デ・トマソとはなにか?

デ・トマソ最初の市販車、ヴァレルンガ ©Wolfgang/stock.adobe.com

日本のクルマ好きなら「日本で初めて300km/hを超えた」伝説の光永パンテーラや、あるいはダイハツのシャレード デ・トマソで有名なイタリアの自動車メーカー、デ・トマソ。

元はアレッサンドロ・デ・トマソというイタリア系アルゼンチン人のレーサーによって創業し、メーカーとしては少量生産のスポーツカーから始まり、パンテーラのようにいくらか量産の効くスポーツカー、高級車も生産します。

最終的にはスーパーカーメーカーとなり、アレッサンドロが病に倒れた後は細々と最終モデルの「グアラ」を販売していましたが、彼の死語2004年で一度は解散、新たに商標を得た人物によって「デ・トマソ・アウトモビリ」として再建されるも、うまいくいきません。

結局、香港系の資本が入って2019年に新たなスーパーカー「P72」、さらに2022年11月には新型ハイパーカーの「P900」を発表、そのブランドを活かしつつ、今も新たな歴史を刻んでいます。

デ・トマソ パンテーラの歴史

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■少量生産メーカーがいきなりスポーツカーを量産!?

デ・トマソはその初期に鋼管バックボーンフレームのミッドシップスポーツ、「ヴァレンガ」や「マングスタ」を作る少量生産メーカーでした。

しかし、次のパンテーラはイタリアのモデナで生産するスポーツカーとしては十分に大量生産といえる年間2,000台を生産、フォードの「マーキュリー」ディーラーで販売するという、いささか飛躍した量産スポーツカーです。

そうなった理由は、フォードとフェラーリの確執、イタリア系アルゼンチン人の創業者アレッサンドロ・デ・トマソ、イタリア系アメリカ人で当時フォードの副社長だったリー・アイアコッカ、2人のイタリア人2世の「ウマが合ってしまった」結果でした。

■イタリアンスポーツが欲しいフォードによるフェラーリ買収失敗劇

話はパンテーラ発表の数年前、1960年代はじめにさかのぼります。

当時フォードの会長だったヘンリー・フォード2世は「かっこいいミッドシップのイタリアンスポーツをフォードでも売りたい!」と考えますが、アメリカ式大量生産システムと少数生産スポーツカーは相性がよろしくありません。

ならばイタリアのメーカーを買収すればいい…と目をつけたのが、労働争議などで経営が悪化し、非常にクセの強い人物だったカリスマ創業者エンツォ・フェラーリと、役員の確執が表面化していた「フェラーリ」。

フォード傘下のフェラーリなど想像しにくいですが、意外やトントン拍子で話は進んで1964年5月には買収契約が本決まりになりかけるも、エンツォのアクの強さが発揮されたか、あるいはイタリア産業界の横槍か、とにかく土壇場で破談となります。

■激走GT40!フォードの逆襲

これに怒り狂ったフォードはイギリスのレーシングカーコンストラクター、ローラと手を組んで名車「フォードGT40」を開発、レースマネージメントに長けたキャロル・シェルビーに託し、レースでのフォード撃破を誓います。

特に激しい戦いとなったのはフェラーリが連勝を重ねていたル・マン24時間レースで、1964年の初参戦から2年は結果を出せなかったものの、1966年にはついにフェラーリを破り、フォードGT40が総合1-3位の表彰台を独占する圧勝でした。

これで溜飲を下げたフォードですが、「ミッドシップのイタリアンスポーツを売る夢」は未だ衰えておらず、そこで登場するのが1965年にフォード副社長へ就任、レースやスポーツカーへの造詣も深かったイタリア系アメリカ人、リー・アイアコッカです。

■モデナで浮いていたアルゼンチン生まれの陽気なイタリア2世

その頃、フェラーリをはじめとするイタリアンスポーツのメッカで、優れたデザインを生み出すカロッツェリアや、それらを支える職人肌の工房を数多く抱えたイタリア北部のモデナでは、1人のイタリア系アルゼンチン人が小さなメーカーを構えていました。

