※この記事は2019年03月14日にBLOGOSで公開されたものです

家族でオーストラリアに移住し、日本と行き来をしながら様々な発信を手掛ける小島慶子さんと、シンガポール在住のジャーナリスト中野円佳。ともに2児の母として、海外で子育てをして見えてくるものとは?英語教育、日本語教育、マイノリティとして生きること、多様性についての感受性…語りつくしました。

※2018年夏に実施、海外×キャリア×ママサロン(https://lounge.dmm.com/detail/293/)で配信したトークイベントを再編集したものです。

DV減少を目指した教育に国ぐるみで取り組むオーストラリア

中野:シンガポールや香港は、住み込みのメイドさんを雇えることがメリットで、それもあって欧米やオーストラリアやニュージーランドからシンガポールに住みたいという方も多い。オーストラリアは家事育児の分担は、日本に比べてどうですか?

小島: 日本よりは男性が家事育児をやっていますけれど、ただ、オージー文化はマッチョな文化なので、男は男らしく、女は男をサポートしてという空気はあるみたい。バーベキューでは肉を焼くのは男の仕事、という謎の習慣もあるし。「狩りの獲物を分けるのは昔から男の仕事だから」とか言われてるらしいんだけど、あんた牛を倒したのか?スーパーで買ってきた肉でしょうが。意味不明ですよ。

あと今、DVが問題になっているんです。DVを減らすためにも「男の子は永遠に男の子だから、やんちゃだから仕方ないと言うのはやめましょう」、女の子をこづいていたりしたら、「子どもだから…ではなくて、やってはダメよと小さいうちから言いましょう」と。女の子に「女の子なんだから大人しく」「女の子は出しゃばると嫌われるわよ」なんて言うと、DVをされた時に声をあげられない人になるので、これもやめましょう…ということを国ぐるみでやっています。家事分担という点では、日本よりはるかに男性は家事をやっていますけれど、文化面ではまだ課題があるな、と思いますね。

中野:課題はあると言っても、その政府の教育は素晴らしいですね。

小島:そうですね、教育省のサイトにも載っていますからね。

中野:シンガポールは人種や宗教による差別が法律で禁じられていて、セクハラも厳罰に対処されるので、基本的には日本よりはいい状況だとは思います。ただシンガポールの歴史を調べていたら、1979年から、シンガポール国立大学は医学部の女性を3割におさえていたとか、公務員が女性の場合、配偶者が得られるメリットが男性公務員の配偶者の場合とすごく差がある、とか過去のものの中には男尊女卑的な仕組みもあるんです。

それが、ごく最近、2000年代にはいってから徐々に解除されてきている。今でこそ女性にも外で働いてもらって共働きじゃないと成り立たないというムードですが、根底に流れる、「男性を立てないと」というアジアの価値観はもしかしたら未だに結構あるのかなとは感じます。

小島:シンガポールは性的少数者に対しては非常に差別的だと聞いて、驚きました。そういう課題もありますよね。

英語が話せても感じるマイノリティであることへの悩み

中野:私は高校生のときに1年間アメリカに留学していたのですが、その1年間めっちゃつらかったんですよ。完全にマイノリティで、最初はその学校で私が日本人として1人目、白人黒人が3~4割くらいずつで、あと米国生まれではない移民一世世代としてのヒスパニック、ベトナム人とか中国人……と、当初かなり雑多なカリフォルニアの高校に行っていました。

高校生って結構あからさまな「区別」をするので、学校のカフェテリアとか行くと、ここはベトナム人のテーブル、ここは中国人のテーブルみたいな感じで、わかれているんですよね。いわゆるネイティブの英語スピーカーである白人の子とか黒人の子に話しかけると「はぁ?あんた誰」みたいなかんじで無視されるし、中国人の子は1人「セーラームーンが好き」みたいな子が私に興味を持ってくれたんですけど、その子と一緒に中国人テーブルに行くと中国語しかしゃべってないみたいな感じで。

私もそのとき英語を学びたかったので、中国人テーブルに行って中国語覚えちゃえ!くらいの覚悟があればよかったんですけど、そうもなれず、かなり模索した数ヶ月があったんです。なので、海外で暮らしてみたいという気持ちはずっとあったんですけど、どのときの経験がずっとトラウマで、次行くときは一人で行くのは嫌だと思ってたんですよ。

