兎をナメるな!なぜ戦国武将たちはウサギを愛したのか【どうする家康】

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「待ってろよ……俺の白兎」

桶狭間で今川義元(演:野村萬斎)を討ち取り、その首級を掲げながら突き進む織田信長(演:岡田准一)が、次の獲物を定めました。

早くもクレイジー全開?な魔王ぶりに、白兎こと松平元康(演:松本潤。後の徳川家康)はもうガクブルです。

寅年(天文11・1542年。壬寅)生まれなのに、その姿は巣穴で震える子ウサギのよう。

NHK大河ドラマ「どうする家康」、第2回放送は「兎と狼」。まさしく狼(信長)に狙われた兎(元康)を表しているのでしょう。

戦国武将たちに愛された兎。その理由は可愛さだけではない(イメージ)

だがちょっと待って欲しい。やれ兎と皆さん侮られますが、決してバカにしたもんじゃありません。兎は戦国乱世を生き抜いた武士たちから深く愛されたのです。

いえ?別に彼らが癒やしを求めていたとか、そういう訳ではなくてですね……。

その姿、まさに家康?兎が戦国武将に愛された理由とは

兎が戦国武将に愛された理由はいくつかあります。

一、多産のため子孫が繁栄。襲撃されても全滅のリスクを減らせる。

一、巣穴をいくつも作っておく賢さ・用心深さを持つ(狡兎三窟)。

一、俊敏な動きで天敵を欺く(戦場では特に重要)。

一、いざとなれば我が身を犠牲にする優しさ、誠実さ。

最後の要素はちょっと分かりにくいので補足すると、昔し動物たちが老人(実は帝釈天の化身)に食べ物を献上したエピソード(※『今昔物語』など)に由来します。

猿は木の実を拾い集め、狐は川で魚を獲りましたが、兎は何も採って来られなかったことを恥じて「せめて私の肉をどうぞ」と焼身自殺したのです。

その優しさに感激した帝釈天は兎を月に昇らせたので、今も月には兎がいるのでした。というお話し。

武田の追撃から脱兎のごとく逃げる家康(右端)小国政「味方ヶ原合戦図」

まさに信長のために身を張って対・武田の楯となり、命懸けで奉公した家康の姿に重なります。

他の要素についても、周到なリスク対策や逃げ足の速さ(家康は日ごろから逃げるために馬術と水練の稽古を欠かさなかったとか)など、兎は戦国乱世を生き抜くためには必須の知恵を体現した動物と言えるでしょう。

いかにも弱そうな見た目に惑わされると、いつか痛烈な一撃を喰らわされてしまうかも知れませんよ(ことわざに「兎も三年なぶれば咬みつく」などと言いますし……)。

終わりに

兎耳形兜をかぶった明智左馬之助光利。揚洲周延筆

そんな兎に対する評価は武将たちの兜などにも表れており、兎耳形兜(とじなりかぶと。大多喜城蔵)や黒漆塗兎耳形兜鉢(くろうるしぬりとじなりかぶとばち。靖国神社蔵)など、頭にウサミミをつけて戦う武士たちの姿があったようです。

跳ねたいほどに可愛らしいっ!ウサギちゃんがモチーフの武将の「変わり兜」まとめ

果たして家康は虎(寅)か兎(卯)か……たとえ弱くても弱いなりの戦い方で勝利を掴み取ったその姿が、NHK大河ドラマ「どうする家康」で描かれることでしょう。

※参考文献:

橋本麻里『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』新潮社、2013年9月本郷和人『徳川家康という人』河出新書、2022年10月