その名はアレッサンドロ・デ・トマソ。アルゼンチンで成功した裕福なイタリア移民の生まれで、時のアルゼンチン大統領フアン・ペロンを打倒するクーデター絡みで生まれ故郷を追われて父の祖国イタリアに渡った男です。

レーサーとしてF1にも何度か参戦するなど活躍、お金持ちのアメリカ人と結婚するという、イタリア人男性として称賛されるべき成功を収めた後、モデナに「デ・トマソ・アウトモビリ」を創業します。

しかし気まぐれなアレッサンドロはしばしばモデナの工房と揉めましたし、アルゼンチン出身のヨソ者だった事もあって評判は悪く、2番目の市販車マングスタの開発ではキャロル・シェルビーとも揉め、すっかり疎遠になっていました。

■社交的な2人のスポーツカー好きイタリア2世の出会い

ただしアレッサンドロは社交的な人物であり、モデナで引きこもっている職人でもなく、どちらかといえば言葉巧みに自分自身や商品を売り込む、優秀なセールスマンでした。

そこへアメリカからやってきたアイアコッカも、理系の学歴を持ちつつセールスマンとして成功した人物であり、何より2人はレースやスポーツカーが好きなイタリア2世で、話が弾まないわけもありません。

フォード2世の望みを理解していたアイアコッカは、フェラーリのようにイタリアで名声を得ているわけでもなく、しかし確かにミッドシップのイタリアンスポーツを作っていたアレッサンドロへ、「フォードのためにスポーツカーを作らないか?」と提案します。

カーマニア相手の細々とした商売に満足していなかったアレッサンドロにとって、その提案はまさに渡りに船、早速金持ちのカミさんの実家から資金援助を取り付け、フォードが要求した年産2,000台が可能な工場と生産設備を準備しました。

■モデナの職人が成し遂げた電光石火の開発

アレコレと悪口・陰口も叩かれたアレッサンドロですが、気まぐれな事を除けば社交的で気のいい人物だったため、彼を好む人も多く、フォードの「スポーツカープロジェクト」という大号令に馳せ参じた職人たちは、あっという間に新たなスポーツカーを作りました。

何しろモデナという土地は、コンセプトカーやスーパーカー、レーシングカーといった少量生産の「芸術品」を作るのが得意な職人や工房が集結しており、しかもウルサイ事を言う大企業ははるか海の彼方です。

デ・トマソ傘下のカロッツェリア・ギアがデザインし、ランボルギーニ出身で後にBMW M1などにも携わり、レーシング・コンストラクターとしても活躍したジャンパオロ・ダラーラがドライブトレーンなどを開発し、驚くべき短期間で仕上がります。

ただし、いささか「職人のカン」に頼りすぎて風洞実験などは行わず、走行試験以外のテストといえばクラッシュテストくらいでしたが、とにかく1970年のニューヨーク・モーターショーでお披露目されたニューマシン「パンテーラ」は、大好評でした。

しかしその段階で、クルマ自体だけでなくデ・トマソを揺るがす大問題が起きます。

■文字通り墜ちてしまった金ヅルと、アイアコッカへのホットライン

エンジンこそフォードの出来合い、マスタングにも積んでいる量産エンジンで大した事はなかったものの、カッコイイ事には疑いなく、それでいてフェラーリなどより格安の1万ドルで買えるパンテーラは北米で大喝采を浴びますが、その矢先に事故は起きました。

アレッサンドロのカミさんの実家、アメリカのローワン社はパンテーラの工場建設にも資金面から尽力するなど、デ・トマソ・アウトモビリの強力な後ろ盾でしたが、なんと飛行機事故で会長・社長がともに亡くなってしまったのです。

突然の「金ヅル消失」に呆然としたアレッサンドロでしたが、イタリア系の男の子はいつまでも悩まないッ!というわけでアイアコッカへ電話をかけ、「フォードがパンテーラもろともウチを買い取るか、何もかも捨てて私が破産するか、どっちがいい?」と聞きます。

面食らったアイアコッカでしたが、フォード2世に相談すると2つ返事でOKが出たので、パンテーラはフォードの資金で開発と生産が続行され、無事に北米での販売がスタート…するほど簡単な話ではありませんでした。