小島:海外帰国子女=外国好きな人と思われがちですよね。私の友人にも英語圏で育った人たちがいるんですけど、中に二人、外国人嫌いの人がいるんです。二人とも幼少期に海外で苛烈ないじめにあったそうで、それがトラウマになっていると。そのうち一人は英語を生かしてアメリカで長く働いていたんですが、しんどいからと日本に戻ってきました。曰く、アメリカでは英語ができるのは当たり前で、むしろアジア人であることがハンディキャップになるけど、日本にいれば英語ができるだけで優遇されるし、日本人の強みも活かせるから、日本にいた方がずっと得をするというのです。

確かにそうですね。もう一人は、やはり幼少期のイジメの体験が強烈だったため、夫の仕事で長い期間アメリカに駐在していたにも関わらず、子どもはずっと日本人学校に通わせていました。帰国子女幻想みたいなものがあるけど、みんなそれぞれに苦労しています。アジア圏の日本人学校育ちの私もステレオタイプな帰国子女幻想でだいぶ迷惑しているし。なんで英語できないのとか、やっぱり帰国子女は自己主張が強いとか。それ帰国子女と関係なく、性格ですから。

中野:シンガポールの場合は、基本的に中華系を中心にアジア人が多いので、日本人はマジョリティではないものの、欧米圏に行くよりは過ごしやすい環境だと思います。

小島:息子たちの場合は、小3と小6からオーストラリアの公立校。最初の1年は、非英語スピーカーのための専用プログラム(インテンシブ・イングリッシュ・センター:IEC)のある小学校に通いました。現地校の通常クラスとの併用ではなく、世界35カ国から集まった子どもたち、つまり移民や難民や留学生や国際結婚カップルの子どもなどいろいろな理由でオーストラリアに来た英語を母国語としない子どもたちだけで集中的に「英語で学ぶ」ためのスキルを習得するコースだったんです。

息子たちはそこでオーストラリア生活をスタートしたので、英語にコンプレックスを持たずに済んだ。いろんな子がいて、みんな英語が不自由で、でも自分たちは歓迎されていると信じて新生活を始めることができたんですよね。とても幸運でした。

中野:それは私も痛感しています。うちの子はシンガポール引っ越し時点で1歳半と5歳。2人とも最初ローカルの幼稚園に入れて、いきなり英語環境だったんですよね。日本人もチラホラいたのでなじむのは早かったんですけど、先生の言うことがよくわからないという状況がしばらく続いていました。

それが、上の子を2018年の1月からインターに入れたのですが、ESLのあるインターでノンネイティブの子たちばかりのところに入ったのです。人によっては、ネイティブのきれいな英語でないところでノンネイティブ同士で話しているといつまでも英語が身につかないと懸念をされる方もいて、私も日本人の子も多いからどうかなと思っていたのですが、みんなネイティブじゃないから別に変な英語しゃべっててもいいんだとか、間違ってもいいっていう感じがすごくあって、自己肯定感がすごく上がったように思います。

小島:「オーストラリアに移住するくらいだから、昔からさぞ英語教育には力を入れてたんでしょ」と言われるんですが、移住するつもりなんて夫が仕事を辞めるまで全くなかったですからね・・・。ただなんとなくしまじろうの英語から始めて、近所のプリスクールのサマーキャンプに行かせたりとか、あとはいろんな英会話学校を渡り歩きながら、週に1回の英会話を続けてました。行くことが決まってからの2ヶ月間だけ、日本人の先生に海外に引っ越す子どもたち向けのプログラムを作ってもらって、週に2回みてもらいました。彼らはオーストラリアの初日に、「May I go to the bathroom?」をおまじないのように言ってたんですよね。

中野:うちもとりあえず「Pee」(おしっこ)だけ覚えさせました。

小島:本当におもらししちゃう子が多いんだそうです。言えなくておもらししちゃって、それがトラウマになってなじめなくなっちゃう子がいると聞いたので、とにかくトイレに行くのだけは(きちんと言いなさい)って言って初日行ったわけですよ。午後3時に迎えに行って「どうだった?」って言ったら、「僕ら英語すごくできるんだよ」と自己肯定感がすごく高まっているんですよね。「なんで?」って言ったら、「ABCが全部言えるし、自分の名前をアルファベットで書けるもん!」と。ABCが読めないとか、あと戦争で学校に行けず、母語での読み書きも習う機会がなかった子どももいます。だから日本で英語を習っていた息子たちは、初日に「僕らは英語ができるんだ」っていう幸福な誤解をしたようなんです。

