新卒一括採用を「当たり前」と受け入れてしまうと、ある「大切なこと」が忘れられがちだといいます(画像:kotoru/PIXTA)

日本が誇る「伝説のヘッドハンター」妹尾輝男。

ヘッドハンティング、および人材組織全般のコンサルティング会社として世界最大規模を誇るコーン・フェリーにおいて、30年以上活躍を続け、一昨年までの10年間は日本法人の社長・会長も務めた。ヘッドハントしたエグゼクティブは400人を超える。

そんな妹尾氏の初の著書『世界は悪ガキを求めている――新時代を勝ち抜く人の思考/行動/キャリア』が刊行された。

「2000年ごろを境に、世界で求められるリーダー像に激変が起きた。おこがましい言い方になるが、日本人だけがこの変化に気づいていない」

そう話す妹尾氏に、いま、世界が求めるリーダーの条件を解説してもらう。

日本の国力を削ぐ新卒一括採用

日本の大手企業の多くでは、いまだに「新卒一括採用」を続けていますが、これは日本独自のものです。このようなシステムを採用している国は世界中を見渡しても、ほとんど見ることができません。


他国ではほとんど見られないこのシステムを多くの日本企業が採用しているのは、「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」など、戦後に確立された日本型人事システムとの相性がよかったからだと考えられます。

長らく続けられてきたこの採用システムに関しては、かねてさまざまな問題点が指摘されてきました。

曰く「雇用のミスマッチの原因になっている」「人材の流動化の妨げになっている」「企業の寿命が短くなり、定年までの雇用を保証するのが難しくなった」「複雑化する問題や課題に対応できる人材を中途採用する際の障害になっている」などなどです。

これらの指摘はいずれも的を射ており、異論はまったくありません。しかし私は、新卒一括採用」にはもっと大きな問題があると感じています。

私が感じる最大の問題とは、「自分の人生の舵を他人に預ける」という価値観を日本人に植えつけてしまったことです。

スタートから骨抜きにされる社会人人生

就職活動が始まると、就活生は髪を短くしたり、黒く染め直して、企業訪問に備えます。エントリーシートを提出し、筆記試験、数回にわたる面接を経て、ようやく企業から内定をもらうという流れを踏みます。これは、大学生が日本で社会人になるために、避けては通れない一種の通過儀礼として定着しています。

その後、内定にいたるわけですが、この時点でも多くの学生は、自分が就職後にどんな仕事をするのか、会社から知らされることはありません。配属されるのは営業か、企画か、はたまた経理部か? さらには東京本社で働けるのか、それともどこか地方の支店に行かされるのか、すべては彼らを受け入れる会社のさじ加減次第なのです。

このように多くの日本人は、社会人人生の最初から自分の仕事を主体的に選ぶことなく、会社の言うがままに働いていることになります。一応、希望も聞かれますが、その希望のとおりになるとは限りません。仮に意に反した結果であったとしても、異議を唱えることは許されないのです。 

このように改めて言葉にすると、とてつもなく理不尽な話なのですが、多くの人が「これが普通だ」と最初から刷り込まれてしまうのが現実です。

スタートからこうなので、その後も会社の命令に関しては従順に受け入れ、異動で業務内容が変わっても、転勤で居住地まで変えられても、唯々諾々と従います。ここには、「自分の人生の舵を自分が握る」という気概は微塵も見受けられません。

言うまでもなく、どんな職種に就くかは人生において極めて重大な問題です。経理に配属されるか、営業に配属されるかでは、その後の社会人人生が大きく変わってしまうのは自明です。この重大な決断を他人任せにしていいはずはありません。

中には「企業が個人の適性を見て、ふさわしい部署に配属しているのだ」と反論をしたくなる方もいるかもしれません。しかし、そもそも社員個々の適性を人事部が正確に見極められるものでしょうか。疑問以外何も浮かんできません。

仮に「その時点での」適性が見極められたとしても、それはあくまでも「その時」に限られたものです。人生は長く、社会の状況も刻一刻と変化します。昨日までの適性が、今日からは重荷になることも大いにありえます。

未来というのは、誰にとっても不確実なものです。そんな不確実な時代を生き抜いていくのに、何よりも重要なのは自分の人生の舵を自分で握ることです。

世界が求めているリーダー、つまり私の言う「悪ガキ」的リーダーは、そうやって生きてきた人ばかりです。

「自分の人生の舵を他人に渡さない生き方」とは、自分の人生を自分で切り開き、自分の力で生きるということにほかなりません。その最たるものが「働くこと」です。

働くということは、自分の生活の糧を得たり、社会に貢献することですが、「悪ガキ」はそれ以上に「自分を喜ばせること」を大切にするという特徴を持っています。

高尚なビジネス書をひもとくと、多くの本では「社会に貢献しろ」と、人の幸せのために働くことの徳が述べられていることが多いようです。しかし「悪ガキ」タイプの成功者の場合、自身で気がついているか否かはハッキリはしませんが、「自分を喜ばせる」ことを最優先しているように見受けられます。

アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏はスマートフォンを生み出し、世の中の人々の生活を一変させるという偉業を成し遂げましたが、彼が他人への思いやりに満ちていたかというと、そんな様子はまったく見受けられません。むしろ、自分の思いを遂げるために、一緒に働く人を振り回しまくった逸話だけが伝わってきます。

ジョブズ氏のように自身のやりたいことをとことん追求し、想像を絶するほどの結果を出す。カリスマと呼ばれる「悪ガキ」リーダーのほとんどは、あくまでも「成功」という結果を礎に人間性が評価されるようになったのが実態なのです。

70歳を超えた悪ガキ、リチャード・ブランソン

イギリスのヴァージングループの創始者リチャード・ブランソン氏は、このように「自分を喜ばせる」ことに邁進した結果、カリスマとなった「悪ガキ」の典型例です。

彼は何よりも自分自身がワクワクすることしかやりません。しかもいったん始めると、徹底的にやる。この姿勢を貫き続けています。

彼はこの姿勢を貫くことによって、新しいレコードレーベルの立ち上げを手始めに、航空会社、新コーラの開発などを手掛け、大成功を収めています(リチャード・ブランソン氏の活躍については拙書『世界は悪ガキを求めている』で詳しく紹介していますので、ご参照ください)。

これらの成功を収めた結果、ブランソン氏はイギリス国民から愛されるのみならず、時のサッチャー首相からも称賛を浴び、ダイアナ皇太子妃をはじめ王室とも親しく交わり、イギリスの英雄となりました。

しかし、彼自身はこのように世間の評価が上がったことに対してはさほど気にする様子もなく、相変わらず自身のやりたいことに邁進しています。事実、女王からSirの称号を受けた後も、ヴァージン・ギャランティックを通じて宇宙への夢を追う活動などを積極的に進めました。

彼はおそらく、熱気球で世界一周をしたときの興奮を忘れられないのでしょう。70歳を超えた今でも、彼の冒険心が衰える様子はまったく見られません。

「悪ガキ」に年齢は関係ありません。彼こそ、いまを生きる私たちが学びたい模範的な「悪ガキ」だと言えるのです。

(構成:小関敦之)

(妹尾 輝男 : ヘッドハンター、コーン・フェリー元日本代表)