■フォード傘下での大問題と、わずか2年で生産終了

イタリア系移民2人のノリで始まり、どうにか生産ライン稼働にこぎつけたパンテーラですが、生産第1便がアメリカに到着するや、出荷前検査のつもりで待ち受けたフォードは仰天します。

後にBMWもM1でさんざ苦労させられますが、イタリアの職人たちは大量生産したスポーツカーを一気に船積みで輸出などした事がありませんし、生産直後から船積み、上陸まで適当に扱われた新車のパンテーラはボディがボコボコ、エンジンブローすらしています。

これを何とか手直ししてユーザーに届けたところで、十分にテストしていなかった足回りにも問題発生(特にリアのダブルウィッシュボーンサスは取付強度が不足していた)でクレーム多発。

どうにか改善した頃にはモデナの工場で労働争議が勃発して生産は遅延し、フォードからクレームを受けますが、アレッサンドロはそもそも他人からアレコレ言われるのが嫌いなタイプです。

しかも盟友・アイアコッカはフォードの社長へ昇格直後から会長のフォード2世と対立してしまい、社内での影響力を失っていましたから、「もう知らん!」とばかりに会社を投げ出してしまいました。

そもそもデ・トマソを傘下にしていたので、アレッサンドロの代わりを送ればいいと思っていたフォードですが、それで労働争議が収まるわけもなく、オイルショックでスポーツカーどころではなくなったため、工場の閉鎖を決めます。

こうして期待のスポーツカー、パンテーラはわずか2年で命運尽きた…はずでした。

■え?新会社「デ・トマソ・モデナ」って何?(困惑)

工場が閉鎖され、生産を終えたはずのパンテーラでしたが、どういうわけなのかその後も生産は続き、年間2,000台から多くても数十台程度の少量生産スーパーカーになったとはいえ、販売も続いています。

実はフォード傘下のデ・トマソ・アウトモビリを見限ったアレッサンドロ・デ・トマソは、「デ・トマソ・モデナ」という別会社を作り、「北米ではフォードが、それ以外はデ・トマソがパンテーラを売る」という契約に基づき、堂々と生産・販売していたのです。

フォード2世が「聞いてないよ!」と叫んだかは知りませんが、どのみちオイルショックへの対応でそれどころではありませんし、少量生産なら下請け工房の分担作業で十分作れたので、パンテーラは北米以外で販売するスーパーカーとして生き延びました。

スーパーカーなのでGT4やGT5といった高性能版やレーシング・バージョン、マイナーチェンジ版GT5Sと細々ながら続き、途中でオーストラリア製に切り替わるも、ずっとフォードの「クリーブランド」V8エンジンを搭載。

末期の1990年にもマルチェロ・ガンディーニがデザインしたビッグマイナーチェンジ版「パンテーラSI」(ヌォーバ・パンテーラ)を発表するなど、次期型の「グアラ」がデビューするまでデ・トマソの代表的なモデルになりました。

その出自や、アメリカ製V8エンジンを積む事からイタリアン・スーパーカーと認めないクルマ好きも少なくなかったとはいえ、1992年まで23年もの長きに渡って生産される、ロングセラーとなったのです。

デ・トマソ パンテーラのスペック

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長く生産された間にいくつかのバージョンが存在するパンテーラですが、以下にフォード傘下時代のデ・トマソ・アウトモビリで生産した「パンテーラ」と、ハイパフォーマンス版「パンテーラGTS」を紹介します。

■パンテーラ

全長×全幅×全高:4,270×1,830×1,100mm ホイールベース:2,515mm 車重:1,420kg エンジン:V型8気筒OHV 排気量:5,763cc 最高出力330ps/5,400rpm 最大トルク:45.0kg・m/4,500rpm サスペンション:前後ダブルウィッシュボーン 駆動方式:MR 変速機:5速MT

■パンテーラGTS(ヨーロッパ仕様)

全長×全幅×全高:4,270×1,900×1,100mm ホイールベース:2,515mm 車重:1,330kg エンジン:V型8気筒OHV 排気量:5,763cc 最高出力350ps/6,000rpm 最大トルク:50.0kg・m/4,000rpm サスペンション:前後ダブルウィッシュボーン 駆動方式:MR 変速機:5速MT

