三河一向一揆で活躍見せる!家康を支えた家臣・土屋長吉重治とは?【どうする家康】

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どうする家康の7話「わしの家」には、新たに登場した田村健太郎さん演じる土屋長吉重治(つちや-ちょうきち-しげはる:以下重治)が登場しました。

劇中では、徳川家康(演:松本潤さん)を一向宗が集まる寺に案内する役目を担いました。どもりながら話したり、一向宗の宗徒に混じって踊ったり、宗徒に水に落とされたりと初登場ながら印象的な人物でしたね。

そのような場面から、頼りなさそうなイメージを残した重治ですが、実は三河一向一揆の際に大きな活躍を果たしていました。

今回は、重治の三河一向一揆における活躍を紹介すると共に、生い立ちも簡単に紹介します。

援軍の末に戦死

大久保忠世/Wikipediaより

重治は桓武平氏の流れをくむ土屋宗遠(つちや-むねとお)を祖とした平姓土屋氏出身。父の代から松平家(徳川家)に仕え、重治も徳川家康に仕えました。

そして、重治が活躍を見せたのは三河一向一揆の時。子の土屋重信と一揆勢と戦います。永禄7年(1564)には、上和田砦に籠もる大久保忠世と大久保忠勝の援軍として筒井甚六郎と共に派遣されました。

援軍を得た忠世たちは、一揆勢に攻勢をかけます。おかげで一揆勢を退けることはできたものの、重治は一揆勢の反撃により、無念にも戦死しました。

徳川実紀では一揆勢だった

三河一向一揆/Wikipediaより

先ほど記載した土屋重治の最後は、『寛政重修諸家譜』に記載されたもの。江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』では、重治は当初一揆勢に加担したとの記録が残っています。

重治が一揆勢だったので、上和田砦に援軍として向かったのは徳川家康。家康は、その地で命の危機に瀕しますが、それを救ったのが重治でした。

そして、重治は一揆勢と交戦した末、矢を受けて戦死。家康は重治の死を惜しみ、戦死した地に手厚く葬りました。

重治の子どもたちのその後は?

重治の死後、子たちの重信や重利、重成は変わらず徳川家に仕えました。しかし、重信は26歳の時に元亀元年(1570)の姉川の戦いで戦死。

続く重利は、天正8年(1580)の小山城攻めにおいて25歳で戦死し、重成は48歳で病死するという家族そろって若死にを遂げています。

重治の活躍に目が離せない!

家康への忠義よりも信仰を重視した家臣がいる中で、徳川実紀に見られる活躍をした土屋重治は忠臣と言っても過言ではないですね。

三河一向一揆で命を落とすことがなければ、重治は徳川家にさらなる貢献をしたのではいかと思うと、残念でなりません。

信仰よりも主君を選ぶことを考えると、重治には相当の葛藤があったことがうかがえます。まさに信仰よりも守るべきものが家康だったのは、家康もさぞ喜ばしかったことでしょう。

どうする家康では、重治の死はどのように描かれるのか楽しみでもあり、悲しみもありますね。

※参考文献

『寛政重修諸家譜』国立国会図書館デジタルコレクション
『徳川実紀』国立国会図書館デジタルコレクション