移住して6年目ですけど、息子たちに英語ができなくて辛かったことある?と聞くと「小さい頃から英語を喋る人を見慣れていたし、最初引っ越してきた時もみんなで一緒に英語を勉強したから、別に・・・」と拍子抜けするような答えで。もちろん彼らはすごく頑張ったのでそれなりに壁を乗り越えたんだと思いますけど、いわゆるトラウマになるような経験はしなかったらしいんですよね。まあ、これ身についてんのかな?と思いながらも日本で週1の英会話をさせていたのは無駄ではなかったし、何より、最初に多様なノンネイティブの仲間と出会うことは本当に重要だなあと。

海外生活中、子どもたちへの「日本語維持」はどうしてる?

中野:今後もご家族の拠点は基本はパースですか?

小島:そうですね。もともと二人が高校を卒業するまでは、いるつもりで来ていました。上の子はもうすぐ大学生になりますので、どうしたいかを聞きました。そしたら、西オーストラリアの大学に、自分が勉強したいことを専攻できる学部があると。下の子にも聞きましたら、やはりオーストラリアの大学で勉強したいということです。

中野:私の場合は、そこまで尊重してあげられるか分からないのですが、上の子は英語がとても好きになってきていて、その反面、日本語を読んだり書いたりすることがどんどん面倒臭くなってきているようです。シンガポールにがっつり移住をすると決めている方は、日本語に時間を割くよりはもう少し他のことをやらせたいということで、日本語をばっさり捨てている人もいます。そこまでの覚悟はまだ決まっていないです。

小島:日本語は課題ですね。英語圏でも、最低でも2ヶ国語ができないと生き残れないと言われているし、いかに日本語を忘れず、かつ向上させるかは今我が家の大きな課題です・・・。次男は気をぬくとルー大柴さんみたいになりますから。「今日、スクールのアセンブリーでティーチャーがね」とか(笑)。

中野:うちの子もそうですよ。スウィッチングと言って、2言語を理解したうえで応用できているからいいんだという説もありますけど…。

小島:はい日本語で言い直して!と言ってるんですけどね…次男の日本語のショートメールがタチの悪いグーグル翻訳のような感じで、理由を聞いたら、音声入力にしたと。頭の中の英語を日本語に直して喋っているので無加工で文字にするとこうなるんだな、と妙に感心しましたが、やっぱりこれ日本語としてはマズイでしょ、と。そこはとても悩みどころです。バイリンガルの強みを活かさない手はないですから。

中野:でも、今すでに私たちの世代だって仕事で漢字を手書きで書くことなんてほとんどなくて、キーボードでタイプするか音声入力になっていますよね。それなのに、息子のカタカナの書き順などをイライラ言う私は、無駄なことをしていないかなと思ってしまいます。

小島:分ります。うちも日本語補習校に行っていて、毎週漢字テストがあるんですけど、もう書き順は諦めました(笑)とにかく書ければいいです。

海外と比較して気付いた日本教育のメリット・デメリット

小島:息子たちは小2と小5まで日本で地元の公立の区立の小学校に通っていたんですけど、オーストラリアに来て、日本の教育のレベルの高さは実感しました。二人とも公立の小学校のごく普通の子だったんですよね。進研ゼミの教材なんて平均点98点とか、みんな親に手伝ってもらってるんじゃないかと思うくらい高いですけど、普通に50点とか。にもかかわらず、オーストラリアに行くと、まず算数の天才が引っ越してきたっていう感じでざわついていたらしいんですよね。

中野:それはいいような悪いような‥‥でも自己肯定感的にはいいですよね。

小島:最初IECで2年目からは地元の公立中学校、小学校に入ったんですけど、「すっごい数学できるやつが来た!」みたいになって、彼らとしてもすごく安心できたみたいです。あと、体育も、私たちマットの耳はしまうとか、今日よーいどんだけで60分勉強しますとかって、細かく習うじゃないですか。

オーストラリアでは「はい走りますよ、どうぞ」という感じで裸足で走るのもありだし、コースアウトしてもこっぴどく叱られないし、けっこうゆるいんですよね。そこで、息子たちが走ると、「すっごい足速いやつがやってきた」「めっちゃリレー上手なんだけど」とかってなるんですよ。つくづく日本の教育はよくできていると思いました。

