トイレ

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日本は欧米と比べるとトイレの後進国でしたが、今では……(写真:8x10/PIXTA)

ドラッカーのマネジメント、ミハイ・チクセントミハイが発見した「フロー」、シュンペーターの創造的破壊、デザイン思考、こうしたビジネススクールで教えている内容を利用して、自分の人生戦略、ライフプランをつくる授業。ビジネスマンならぜひ一度、聞いてみたくなる授業だ。

そうした授業を書籍で再現したのが『15歳からの人生戦略』。著者はドラッカー経営大学院教授の山脇秀樹氏。今回は清潔な日本のトイレとブルーオーシャンの戦略とについて考えてみよう。

トイレの国際比較の権威


筆者がその昔に日本で通った大学では、多くの教授が教鞭を執っていました。その中でも一般教養(大学によっては「全学教育」「共通教育」と呼ばれています)課程の学生の間で特に人気が高かったのは、西岡秀雄先生という「人文地理」の講義を担当されていた教授でした。

なぜ人気があったかというと、西岡先生の講義は聴いていて面白かったのが、もちろんその理由なのですが、その裏づけとなるデータ、証拠、情報、観察は、先生ご自身が実際に足を使って集められたからでした。

ちなみに、西岡先生はトイレの国際比較の権威でした。先生は講義中に、世界各地で収集されたトイレットペーパーを学生に見せながら、紙の質、肌触り、色の違い、そして各国のトイレの違いから経済・社会・文化・生活様式の違いを洞察されたのです。

また、1960年代から1970年代はじめの日本のトイレは欧米先進国と比べて4K(くさい、きたない、こわい、くらい)なので、これをとにかく改善しなければ、日本は後進国のままだと力説されておられました。

若い読者の方は、この4Kのうちの「こわい」「くらい」の意味がおわかりにならないかもしれないので、本題から大きく脱線しますが、補足します。

トラウマすら引き起こす昭和のトイレ事情

昭和30年代に筆者の親戚が東京の郊外に住んでいまして、子供の頃にその家を訪れるたびに、トイレに少なくとも1回は行かなければなりませんでした。ところが、そのトイレが母屋の端にあり、しかも薄暗い。電気はあったのだと思いますが、とにかく薄暗いのです。

夜ともなればとても暗い。しかも水洗ではないので、しゃがんで下をのぞくと、暗い奈落の底が見える。もし足を滑らして、下に落ちたらどうしよう、泳ぐわけにはいかないし、そのまま吸い込まれて糞尿にまみれて死んでしまうのだろうか、とトラウマにもなりかねない怖い思いをこの家を訪ねるたびにいつもしたのです。

こう書くと、世界に類を見ない現在の日本の素晴らしいトイレ環境で育った若い読者の方々は、いったいこの人、何を言っているのだろう、と思われることでしょう。

ところが、西岡先生が繰り返されていたように、1960年代、そして1970年代半ばでも、日本は欧米と比べるとトイレの後進国であったのです。トイレ後進国を先進国に変換し、さらに世界一清潔な国に発展させるというのは、その当時のビジョンであり、目的でもあり、使命でもありました。

そして、街の至る所に綺麗で清潔な水洗トイレがあり、とても快適かつ便利、というのは当時描かれた「未来のシナリオ」だったわけです。20世紀末には、日本はこのシナリオを見事に実現し、世界に冠たるトイレ先進国に発展しました。

「あー、日本に帰ってきた」という実感

こんなにたくさん、どこにでも、清潔な公衆トイレがある国は他には見当たりません。ロサンゼルスのフードコートに日本の高校生を連れて行った経験があるのですが、トイレが汚くて、落ち着かないのでパスした日本の男子高校生がいました。日本の若い人は、世界最高の綺麗なトイレに慣れているのです。

このトイレ先進国へのシナリオの発展過程で大きな役割を果たしたのは、読者の方々がよくご存じのように、やはりTOTOのウォシュレットとその競合製品(温水洗浄便座)ではないでしょうか。

筆者は海外から日本に到着し、成田あるいは羽田の飛行場のトイレに入ってその姿を見た瞬間に、あー、日本に帰って来たと実感するのです。

日本を訪れた外国人観光客が驚嘆し、戸惑い、写真を撮り、インスタグラム、フェイスブックに掲載し、日本で慣れ親しむのがウォシュレットなのです。

最近では、これがついていないトイレが大都会では少ないほどで、まさに、トイレがある所にはウォシュレットとその競合製品ありき、と言っても過言ではないほどの印象を受けます。

購買の決定的瞬間を導くのは「意味」

新しい製品・サービスが、市場で成功するためには、もちろん新しい価値と意味を消費者に提供する必要があります。いくら製品が技術的に革新的であっても、消費者に「あっ、これ欲しい(I want)」と思わせるための購買決定への原動力がなければ、購買には至りません。そこで、一般消費者に「従来の慣習を変えるための、新しいやり方を提案し」「従来の認識を変え」、そして「これまでの不調和を解決する」ことを強くアピールする必要があるのです。

