍してきたニッキー・バット、デービッド・ジェームス、親子2代の監督として名高いナイジェル・クラフ、さらにはセルビア代表の名DFだったネマニャ・ヴィディッチ、今春までチェルシーを指揮したグレアム・ポッターなど錚々たる面々である。

「米国で活動をしていた1997年までにC級とB級は取得したのですが、A級は合格するまで7〜8回は再挑戦を繰り返しました。私が参加したのは24人が受講できるコースで、毎回合格者は1〜2人しか生まれません。従って不合格だったメンバーは、全員が再試験を繰り返していくことになります。私もA級に合格しないと将来への展望が開けてこないので、最後は英国に引っ越して『これでダメなら他の仕事に就こう』と覚悟を決め、ラストチャンスで合格することができました」

 福岡県の強豪・東海大学付属第五高校(現・東海大学付属福岡高校)のサッカー部でプレーをしてきた高野は、卒業とともに米国へ語学留学をした。最初は現地で誘われ選手も続けてきたが、徐々に指導も託されるようになり、教える楽しさにのめり込み始めた頃に勤務先の翻訳会社が倒産。本腰を入れて指導に取り組むなら、母国イングランドでライセンスを取るべきだと考えた。

「1992年のEURO(欧州選手権)で代替出場ながら優勝を飾ったデンマーク代表のリシャール・モラー・ニールセン監督が『私は特別なことをしたわけではない。イングランドのコーチングコースで学んだことを実践しただけだ』と語っていたのが脳裏に浮かんだんです」

A級とプロの違いは学習と創造する力

 一度は日本へ戻り、2009年まではサンフレッチェ広島で活動を続けるが、2010年に意を決して英国へ移住。最初は地元ウエスト・ヨークシャー地方にあるブリッグハウスタウンというアマチュアチームの指導に始まり、やがてハダースフィールド・タウンのアカデミーで評価を固めたことがA級合格への道を切り拓いた。

「とにかくB級の受講終了時に、インストラクターから推薦をもらえないとA級を受けることもできません。私の場合は、最初に指導をしたブリッグハウスタウンの成績向上が評判になり、ハダースフィールド・タウンからオファーを頂き入団。ここでの活動中に当時FA(イングランド協会)のコーチエデュケイターからA級再受講のサポートを受け、最終的に合格に漕ぎつけました」

 UEFAのA級ライセンスを取得すれば、プレミアリーグでもコーチとしてベンチに入ることができて、プロライセンスとなれば当然監督を務められる。実際に受講をしてみてA級とプロの相違は、端的に学習と創造だった。

「ピッチ上での指導についての学習は、A級までにすべて終えてしまいます。プロライセンスコースは世界の最前線でリードしていく監督を養成していく場です。『誰かを模範に』と考えた瞬間に、それはもう第一線ではなくなる。過去から学ぶのではなく常に先見性を持って、マネージメントを実践し、リーダーシップを発揮していかなければならない。あくまで世界の最先端で何が起きているのかを把握した上で、その先を行く独自の見解を披歴していく必要がある。だから講義では、テーマを与えられた受講者たちが、それについてディスカッションを徹底する。その繰り返しでした」

 前述の通り、学友には現役時代に国際舞台で輝かしいキャリアを築いてきた人たちも少なくなかった。その中で臆せずに自分の意見を主張し渡り合うのはスリリングなことだが、それだけに連日帰宅すると「頭がクタクタになった」という。

「アドリブの連続なので、それまで蓄積してきた経験を見られる。ディスカッションでの発言を振り返り『失敗だった』と思えば落ち込み、逆に『これは言ってやったな』と痛快な気分に浸ることもありました」

 まさに毎日が真剣勝負の積み重ねで、そういう生活を18か月間も続けた末の栄誉だった。(文中敬称略)

高野 剛
たかの・つよし/1973年10月4日生まれ。福岡県出身。アメリカで8年間指導者を務め、2005年からサンフレッチェ広島でジュニアユース、ジュニア、トップのコーチを歴任した。2010年にイングランド3部のハダースフィールド・タウンFCの育成組織に入団。日本人2人目となるイングランドサッカー協会(FA)公認・欧州サッカー連盟(UEFA)公認A級指導者ライセンスを取得した。2012年にサウサンプトン、2013年にアビスパ福岡のコーチ、2015年にタイのBBCU FCで自身初の監督を務め、タイ・プレミアリーグ昇格へ導く。2016年から3年間ギラヴァンツ北九州のU-18監督やアカデミーダイレクターを務め、2018年にアジア人初となるFA及びUEFA公認プロライセンスを取得。また、Jリーグフットボール本部育成部に所属し、育成改革プロジェクト「Project DNA」の立ち上げに関わる。2021年、STVV(シント=トロイデンVV)のHead of Football Strategy & Development 及びManaging Director of Youthに就任しチームの根幹を支えている。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(カンゼン)など育成年代に関する著書も多い。