ただそれが行き過ぎてしまっていたり、不必要な同調圧力とか、そういうところは改善の余地があるのではないかと思います。例えば、発達障害って日本ではネガティヴなイメージで学習支援も不十分だけど、長男が通っている公立のハイスクールでは発達障害が日本に比べるともっと身近な存在なんですね。

発達障害を持つ子どもたちは期末試験の時間を15分多くもらえるんですよね。1分だけでもいいし、15分フルに使ってもいいし、それで他の人と同じように成績がつくんです。そんなの不公平だとか言う親もおらず、「あいつ発達障害持ち」とかからかうこともなく、日常の風景として、「目が悪い子ってメガネかけてるよねー」的な感じでなじんでるんですよね。

発達障害というのは1つの多様性の例ですけど、日本ではまだ多様な学びに制度がついていけてないように思います。色々動きは進んではいますが、まだ浸透していませんし。友人が発達障害の子の学習支援をしているんですけど、普通の公立の学校だと、発達障害の子はただ置いて行かれるだけ。ところが、彼らに合った方法で教えると、すごくのびたりするんだそうです。公教育の標準装備としてそういう配慮があるといいですよね。

各国の歴史を学ぶことの重要性を実感

中野:アジア人というマイノリティとして過ごすうえでは、お子さんには、どのようなことを伝えていますか?

小島:オーストラリアではアジア人は多数派ではないです。アジア人の中では中国の人が多くて、インド、ベトナム、タイなどいろいろ。特に中国系、インド系は教育熱心な家庭が多い印象ですね。日本人は少ないので、マイノリティの中のマイノリティという感覚です。

オーストラリアは1972年まで白豪主義という白人優位の国だったんですが、地理的に見ても欧米から遠いですし、かつての宗主国イギリスの勢いもいつまでも頼れないですから、1973年以降はアジアと一緒に生きていくという多文化政策に切り替えている。多様性を尊重してみんなでやっていきましょうと謳っているので、日常生活であからさまな人種差別はないですけど、先住民との和解の問題や、中国との外交上の問題など、課題はいろいろあります。かつて日本が経済成長していた頃、、日豪の交流は盛んでした。私の世代では学校の外国語で日本語を習った人も多くて、親日家は多いです。

息子たちには、歴史をきちんと勉強しなさい、と話しています。歴史というのはひとつの事実をAという国から見たとき、Bという国から見たとき、全く違う評価になるので、それも含めて勉強しなさい、と。将来あなたが、お友達とか一緒になった人と歴史の話になった時に、もう過去の不幸を繰り返さずにすむような関係を僕とあなたの間では作りましょうという話ができる人になりなさい、と。日豪はかつて敵国同士だったし、日中間にも不幸な過去があります。中国系の人がたくさんいる豪州で、日本人が生きていく上では歴史を知っておくことはとても大事です。何もオーストラリアで生きていくのに限らず、そうですよね。

あとは「バンブー・シーリング」、竹の天井という言葉について。オーストラリア社会では、アジア人はある一定以上のポジションにはなかなかつけない、というんです。だからアジア系の住民は、教育熱心なんでしょうね。マイノリティはうんと優秀ではないと競争には勝てない、という事実もあることも息子には言っています。

中野:シンガポールのいいなと思うところは、インド系の方も西洋系の方も多く、やはり多様なところ。私の息子も最初にはじめて海外に来て街中を歩いていたときは、肌の色自体が違うということに驚き、少し抵抗感がありそうでしたが、ローカルの幼稚園に通ってだんだんこの子はどこから来たとか、この子はシンガポール生まれだけどおばあちゃんはこの国にいるみたいなことを聞くと、世界地図とか歴史にも興味を持ち始めますよね。

小島:目に見えるって、意識しやすいからいいですよね。見た目や言葉や習慣が違う人を目にする機会が多ければ、多様性を肌で感じやすい。でも、実はここにいるみんなも同じように見えてすごく多様なんですよね。たまたましゃべっている言葉が同じで、見た目も髪も目の色も似ているから同じだと思ってしまいますけど。たぶん多様性に寛容であることって、身近なところでの「違い」に丁寧に向き合うことなのだと思います。