言い換えると、このような「購買決定の瞬間(buying moments)」を導くための新しい「意味」を提供することが重要になるのです。

日本のトイレ後進国から先進国への発展途上段階において、「新しいやり方、清潔な水を使っての洗浄」「新しい認識、トイレは清潔で便利な家電」、そして「不調和の4Kからの脱出」が消費者に受け入れられるための原動力となったのではないでしょうか。

ちなみに、この3つの要因、「これまでの不調和を解決する(incongruities)」、「従来の慣習を変えるための、新しいやり方を提案する(process needs)」、そして「従来の認識を変える(changes in perception)」は、ピーター・ドラッカーが提案したイノベーションの7つの要因の中の3要因、と気づかれた方も多いかと思います。

ドラッカーはこのような要因がイノベーションの動機、原動力となることを示唆しました。

他の4要因は、思わぬ失敗(unexpected occurrences; 失敗が結果的には、思わぬイノベーションとなる)、産業と市場の変化(industry and market changes)、人口動態の変化(demographic changes)、そして新しい知識(new knowledge)です。

日本のトイレは海外でも普及している?

さて、これほどまでに日本国内で普及し、海外から日本に訪問した旅行客も体験し驚いているので、TOTOのウォシュレットと競合商品である温水洗浄便座は海外市場というブルーオーシャンを見つけたと言えるのではないでしょうか。

ブルーオーシャンという概念はレッドオーシャンと対比すると理解しやすいです。前回の記事(戦略の理想「ブルーオーシャン」の大きな落とし穴​)でも説明しましたが、レッドオーシャンとは、市場に競争相手がサメのようにうようよとたくさん泳いでいて、お互いに血を流して血に染まっている状況です。

一方、市場に競争相手のサメがまだいない、つまり血で汚れていない紺碧の海のような状況をブルーオーシャンと言います。

ところがブルーオーシャンとは言えないのが実情です。

中国市場とアジア市場では売り上げが近年伸びているようですが、アメリカ市場と特に欧州市場では、浸透率はあまり高いとは言えません。カリフォルニアでの研修プログラムに参加した日本の高校生も、現地のホテル、レストラン、美術館を訪ねても、日本のウォシュレットがないことに気づきました。

アメリカでの普及状況はイマイチ

ウォシュレットは欧米で、どういう意味があるのでしょうか? 

ちなみに、筆者自身もこれまでカリフォルニア州の自分の生活圏、行動範囲内で、ウォシュレットにお目にかかったことがありません。

ちなみに、TOTOは1989年に水消費量の少ないトイレをアメリカ市場に導入し、アメリカ市場で唯一の水使用量が少ないトイレとして2000年後期までには25%以上という立派なマーケットシェアを獲得しました。

そこで、アメリカ市場での足場を確保したTOTOは2003年にウォシュレットを市場に導入するに至りました。ところが、発売当初は売り上げが伸びたものの、その後は伸び悩み、2007年にはTOTO USAの売り上げの5%以下にとどまっています。

2017年のTOTOの売り上げの約65%は国内市場から得たもので、アメリカ市場とヨーロッパ市場からの売り上げは全体の10%未満と推定されています(“Frequent flyer: why hasnʼt the Japanese toilet taken off?,” by Michael Skapinker, Financial Times, May 26, 2019より)。

そうしますと、日本の市場では、新しい市場と需要を開拓し、日本の観光名物とも言うべき存在感を誇るウォシュレットなのですが、どうも海外では、イマイチなのです。

機能、価値、そして意味を提供する

この理由には、欧米と日本とのトイレ文化の違い、トイレの機能に対する消費者の認識の違い、住宅建設の請負業者が通常のトイレの代わりにウォシュレットを設置することに一般的に無関心、そしてトイレが通常設置されている場所の周辺に電気回路が備わっていないという技術的な不便性等々があげられます。

言い換えると、日本では「未来のシナリオ」を実現する過程において、前述のドラッカーの3つの要因「これまでの不調和を解決する」「従来の慣習を変えるための、新しいやり方を提案する」、そして「従来の認識を変える」がうまく機能しました。

つまり、日本では「購買決定の瞬間(buying moments)」を導くための新しい「意味」を提供することができたのです。ところが、欧米ではそれが購買決定の原動力となっていないのです。

つまり、新しい機能とそれに基づいて新しい価値をせっかくつくり上げたのだけれど、市場の歴史的、社会的、文化的、経済的、あるいは規制等の諸条件によって、それが存分に活かされていない場合があることにも留意すべきなのです。

アメリカの一般的な消費者にとっては、たくさん新しい機能があって素晴らしいし、アメリカの伝統的なトイレと比べると機能は優れているし、価値はあるね。でも、いったいどういう「意味」があるのだろう、となっているようです。

(山脇 秀樹 : ピーター・F・ドラッカー経営大学院教授)