デ・トマソ パンテーラのバリエーション

グループ3/グループ4レース仕様も存在するパンテーラですが、以下に市販モデルを紹介します。

■パンテーラ

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1971年からデリバリーされたオリジナル版で、5,763ccの「クリーブランド」V8OHVエンジンを搭載したミッドシップスポーツという基本コンセプトはこれ以降もほぼ不変です。

パンテーラはフォード傘下で量産されたオリジナル版と次のパンテーラLが生産台数のほとんどと思われ、次で説明する「L」の存在から、「プレL」や「プレ・ルッソ」とも呼ばれます。

初期には品質の悪さに悩まされたものの次第に解消され、1973年には「ロードテストマガジン」誌のカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたそうですが、モデナでの生産品質が上がったのか、北米上陸後のフォードによる努力までは定かではありません。

■パンテーラL

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1972年に追加されたモデルで、Lは「ラグジュアリー」の頭文字を示す高級バージョン。

エンジンは基本的に変わらないものの、扱いやすさを重視したデチューンで圧縮比を下げ、最高出力は諸説ありますがオリジナルより40馬力ほど落とされたようです。

■パンテーラGTS

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1973年追加の高性能版で、圧縮比を上げたエンジンは350馬力を発揮、外観も幅広のタイヤを収めるオーバーフェンダーを装着しますが、フォードが生産終了を決断するまでにアメリカへ輸出された150台のGTSは外観のみ変更され、エンジンは変わりません。

フォードの手を離れた後も、1985年まで生産されました。

■パンテーラGT5

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1980年にリリースされた、大型リアウイングや、GTSより幅の広いオーバーフェンダーで武装、エンジン出力も強化されたバージョンで、1984年にGT5Sが登場して以降も1988年まで受注生産されました。

■パンテーラGT5S

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現在のデ・トマソ・アウトモビリ公式HPにおけるパンテーラの解説によると、1984年に登場したGT5Sの「S」は、GT5のオーバーフェンダーから代わった一体型ワイドフェンダーがスチール製であるという意味の「S」とされています。

内外装が全体的にリファインされ、特に内装の品質向上で高級GTとしての性格が強まりました。

■パンテーラSI

flickr.com Author:nakhon100 CC BY-SA 2.0

パンテーラの最終モデルで、パンテーラ90、NUOVA(ヌォーバ)パンテーラと呼ばれることも。

内装は基本的にGT5-Sからのキャリーオーバーですが、外観はマルチェロ・ガンディーニの手でデザインは完全に改められているため「モデルチェンジした2代目」と解釈される場合もあります。

なお、生産終了後に4台が改造されたタルガトップ車が、最後のパンテーラとなりました。

デ・トマソ パンテーラは中古車で買える?その価格は?

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日本でも知名度の高いパンテーラですが、2023年3月現在では中古車市場にほとんど出回っておらず、GM(シボレー)のLT1エンジンへ換装したGTSらしき1台が1,290万円で販売されているのみです。

国産旧車よりよほど安くなっており、エンジンスワップを受けていないとしても元がフォードのクリーブランドV8ですし、現在の価値観では飛び抜けて高くはならず、1,500万円前後あたりが相場と思われます。

デ・トマソ パンテーラが復活する可能性はある?

アレスデザイン「パンサー・プロジェクト・ウーノ」(2019年)

デ・トマソ・アウトモビリは香港資本で再始動後、P72やP900といった少数生産ハイパーカーへ伝統のブランドを与えるのに熱心です。P72も過去のレーシングカーP70のオマージュであり、同社がパンテーラの復刻について関心を持っているかは定かではありません。

それとは別に、モデナで2014年に創業した新進気鋭のコーチビルダー、アレスデザインが2019年に発表したパンテーラのリメイク版、「アレスデザイン・パンサー・プロジェクト・ウーノ」があります。

これはランボルギーニ ウラカンをベースにパンテーラと似たボディを架装したもので、ベース車の都合もあって寸法は一回り大きくなっていますが、近年は必要性がないリトラクタブルライトをあえて採用するなど、こだわりのあるレプリカとなりました。