作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセイ。今回は、拠点のひとつ・愛媛でのご近所付き合いについてつづってくれました。

第90回「地元でのご近所付き合い」

以前、東京でのご近所付き合いについて書いたところ、「愛媛でのご近所付き合いはどうなんですか?」と編集部からの声があった。一番よく会うご近所さんは猿である。これは冗談でも誇張でもなく猿に一番よく会う。つい1時間前にも、せっかく大きくなっていたニンニクの芽や葉を食べられてしまい怒り心頭していたところだった。冬は特に食べ物がなくなるので普段なら食べないニンニクとか里芋まで見境なく食べ散らかすのだ。畑には20匹単位で日向ぼっこしながら、方方でかっさらってきた柑橘を食べている。この頃は、多くなってきた空き家の屋根や庭もすみかにしている。うちの納屋の屋根や庭先もうろうろ。人の数より圧倒的に猿の方が多く、日光なみだ…。

●主に畑が社交場です

猿の話だけで終わりそうなので、今日は人間のご近所さんについて書こう。

ご近所付き合いは実は東京よりもない。高齢化のためにここ10年、近所はほとんど空き家になってしまったので、そもそも人がいないのだ。

唯一、畑仲間というか畑の大先輩がすぐ近くに住んでいて、

「種芋をあげようか?」とか「草刈りしなさいよ」とか言ってくれる。

外のベンチにでっかいきゅうりが置いてあったら、おばちゃんが来てくれたんだなと思う。母も、珍しい作物がとれたら持っていくし、畑のニューカマーである私や仲間たちも、里芋が豊作だったので持っていってあげた。もらうだけでなく作物の物々交換の輪に入れるようになったので少し誇らしい。そう、畑が社交場だ。「どんなものがとれた?」「今度は何植えるの?」年齢や職業が違っても共通の話題があるし学びあえたりもするから面白い。よって、知り合うのがおじいさんやおばあさんばかり。同年代の人が全くいないわけではないけれど、私以外は畑をしていないので出会うきっかけがない。きっと車で移動することが多いので、東京のように仕事帰りにばったり出会って立ち話、みたいなこともないんだなと思う。

●時代と共に変化したご近所さんとの交流

畑以外の人との唯一の交流の場となるのが、移動販売のトラックが集会所にやってくる週に2回だ。ここに集うのもやはり70代以上ということで、私はやっぱりかなり浮いた存在なのだ。そこでも立ち話になることは少なく、挨拶と世間話くらいでみんな帰っていく。25年前、私が子どもだった時代には近所のいたるところで井戸端会議されていたし、近所のじいさんばあさんが、毎日のように家に上がり込んでいた。けれど、もうそういうのもなくなった。新型コロナウイルスだけが原因というわけではなくて、やはりプライベートの空間や時間を気にするようになったし、互いに遠慮しあっているところはあるのかもなあ。まあ、そういう変化は良い面も悪い面もあると思う。

田舎の最近の変化として思うことは、ご近所さんというコミュニティーよりも、同じ志の人同士で集う方が多くなっているということだ。ある程度のご近所付き合いはあるけれども、祖父母の時代のように大親友が近所の人々という感じではなくなっているんじゃないだろうか。母の世代でもそんな感じかもなあ。隣町から来て、一緒に畑をしている仲間たちとは土日によく会う。畑でそれぞれにとれたものを交換しあったり、一緒に昼ごはんを食べたり。

インターネットや交通手段のなかった時代は、近所の人たちとのつながりが、自分のライフラインを守る上でも重要だったんじゃないだろうか。ゆえに、じっとりした閉塞感もあったと思う。けれど、今はSNSや交通機関の発達で、気の合う同士で会うことが可能になった。無理して気の合わない人と交流しなくても良くなったのだ。

そのことで気楽になった部分もたくさんあるし、失われていった伝統や文化もあるのだと思う。どっちが良かったのか? どちらも知っている私としては、どっちもどっちだと思う。だから、可能な限り異世代の人とも交流し、学びたいと思っている。子供時代、面白い人も意地悪な人もいたけれど、全部ひっくるめて人間ってものを知った気がする。いい人ばかりでもないけど、怖そうと思っていた人が案外優しかったりもした。祖父母を筆頭に、いろんな時代の片鱗をかじれたことは私にとって財産だなと思う。

 

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